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トクシーとは、徳島県で目撃された水棲の未確認生物(UMA)である。

徳之島の母間沖に現れることから、トクシーと名付けられました。ネッシー風の名前をしておりますが、特にプレシオサウルスに似ているというわけではなく、とにかく巨大な魚だといわれています。

一説には1~3トンもあると噂されていますが、もちろん捕らえて重さを量ったわけではなく、具体的な特徴も分かっていません。
その正体は、巨大なアラではないか、ともいわれています。

アラは幻の魚といわれるほど数の少ない魚ですが、頭部と口がとても大きく、正面から見ると、本来の大きさよりも大きく感じるかもしれません。そのため、巨大なアラを目撃した人が、恐怖や誇張が入り混じり、1トンもあるほどの大きな魚を見た、と伝えた可能性も考えられます。

この生物が初めて目撃されたのは昭和54年5月頃。
徳之島母間沖サンゴ磯を根城に600キロ程もある幻の大アラが居ると言う噂が大島郡内や全国の磯つりマニアの話題となり騒動の始まりとなった。

この騒ぎを取材した地元新聞社によれば、地元の人も過去そういう大魚が目撃された事があるという。

母間在住のTさんという40年くらい前80歳余りの老人によれば、下久志と井之川の中間の海岸でものすごい大きな魚を見たと言う話を聞いたことがあると証言。

また、母間の元郵便局長によれば、今から17、8年前に聞いた話であるが、母間港の中間辺りで、鱗の大きさが麦わら帽子位のものを見たと言う話を聞いたことがあると、証言したという。

こうした噂や過去の目撃証言等によってこの巨大魚の話題は地元で盛り上がりを見せ、ついにはこの魚を釣り上げようとする人々が現れた。

昭和54年、この巨大魚を釣り上げ計画を立てた奄美磯釣りクラブでは、会員140人を動員し、同年7月4日から一週間がかりで、釣り上げる計画を立てた。
その時この釣りクラブが発行したプリントには、次のような事が書かれていた。

①今から十年前ダイバーが海に潜っていた時、岩のような巨大魚に遭った。
魚が尾びれを動かしただけでダイバーはひっくり返ってしまった。

②7,8年前には、岸から約150メートルのところに浮かびあがったので、多くの人に目撃されている、
その大きさは人により証言が異なるが乗用車位だという人も居る。

③数十年前には実際に大きな魚が捕らえれている。重さ600キロもあり、腹の中から女物の下駄や着物がでてきた。この魚の子供が数十年生きつづけて、今時々姿を見せる巨大魚になったと考える人も居る。

実行委員会幹部は1977年の釣りの主要魚世界記録表や、地元の人の証言を検証した。
その結果、この魚は体長4メートル、重さ2トンの、大魚はマダラハタ、もしくはアカマダラハタと推定
そして、バールを元に地元鍛冶屋で特注の巨大釣り針を2本製作させその針で乗用車を釣り上げるテストをし、それに成功した。
さらに、釣竿はドラム缶8台の上にイカダを組、その上に動かっ車二個を組み、大きなワイヤを釣り針につける、
ウキはドラム缶4台にイカダを固定し、その上にウキの見張りが乗り、トランシーバで竿台上の人との連絡をとる、ウキの合図で手動で引き寄せるという、前代未聞の巨大魚釣り計画を立てたのである。
又、地元の人達はこれに応援支援チームを作る事により協力する事になった。
30名ほどで支援チームを作り魚を誘うため、巻きエサのウニを取ったり岸にやぐらを作る準備をした。

これらの釣り仕掛けに要した費用は、なんと一千万円。
この金額からしても、この巨大魚釣りにかけた地元民達の期待度が伺えるというもの。

6月の下旬になると、この大魚や、それを釣り上げるという計画が広まり、日本各地のメディアがこぞってこの大魚釣りの準備を見物に集まった。

そして七月。
満を持して、巨額を投資した巨大魚釣りが開始された。
この時、エサには豚肉を使用。釣りを行う釣りクラブのメンバーはもとより、押し寄せた大勢の観光客や報道関係者も、かたずをのんでその様子を見守った。
しかし、巨大魚は一向に姿を見せる気配は無かった。
特注の針や仕掛けもむなしく、時間だけがゆっくりと過ぎた。
一切の当たりが無い中、7月8日(旧暦の6月15日)の大潮の最中、たった一度だけ当たりはあったものの、これは後に鮫であったと言われている。
そして7月9日には、集まった人々の期待むなしく、釣りクラブはついに釣りの中止を宣言。1千万もの費用ついやした釣り仕掛けを、やむなく撤収せざるおえなかった。

この大アラ釣りを見ようと6日から8日までに集まった観客は、のべ一万人余りに及んだという。

それほどまでに話題になった巨大アラ事件が時代を経るにつれ、『トクシー』伝説へと変化していった可能性は大きいだろう。