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「ムカデ」という言葉からどんな生物を想像するだろうか。きっと無数の脚が生え、クネクネと動きながら移動する昆虫を思い浮かべる人は多いだろう。では、「クジラ」という言葉からは何を想像するか。海に住んでいる大型の哺乳類だろう。それならば、その二つを組み合わせた単語「ムカデクジラ」というものを聞いた時にはどんな生き物を想像するか。「ムカデクジラ」は数ある未確認生物の中でも目撃情報が多く、その目撃情報は古代ギリシアまで遡るなど、はるか昔から人間を騒がしてきた未確認生物である。その容姿には諸説あるが、どの説にも共通するものが側面や背面に多数のヒレがあるというものである。サイズもまちまちであり、大きいものではアルジェリアで確認された45メートル程の体長のものであり、かなりの大きさまで成長する海洋生物であると言われている。最初に目撃されたのは紀元前3世紀であるとされ、テオドリダスという古代ギリシアに人物が座礁した海洋生物について言及しており、その海洋生物の外観はおぞましく、多数の脚がついていたと言われている。その後も紀元前120年ごろにも古代ギリシアで同等の生物の座礁死体が発見されたという情報がある。その大きさは約14.6メートルという巨大なものであったため古代ギリシアの人々は神聖なものとし、死体を神々へと捧げた。紀元後になり、古代ローマで活躍した作家クラウディオス·アイリアノスが2世紀に出版した「動物の性質について」に「ムカデクジラ」のような生物に関する記述されている。「ムカデクジラ」は古代ギリシアや古代ローマでは「スコロペンドラ」と呼ばれており、しばしば海岸で目撃されていたようである。アイリアノスによるとその外観は側面と背面にある多数のヒレに加え、ロブスターのような尾があり、毛だらけの大きな鼻もあったという。またアイリアノスは「スコロペンドラ」の容姿がムカデに似ていることから「オオウミムカデ」とも称している。その後、中世になり、再び「ムカデクジラ」に関する情報が出始める。フランソワ·ラブレーが1552年に発表した作品「第四之書」の第34章には「スコロペンドラ」が登場する。主人公であるパンタグリュエルが航海中の出来事を描いた章であり、旅の途中に巨大なクジラに襲撃されるシーンである。そのクジラは最終的にパンタグリュエルたち旅人に倒されるのだが、その生物は実はクジラではなく、多数の脚がある謎の海洋生物であったと描かれている。「第四之書」は物語ではあるが、同年代に活躍したギヨーム·ロンドレという博物学者が1554年に出版した「海の魚類について」という図鑑には「スコロペンドラ」が記載されており、その外観の図も載っていたことから当時の生物学では一般的に知られていた生物なのではないかと言われている。そのため物語に出てくる謎の海洋生物は実際に存在した生物をモデルとした可能性がある。また、日本でも「ムカデクジラ」に関する記載がされている学説書が存在する。貝原益軒という人物が1709年に出版した「大和本草」にはそれまでに知られている「ムカデクジラ」と同じ外観を持つ海洋生物が記載されており、柏原益軒は自身で直接調べた生物だけを記載していたため、「ムカデクジラ」を実際に見たのではないかと言われている。「大和本草」は西洋からの生物学書が輸入されるまでは最高峰の学書とされていたため信憑性は高い。1800年代後期には2件ほどの「ムカデクジラ」ではないかと言われている生物の目撃情報がある。ベトナムで目撃されたものはそれまでの「ムカデクジラ」とは少し違い、シーサーペントのような外観で甲殻の外皮がムカデの脚のように見えたため、現地の言葉で「ムカデ」を意味する「コンリット」と名付けられている。実はこの「コンリット」という名前もベトナムで古くから伝えられている海洋生物の名前から名付けられたものであり、ベトナムでも古来から「ムカデクジラ」の様なものが確認されている。1899年にはアルジェリア近海を航海中のイギリスの軍艦ナーシサスの乗組員が30分以上にわたって多くのヒレを持った海洋生物を目撃している。この生物は体長45メートルで軍艦と並行して泳げるほどのスピードを持った生物であったと言われている。
古来から目撃情報が多くある「ムカデクジラ」。ここにあげた情報以外にも多くの文献に記載されており、「ムカデクジラ」は現在も未確認生物とはされているが、実際に存在する可能性は高いのかもしれない。一説には甲殻に覆われたクジラではないかと考えられており、「ムカシクジラ」という原始的なクジラの化石にはウロコのようなものが多く見られていたため、原始的なクジラの一種ではないかと言われている。