カッパドギアは、トルコにある都市で、古代遺跡のオーパーツである。
トルコの中央部標高1000メートルを超えるアナトリア高原に100km²近くにわたって岩石地帯が広がる台地である。
キノコや煙突の如き奇岩が乱立し、巨岩がそびえる景観はまさに圧巻。この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されたといわれます。
1960年代に入り、村はずれの小高い丘の一角に、大きな口をあけた巨大な洞窟が塔叙あらわれた。
突然この洞窟が現れた理由はわからないが、村人はとにかく驚き内部を見たが、あまりにも奥まで続いていたので途中で引き返してきた。
その後、この洞窟に専門家達の調査が入った。
調査団が内部にすすんでいくと、そこに巨大な居住区広がっていたのだ。
都市の中心部には、垂直に空気の通風孔が開けられていた。各階層は通路でつながっており、通路のふしめには大きな丸い石がはめこまれていたという。
この丸石は勝てん扉となっており、敵が攻めてきたさいに転がすことによって侵入を食い止めるやくわりをしたとされる。
こうした巨大都市は“イェラルトウ・シェヒル”〈地下都市〉と呼ばれた。
こうした地下都市はのちに400か所以上も発見されているものの、現在でも全容は把握できていない。
その内、もっとも巨大なのはカイマクル、デリンクユ、オズコナークと呼ばれる3か所だ。
これら三つは他の地下都市の中でもずば抜けて巨大だ。
なかでも、もっとも巨大なのはオズコナークで、その地下都市はいまだに全て判明していなものの、現在まで11階まであることが確認されている。
その収容人数はなんと6万人ほど。これほどの収容人数を誇る地下施設を作ったことは、まさに、奇跡といえるだろう。
では、これらの巨大地下施設を作ったのは、いったい誰なのか?
一説によると、この地下施設が出来たあと、途中から住みついたのは迫害を受けてローマから逃げてきたキリスト教徒達であったという。
この時、ローマは暴君ネロの圧政が凄まじい時代であり、とくにキリスト教は目の敵にされ、ローマ中のキリスト教徒が殺されていた。
そのため、キリスト教徒はローマからこの地に逃れたあとも、その姿を外に見せる事はせず、ひたすら地下に隠れたまま、地下施設を拡張しながら暮らしたとういわれている。
しかし、調査の結果このカッパドギアが出来たのは今から5千年以上も昔の事。キリスト教徒達がこの地にやって来た時には、すでに建築から数千年が過ぎている。これほどの地下都市を作る技術は存在しないのだ。
この説明をするのに、もっとも適していると思われるのが、旧約聖書・創世記にでてくる一説だ。
ソドムとゴモラの古代都市に、硫黄と火が降り注ぎ、異常な大轟音と同時に、一瞬にして消滅してしまったとされる。
この恐るべき兵器は、その光を浴びるだけで髪と爪は抜け落ち、あらゆる生き物は衰弱して死に至ったという。
つまり、これは古代核戦争を示したものではないだろうか?
であるならば、この戦争が逃れるために、この地下空間がシェルターとして作られたとすれば説明がつくのだ。
また、カッパドギアの地下に無数に広がる巨大地下都市は全て一つに繋がっており、その地下に古代の超兵器が眠っているともされている。
それは、果たしていったい何なのか?
カッパドギアは、一体何の目的で作られたのであろうか?
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