今まで活動してきて、基本的な文章作法というものをしっかりおさらいしてなかったことに気が付きました。今更釈迦に説法かも知れませんが、参考になればと思います。
例えば──
○改行した後、文頭では一マスあける。
○三点リーダを使う時は、「・・・」ではなく、「…」を使います。二つ続けて「……」と入力することが多いようです。ただ二つ繋げるというルールは由来や出典が不明なようで、必ずこうしなくてはならないというものではないようです。いつの間にか広まった慣用表現と考えた方がいいのかも知れません。ちなみに三点リーダは「・・・」を変換すると「…」のように一マス分で入力できます。(2017/4/15に修行者様のご指摘で修正しました)
○二重鉤括弧『』は鉤括弧「」の中で鉤括弧を使いたい時に使用する。
○「!」「?」マークの後で改行せずに文章を続ける場合、一マスあける。
○セリフの末尾「」では、句読点をつけない。
○「─」で文を挟む場合は「ーいろはにほへとー」のように最初と最後に一つずつ使い、文を挟まず末尾に使うときは「──」のように偶数つないで用いる。ちなみに「─」は「罫線」を変換することで出てきます。
無論、このサイトでのフォームでは作法に従うと却って不自然になる、ということもあるでしょう。あるいは、演出上あえて無視する、ということもあると思います。それでも、一応基本はこう書く決まりになっているということを知っておけば無駄に我流に陥らずに済みます。
そういう訳で、
○文章作成の決まり事について、質問や紹介をする。
○あえて作法を無視するべきかについて、具体例を挙げて相談する。
また、応用編として
○どのように物語を作っていくか。
について、創意工夫や思うところも語って頂きたいと思います。
こうした意見交換によって、作品の質の向上に役立てていただければと思います。
皆さまお気軽に、かつ礼節を持ってお願い致します。
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修行者様、文章はリズム、深いですね。
確かに読んでいて気持ちよくなるような文章はありますね。
そこまでの域になるには日々精進なのかなあとも思います。
細く長く続けていけばいつかアワードもとれることもあるかも・・・そうなりたいですね。
さて、「怪談における演出」私は少し違う角度から提唱したいと思います。
私は、故「中島らも」さんが好きで、エッセイなどをよく読むのですが、彼が「なにがおかしい」という笑いに対して著述した本によると、らも氏がギャグを作るときに使った手法、これが「シュールレアリスム」という手法だそうです。
この概念の一番もとになっているのは、ある一編の詩で、
「手術台の上のミシンと蝙蝠傘のように美しい」
という一説だそうで、
「到底巡り合いそうもないものとものとの出会い」
とのことです。つまり
「異なるものと異なるものとの出会いによって生じる爆発的インパクト」
「あるべきでないところに、あるべきでないものが出現するインパクト」
と言えるそうです。
らも氏は、この手法で作り上げたギャグで関西お笑いの一時代を築きました。
初期のダウンタウンの松本さんは、明らかに彼の影響を受けています。
さて、この手法を怪談に使う事は出来るでしょうか?
先ほどの説明で重要なものは
「どこで何と何が出会うか」
つまり
①場(シチュエーション)
②出会う物(一つは怪異)
③もう一つの出会う物(多くは主人公)
です。この三つを意識したらどうでしょう?
また、あくまで読み物ですので、私は演出という意味では
④ナレーション(文章)
を入れたいと思います。
つまり、主人公たちが怪異を前に、大いに動揺している。大声で騒いだり、次にとる行動で、お互いに意見が異なって喧嘩したり、一緒にいた仲間が何かに取り憑かれて、異常な行動をしめす。
こういったときに、わざとナレーションを淡々と書いて、登場人物たちの異常行動を際立たせる、といった使い方です。
そうなんです。
「文章はリズムだ!」と書いてあるのですが、実践が難しい。
では、仮にヒットチャートのような詩に文章を載せたらリズミカルな文章になるのでしょうか?
試しに、プリンセスプリンセスの「M」の歌詞に載せてみましょう
いつも一緒にいたかった
あいつがだまして奪った
季節はまた変わるのに
心だけ立ち止まったまま
あいつを呪う毎日に
少しは慣れたつもりでいたのに
どうしてこんなに効果が無いの?
もうかなわない呪いなら
あいつを殺す準備だけ したいよ
今から 殺しに行く
あいつの背中 手首の静脈 首にナイフさして
so once again
シャケを鉈でさばくように
はらわた出して 下劣な女の
戻って あのときの あなたに
うん、こういうのを「怪文書」もしくは「悪趣味な替え歌」といいますね。
プリプリファンに怒られる前に、悪ノリはこのくらいにしておきます。
修行者様、ご無沙汰です。
「色彩感情やリズム」
「文は音楽にとても似ている。繰り返しとサビ。緊張、弛緩、緊張、弛緩、緊張、弛緩・・・・・・そして逆転」
なるほど、物語は一種の音楽のようにとらえることができるんですね。
大事なのはリズムですか…。リズムとは言っても、一つ一つの文章レベルから、パートごとのリズムもありそうです。一文レベルの話は論点が細かくなるので、パートごとについて考えてみます。
映画にしろ小説にしろ、パートごとに緊張と安堵がくり返され、最後に恐怖の存在が待ち受けていると怖い思いができそうです。「呪怨」などはそうしたテクニックが明確に使用されてるように感じます。怪物がずっと出っ放し、緊張しっぱなしでは視聴者や読者は慣れてしまいますから、メリハリを持たせるということでしょうか。
ただ例外もあるようです。例えば作者は存じませんが、「ヒッチハイク」という怖い話があります。この話では、ずっと恐怖の一家が主人公たちと大部分の時間を共にします。この場合、この狂った一家の怖さがじわじわと、延々と押し寄せてくるのですが、この話の場合はいつどうやってこの一家から逃げ出すのか、逃げ出せるのかというハラハラ感が話を盛り上げているように思います。
すると波がいくつも押し寄せるタイプと、ひたすら収束に向かって突き進む怒涛型があるということでしょうか。う~ん、難しい。
映画には
「1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ」
という言葉があるそうです。
これは、映画作りには
1スジ
筋書き、ストーリーの巧みさ、面白さ
2ヌケ
画面がきれいにぬけていること。映像の美しさ、技術
3ドウサ
役者たちの動き
が必要だ、という事です。
これは、このまま創作怪談に当てはめると
1プロット、ストーリー
2演出、文章
3キャラクター
と言えると思います。
私もこの順番が最も大事かと思いますが、では、この「文章による演出」やはりセンスに関わる部分で、小説のノウハウ本もやや抽象的です。
「文章は、たんに説明だけではなく、それ以外の色々な要素ー色彩感情やリズムを読者に与えて、あたかも、様々な陰影が、オーケストラにおける各楽器の混然一体となって一つの演奏をしているようなものであるといえよう」
松本清張【推理小説入門】
「文は音楽にとても似ている。繰り返しとサビ。緊張、弛緩、緊張、弛緩、緊張、弛緩・・・・・・そして逆転」
「理屈ではない味わいやリズムこそが実は、読者に快感を与えていて、作品の底辺に流れる、本当の魅力だったりする」
木村祐一【きむら式童話のつくり方】
「小説を読んでいて、内容がスラスラ頭に入ってくるなあという文章と、何度読み返しても自分の中に絵が浮かび上がってこないという文章があるとすると、この二つの文章の1番大きな違いは『リズム』だと私は思っています」
大沢在昌【売れる作家の全技術】
ね?皆様言っていることがてんでバラバラ・・・・・・リズムですってよ。リズム
ラグト先生、コメントありがとうございます。
一昨日あたりから他サイトで投稿してる話の山場を一つ書き終わって、しばらく放心状態でした。
①実話っぽい
おっしゃる通り、実話らしさが怖さを引き立てるのは確かですね。「現実に起こった」または「現実に起こりそう」、そんな話は読者が内容をより身近に感じることができますから。「このエピソードは自分の日常の延長上にある」と感じさせることが肝になりそうです。ラグト先生はもちろんですが、綿貫様や群青様はそのあたりが実にうまいですよね。
どのように実話らしさを出すのかは難しいところですが、「ごくありふれたものを題材にする」、「会話もごく日常かわすような言葉を使う」などでしょうか。
ちなみに僕はこの辺が一番苦手です(涙)。え? 僕の得手不得手など聞いてないって?
②分からない、解決しない
ああ、これはあかんやつですね。このパターンは怪奇性が最も高いように思われます。そしてBAD ENDが多い(気がする)上に、一応事件が収束しても本当に終わったのか分からないところがなおさら不安をかきたてます。
しかし一方で「分からないからこそ引き込まれる」という好奇心を引き出しているようにも思えます。「怖い。でも知りたい」、逃げればいいのに進んでしまう、などのハラハラする展開もこのパターンにはよく適合しそうです。
③人知を超えた存在
ああ、これは本当にあかんやつや(笑)。ボギャ貧ですみません。これはもうお手上げの展開ですね。最近「ぼぎわんが来る」というホラー小説を読みましたが、まさにこれでした。
「訳が分からない、しかも容赦ない」というのはホラーの王道だと思います。初期の「呪怨」はこういう怖さがありました。今となってはもう…。いや、いいです。
僕はとあるラノベで「怪物は言葉を話さない」「怪物は姿を見せない」「怪物は死なない」という怪物の三要素についての一文を読んだことがあります。
まあ確かにそうかもしれませんが、これをすべて備えた化け物をつくるのは難しい。でも二つなら、あるいはこのうちの一つでも徹底していれば割と怖い存在を作り出すことは可能ではないかと思います。これらのどれか一つでも完璧に備えていれば、いずれも人知を超えた怖さがあると思います。
例えば
「言葉を話さないし姿を見せないし死なない」存在としては、ポルターガイストや雪山の山荘の「スクエア」。
「姿を見せないし死なない」存在としては難しいですが、例えば幻聴や見えない霊の囁きなどでしょうか。
「言葉を話さないし死なない」存在としては、貞子や伽椰子、ジェイソンなど。
どうでしょう。これら「言葉を話さない」「姿を見せない」「死なない」の三つ以外に条件があれば怖い存在のバリエーションを増やせるかも知れません。
今日はとりあえずここまでで…zzz
怖さの演出、このサイトでの怖い話の受け取り方は多種多様ですが、一般的ないわゆる怖さということで考えると私もいくつかありますね。
少しだけまとめてみますね。
ただし、私のお話をもとに解説するものもありますので、ネタバレが嫌という方はここでこれ以上は読み進めないでください。
①実話っぽい
私の書く怖いお話は皆さん大体感じておられるでしょうが、実体験を織り交ぜた話もあれば全くの創作のお話もあります。
でも、実話っぽいとその恐怖が身近に感じられてより怖さが際立ちますよね。
ここで重要なのが実話っぽいというのは実話をそのまま描いてしまうとむしろ嘘っぽいことがあるので、皆が理解しやすいように修正することも含まれています。
私の書いたお話にも実際にそういうお話がありました。
黒川先輩シリーズのエピソード21「人間は愛しき災厄とともに」
このお話で父親の霊に憑りつかれて精神的におかしくなってしまった玲さんという女性のことを書きましたが、このお話の心霊的な背景は実はもっと非常に複雑で難解でした。そのためお話として実話っぽく分かりやすくするためにかなり修正を加えています。
②分からない、解決しない
これはいわゆる怪異や怪事件の全容や発端が明かされないというパターンです。
人は未知の部分にはこう言い知れぬ不安や恐怖を感じてしまうのでこれも有効な演出方法だと思います。
ただし、あまりに未解決の部分が多すぎると手抜きに感じてしまうこともあるためバランスが非常に難しい演出だと思います。
黒川先輩シリーズのエピソード16「白彼岸の呼び声」なんかはまさにこのパターンです。
でも、これはあくまで個人的な意見ですが、明かされないとはしても作者自身はその真相を把握していた方が未解決部分のバランスがとりやすくなるような気がします。
この辺は伏線と同じではないでしょうか。
③人知を超えた存在
これはいわゆる神様や伝説的な悪魔や妖怪、都市伝説などのことです。
人の手ではもはやどうにもできない、いわゆる祓えない怪異に対する恐怖というものはもはや絶望的なものになると思います。
黒川先輩シリーズのエピソード19「視えない視界」ではそれを逆手にとってそんな怪異からどのように生還する、切り抜けるかを描いていますが、それも面白さにつながると思います。
・・・得意げに書いてみましたが、特に際立つものはありませんでしたね、すいません。
他の作者様のご意見もぜひ聞いてみたいです、よろしくおねがいします。
あっ!!待て~!!
(生暖かい視線)♪
ロビン先生、おはようございます。
昨日は麻婆豆腐食べてきましたよ。激辛ではありませんけど。
ご提案の執筆陣の方々とは以前にも組んだことがありますし安心感ありますね。では僕はプロローグ担当で何か起こりそうな場面で退散させてもらいますかね(笑)。
修行者様は結構シリアスな話もいける方ですから「⑥解決」も余裕でしょう。やるならやるで完成度の高い話にしていきたいですね。
というわけで、修行者様の「怪談の物語の展開(特許出願中)」についてご解説たまわりたいのですが、ご本人はお仕事か家族サービスでお忙しいようです。
そういう訳で少し細かい話に移りますが、「怖さの演出」については皆さんどういうお考えでやっておられるのでしょう。怖さの種類も色々あるようですが、それぞれに合った方法があるはずですよね。
次はそれについて少し話をしてみたいです。
ゴルゴム先生、おはよう御座います。そしてお疲れ様です。今日も通常営業貧乏暇なし、泣く子も黙る激辛麻婆豆腐、宵越しの金は持たないが宵越しの疲れはたんまりと溜まっております、気づけばアラフォーのロビンミッシェルです。
やはり⑥の「解決」が、リレー作品の場合総括しなければならない点で言うと役目としては一番恐ろしいポジションですが、①、②、③の何処で読み手の興味を引かせるか、特に物語の核を左右する②「背景」は、実質一番重要なポジションの様な気もします。
なので、①、②はラグト先生、もしくは綿貫先生、③は読者を不安にさせる事がお得意なよもつ先生。
④、⑤は皆殺しの家で、凄惨な描写で皆さんを震え上がらせたゴルゴム先生しかいませんよね…ひ…
⑥は修行お兄様として、ロビンはやはりエピローグ辺りが妥当かなと…ひひ…
修行者様、GWですし家族サービスでお忙しいんでしょうかね。ひょっとしたら新作のプロットでも練っておられるのでしょうか(笑)。そういえばGlue様も最近お見掛けしませんねぇ。いったいどこへ…。
ところで僕は今日も休日出勤。とほほ…。中華料理でも食べに行きますかね…。
そういえば、奇才、glue様も最近お見かけしませんね?ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘どこだー
あれれ?修行お兄様がいないですね?ま、まさか!リレーのアンカーと聞いて逃げt…ひ…ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘まてー
おお、ロビン先生!!
修行者様もラグト先生もコメントありがとうございます。
楽しかったですよね、お祭リレー……(涙)。
考えてみれば、以前のリレー小説も皆さん「起・承・承・承・承・転・結」または「①導入(つかみ) ②背景、人物説明 ③予感 ④怪異 ⑤危機 ⑥解決 ⑦エピローグ」をしっかりやっておられたように思います。
ですのでもし次にやるとすれば、予め登場人物とその立ち位置などをもっと細かく決めておくのはどうでしょう。
展開や背景も完全にお任せではなく「夢落ちはなし」「BAD ENDにする」みたいな約束事を作るなどして。自由度は下がりますが、どうなんでしょう。
ああでもまた荒れたりすると嫌ですね…。百物語、厳重注意を受けておられたのですか? それは存じませんでした。
怪談師様、本当にどこへ行かれたのでしょう? 僕も心配しております。いつか颯爽と戻って来てくださると信じてはおりますが。
とりあえずここの議論(?)に一区切りつけませんと。ぐだぐだだから区切りなんて付かないよと誰かの声が聞こえそうですが聞こえません(笑)。
はっ!!
スレの趣旨とズレた発言をしてしまい申し訳ありません!い、今のは僕のひとり言として受け流して下さいまし…ひ…
まーつりだ、まつりだ、祭りだ、こわばあーなあーまああーつうううっりいいいい♪♪
やあ最近過去のお祭り企画(リレー作品、掲示板リレー、祝祭、カラス、エレベーター、百物語、一行怪談、よもつ先生作品オマージュ祭り等) を読み返しながら、感慨に耽る時間の多くなったロビンミッシェルだ。
そろそろ何かやりたいですねー。あの頃とは面子も変わってしまいましたが、新しいお友達も増えましたしw
今ならフレール先生やにゃにゃみお姉様、プラタナス様とかも参加してくれるかも?雪姐やろっこめ姐に、いさ兄、月舟兄さんも誘っちゃったりなんかして…ひひ…
沙羅姐とまりか姐と紫音姐はこっちに置いといてw(よっこらしょ)
最近ご無沙汰のおでん屋先生、こげ姐、コノハズク先生、綿貫先生、小夜子姐さん、紺野先生、お元気ですかー?
百物語系は厳重注意を命じられておりますので難しいですが、リレーとかはまたやってみたいですねー。もちろん次のアンカーは修行兄様ですけどね…ぼそり…
怪談師様… ああ、怪談師様、何処へ?…ひ…
ゴルゴム先生、掲示板リレーとか久しぶりにどうですか?んー、でもお手軽といえばお手軽なんですがアレは自由過ぎて「超絶カオス展開」になるのがたまにキズですよねw 楽しいですが…ひひ…
ただ、前にやった時に思いましたが、掲示板リレーは編集作業がエゲツない程大変です。確かあの時は夢の中でも編集してましたよw
まあ、それも修行兄様にお任せするとして…
んっ?
こんな時間に誰か来たようです。(^ ^)
寝ます
さて、
「物語」が「登場人物が葛藤の末に欠損したものを獲得する話」
だとすると、
「怪談」は、「読み手の恐怖心を喚起する話」
ですね。
で、その感情を動かすことがメインの話、どちらかというと、「ストーリーテリング」の技術より「コント作成」の技術に近いものを感じます。
ただ、今手元に「コントの作り方」みたいな本はありませんので(逆に「怪談の作り方」っていうドストレートな本もないんですよね。私たちはフロンティアを切り開いているのかも)、違うアプローチで、「童話の作り方」を参照したいと思います。
「童話」も、子供の心に残るように作家先生たちが創意工夫をされているのですが、前述の木村祐一氏が「きむら式童話の作り方」で述べているところでは、童話は
「起・承・承・承・転・結」
が基本だそうです。
例えば、
【起】
むかしむかし、お婆さんが川で洗濯をしていると、川上から桃が流れてきて、桃の中から赤ん坊が出てきた。成長した赤ん坊はお婆さんに黍団子をもらうと、鬼ヶ島へ鬼退治に出かけた
【承1】
桃太郎が歩いていると、向こうから白い犬がやってきて、黍団子と引き換えに桃太郎の家来になった
【承2】
桃太郎と犬が歩いていると、向こうから猿がやってきて、黍団子と引き換えに桃太郎の家来になった
【承3】
桃太郎と犬と猿が歩いていると、向こうから雉がやってきたが、団子ごときでは中々買収に応じない。そこで猿と一夜を共に過ごすのを許す事でやっと家来になった。
おかげで猿は今でもお尻がまっかなんだと。どんとはれえ。
【転】
鬼ヶ島にたどりついた桃太郎一行。
雉は鬼の眼を突き、犬は咬みつく、猿は引っ掻くで、鬼たちをさんざんに苦しめた。
さしもの鬼の大将も降参し、桃太郎たちは鬼たちの宝物をどっさりと持ち帰った
【結】
「ところで、極貧の村から鬼たちが強奪したにしちゃ、この宝物たち、豪華すぎじゃね?」
桃太郎が気付いた時、背後から忍び寄った村長の鎖鎌が、桃太郎の頸動脈を深く切り裂いていましたとさ。
めでたしめでたし
これが子供向けの昔話、童話の流れですよね?
また、
宮沢賢治の「注文の多い料理店」は、迷い込んだ店で、
「髪をとかせ」「服を着替えろ」「顔にクリームを塗れ」
ときて、注文をしているのではなく、されているのだ、という展開ですし、
「3匹のヤギのがらがらどん」も、
「小さいヤギ」→「中くらいのヤギ」→「一番大きいヤギ」
という流れですね。
他にもわんさとありますが、基本的に、童話は、
「起・承・承・承・転・結」
の流れを持つ、というのが一般的だそうです。
さて、では怪談は、という目で見た時、評価の高い作品には、ある傾向があるように感じました。
では、私が感じた怪談の物語の展開(特許出願中)とは・・・・・・!!
本当に①~⑦の構造がほとんどですね。
あらためて解説していただくと興味深いです。