シンガポールのブキッ・ティマ自然保護区に生息すると伝えられる大猿の未確認生物。
通常は英文(Bukit Timah Monkey Man)の頭文字を略してBTMまたはBTMMと呼ばれている。
ブキッ・ティマはマレー語の「錫の丘」を意味する。
目撃場所はシンガポール本島の中央部に広がる標高163.3mの丘陵地帯で、熱帯の原生林が残る地域は1883年から自然保護区に指定されている。イギリスの植民地時代から保養地として知られたが、近年は高級住宅地として開発が進んでいる。
ブキッ・ティマの猿男は長年にわたりシンガポールの伝説的な存在であった。世に知られるようになったのは比較的新しく、2007年にイギリスの未確認生物研究家カール・シューカーが著書『奇妙な動物の再訪』に取り上げてからだ。
夜行性で身長は1mから2m、毛並みは灰色で二足歩行が特徴だ。
1824年にイギリスの植民地支配が始まった当時のシンガポール島は、人口150人ほどにすぎなかった。土地の古老がブキッ・ティマの森に棲む直立歩行の大猿伝説を語っていた。
太平洋戦争開始とともにマレー半島を南下した日本軍は、1942年2月8日にシンガポール島に上陸した。11日にはブキッ・ティマで激戦が行われている。15日にシンガポールは陥落し、以後1945年まで日本の統治が続く。この間、詳細は不明だが日本軍兵士が大猿を見たという話が伝わっている。
その後の目撃情報はごくまれだ。
カール・シューカーの著書がきっかけで、2007年にシンガポールのタブロイド紙「ニュー・ペーパー」が最近の目撃情報を掲載している。
あるタクシー運転手は夜間に道路の真ん中で何かを跳ねた。彼は子供を轢いたと思ったが、ボンネットの上で呻いていたのは大きな猿だった。その猿は骨折した腕をかばいながら血を流して逃げていった。
霧深い早朝にバス待ちをしていた主婦は、ごみ置き場に誰かがいるのを見て近づくと、それは大きな猿で、奇声を上げながら二本足で逃げていった。
地元の老人は子供時代に自分や家族、友人や隣人たちも大猿を目撃しており、危害を加えないようにしていたと語っている。
2008年には中国語新聞「新明日報」のジャーナリストが捜索を行ったが、何も発見できなかった。
ブキッ・ティマ自然保護区はシンガポール市の中心から12kmの距離にあり、面積は16.4平方キロしかない。多くの人はこの環境で大猿のような未確認生物が生きながらえるのは不可能だと考え、自然保護区にいるカニクイザルを見間違えたと主張する。
カニクイザルは東南アジアの広い地域に生息している。社会性の強い動物で、通常は群で行動する。四足で長いシッポを持ち、体長も最大で55cm程度にすぎない。ブキッ・ティマの猿男とは形態が違うことから、この節は否定されている。
イギリスの未確認生物研究家リチャード・フリーマンは、2009年に大胆な仮説を発表した。フリーマンはブキッ・ティマの猿男を、インドネシアのスマトラ島に生息するオラン・ペンデクか、その他東南アジアで目撃されている未確認生物と同一と考えている。
シンガポール周辺にはオラン・ペンデク以外にもインドシナ半島のバツツット、インドにはニューデリーの猿男がいる。こうした生物が、かつて何らかの方法でシンガポール島に渡り、ブキッ・ティマに住み着いたのではないかとしている。
2014年8月、ブキッ・ティマの猿男とされる映像がYouTubeにアップロードされた。猿の着ぐるみを人が被っているにすぎないとの批判が出ているが、真偽は不明だ。
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