1926年、トルコにあるイスタンブールトプカプ宮殿博物間で、一枚の地図が発見された。
それはガゼルの羊皮紙に大西洋を中心に描かれた航海図で、周囲にはイベリア半島、アフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、南アメリカから伸びる謎の陸地が描かれていた。
この地図の来歴ははっきりしている。オスマン帝国の海軍軍人ピーリー・レイースが1513年に作成したもので、当時の最新の地理知識によって描かれたとされているのだ。
ところが、それにしてはいくつか不可解な点があった。まず1513年といえば、コロンブスによるアメリカ大陸発見からまだ間もない時期だ。にもかかわらず、地図に描かれたアメリカ大陸の海岸線は非常に詳細なのである。はたして当時、それだけ正確な測量が可能だったのだろうか。
そんなピーリー・レイース地図に興味をもったアメリカの古地図研究家アーリントン・マラリーは、米海軍水路部の協力を得て、この地図を分析してみた。分析を進めるうちにマラリーはある事実に気づいた。ピーリー・レイース地図に見られるひずみ具合が、地球という球面を上空から見るとき便利なように、米海軍が第二次世界大戦時に作成した地図と非常によく似ていたのだ。地図そのものも現在の正距方位図法という投影図法で作成されている。これは主に航空用に使われる地図で、距離と方位の正確さを保つために地形が端にいくほど歪むという性質があるのだが、ピーリー・レイースの地図は、まさにこの図法そのものなのである。そこでマラリーは、この作成法に基づいて古地図を再分析してみた。するとそれは、エジプトのカイロ上空から地球を計測したときの地形と、ぴったり一致したのだ。飛行機の存在しなかった16世紀に、どうしてこのおうな地図が作成できたのだろうか。
さらにその後、アメリカ、ニューハンプシャー州立大学のチャールズ・ハブグッド教授によって、ピーリー・レイースの地図最大の謎ともいうべき事実が明らかにされた。なによりも奇妙なのは、南アメリカの南の陸地がさらに東に伸び、大西洋の南にアフリカ大陸の下に周り込むように描きこまれている点だった。
これはいったいどこなのか?もしかすると、南極大陸ではないのか?
異説もあるが、南極大陸の発見は1818年とされている。陸地の正確な地図化は1920年のことである。さらにその海岸線は、南極が氷結して厚さ1600メートルもの氷に覆われる以前のものだったとされているのだ。これは20世紀になってようやく知り得た事実である。古地図には当時、未発達だったはずの南極大陸のウェッデル海からクインモード・ランドにいたる海岸線が描かれている。しかもそこには1956年の音波探知機による調査で初めて確認された氷の下の山脈と、その高度まで記されていたのだ。実はこれこそがピーリー・レイースの地図がオーパーツと呼ばれる最大の理由だ。
だが、それにしてもなぜ、ピーリー・レイースは南極大陸の存在と、その正確な海岸線を知ることができたのだろうか。
ピーリー・レイースは地図作成の際、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の時代から伝わる資料などを参考にしたと描かれてあるという。この資料がどんなものだったかはわからないが、もしかするとそこには、失われた古代の叡智が含まれていたのかもしれない。
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