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ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人である。「デイダラボッチ」や「ダイダラボウ」など数多くの類似の名称が存在する。
奈良時代初期に編纂された播磨国の風土記「播磨国風土記」によれば、

『託賀郡には昔、巨人がいて、いつも屈んで歩いていた。南の海、北の海、東を巡ってこの地にやって来て「他の地は(天が)低くていつも屈んで歩いていた。この地は高くてまっすぐ立って歩ける」と言った。だからこの地を託賀(たか=高)郡という。巨人の足跡は数々の沼になった。』

という意味のことが書かれている。

ダイダラボッチは日本各地で様々な伝説を残している。有名なものでは琵琶湖や富士山にまつわるもので、滋賀県にある琵琶湖はダイダラボッチの足跡である説や、富士山、または淡路島を作るのに大地を持ち上げてできた窪みが琵琶湖になったなどの説がある。そして富士山や島を作る時に手からこぼれた土が他の山々を築き上げたり、島になったという言い伝えも共通している。
他日本各地に伝わる伝承は

・上州の榛名富士を土盛りして作り、掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。
・西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまった。
・上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
・長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。
・富士山を作っている時にうっかり手をついて出来た窪みが浜名湖となった。
・現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)はダイタラボッチの足跡である。
・静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。
・富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。
・小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
・「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。
・現在の東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)はダイタラボッチの足跡である。都内であるため聖地めぐりが行われていたりする。

こうして様々な伝説を残しており、ダイダラボッチは妖怪というよりも国造りの神とも言われている。
しかし、これほどまでの伝承が残っているのにもかかわらず、大きさや姿に関しては不明で、正確な情報は残っていない。
伝承となった湖は大きさが違ったりすることから、複数のダイダラボッチがいたとも考えられる。

現代ではジブリ映画「もののけ姫」に登場したことをはじめ、ゲゲゲの鬼太郎、妖怪ウォッチといったメディアにも登場し、知名度は他のメジャーな妖怪と肩を並べるほどとなっている。