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生息地:日本列島各地
大きさ:約50センチ~150センチ
特徴:上半身は裸体の女性、下半身が魚体の半身半魚、幼児のような鳴き声
推測される正体:変体したサンショウウオ・ジュゴンなどの魚、突然変異の人間

人魚ほど、世界各国でミイラが発見されている生物もいないのではないだろうか。
日本では青森県八戸市、奄美大島、琵琶湖周辺、高野山などの全国各地に魅力的な伝説とともに存在している。
2013年に新たに注目されたのは、福島県の旧家の人魚である。酢の醸造を営んでいたこの旧家に働いていた奉公人が、故郷に帰るときの借金の形に「人魚のミイラだ」と言い残して去って行ったというのである。
それが明治の初め頃だというが、その人物が誰なのか、そのミイラの出所も今の当主にはまったく見当がつかないという。毎年、正月になると床の間に飾っていたそうだが、驚くべき話がある。
「奉公人から引き取ったときは髪の毛はもっとまばらだったのですが、正月を迎えるたびに増え続け、今のようにふさふさになったんです」。なんと、30年前までは髪の毛が伸びていたというのである。
ミイラの座布団下からは紙片が発見され、大正14年4月21日の日付で、その当時から髪の毛があるとの記述があることもわかった。
CTスキャンなどのコンピューター解析は行われていないが、専門家が調べた結果では、頭部はニホンザルなどの表皮で口は魚、胴体はカサゴなどの上にウロコを貼り付けたものではないかと推測している。しかし、髪の毛が伸びることに関しては未解明である。
この話を聞くと、不老不死の八百比丘尼の伝説を思い出すだろう。
福井県に伝わる人魚の肉を食べてしまった娘が、800歳を過ぎても美しいまま生き続けた不老不死の話である。最後は洞窟に入って行った悲しい伝承であるが、この福島県の人魚のミイラもよく見ると、悲痛な表情で目を見開いているという。
人魚はすでに「日本書紀」に記述があり、摂津の国(今の大阪)で漁師が捕まえたものが最古とされるが、かの聖徳太子も人魚に会った記録があり、「近江の国(今の滋賀県)で人魚に会って、手厚く供養した」とされている。
江戸時代にはオニやカッパなどどの妖怪画を描いた鳥山石燕の「画図百鬼夜行」にも人魚は登場し、江戸時代の文化2年(1805年)には越中沖(今の富山県)に打ち上げられた人魚を町民に知らせた瓦版も残るが、何者か明確に書かれているものはほとんどない。
その正体について、近年の有力説はジュゴンというものだが、日本では悪事を働いてす巻きにされた人間という説もある。いずれにしても、人魚姫や西洋画に描かれる色っぽいマーメイドとは趣の違う日本の人魚伝説である。