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標高3000メートルもの山中で、9世紀頃に築かれたインカのマチュピチュ遺跡。1911年に発見されるまで歴史の中に埋没していた。山裾からは、その存在が確認できないことから「空中都市」の異名をもつ。そのため、幸運にもスペイン人の侵攻を受けることはなかったが、16世紀半ばに、放棄されてしまった。
この遺跡には、巨石がふんだんに使われている。「インティワタナ」と呼ばれる祭祀所に立つ高さ約2メートルの石柱は土台石と異なる石を隙間なく接着してある。王族の墓所ではないかといわれている巨石に洞穴をうがって造った空間は、階段状に切り出された石材の奇妙な形が印象的だ。
巨石を切り出した採石場は、約600メートル下の険しい渓谷の中にある。他の遺跡同様に、加工技術や運搬方法などについて謎は多い。また、なぜこの高所に都市を建設したのか目的自体も不明で、多くの謎を突きつけている。
古代人はいったいどのような方法を用いて、巨大な岩を組み合わせ、精巧な遺物を創りだしたのだろうか。現在のところ、主流となっている説は人海戦術だろう。数千という単位の人間を集め、銅製の道具を追懐、長い時間をかけて巨大建造物を造ったという考えだ。
しかし、論理的に考えても、それはほとんど不可能だと思われる。遺跡で用いられているのは非常に硬度の高い岩石がほとんだ。せんりょく石や安山岩、花崗岩といった種類の岩石を、簡単な道具だけで自由に成形できたとは、とても考えられないのだ。例えていうなら、鉄製のベアリングをカミソリで切るようなものだろうか。
また切り出した岩を、遺跡建築現場まで運ぶ手法についても、不明点は極めて多い。
今のところ、多くの科学者の見解は、丸太を何本も地面に並べ、その上に巨石をのせて何千人もの人間がロープで引っ張る形で運搬を行ったというものだ。
しかし、よく考えてみてほしい。遺跡が存在するのは平坦な場所ばかりではないのだ。3000メートル級の高山に築かれていたりする、そんな場所で丸太により運搬法がとられたとはとても思えない。
探検家のP・H・フォーセットは、かつてブラジルのマットグロッソを旅行中、現地人が硬い岩を形成するのに、特殊な植物の樹液を使って表面を柔らかくしてから作業しているのを目撃したと、日記に記している。小さな岩の塊なら、こうした方法で成型が可能かもしれない。しかし人間の何倍もある巨大な石の場合、その成型方法もおのずと異なってくるはずだ。
マチュピチュの随所にも精巧な巨石加工の跡があり、それらの巨石運搬技術の謎もまだ解明されていない。アンデス文明の遺跡の特徴である、巨石を自在に切断し、成形してくみ上げる石造建築技術はどのようにして生み出されたものなのか。そしてこれらの巨石群を、はるか遠方の採石場からどのようにして高い山頂まで運び上げたのか。
ところでオリャンタンボ遺跡で、切断途中とみられる石の一部が発見された。かつては巨大だったとみられる石が3分の1ほどに切られ、その表面が滑らかな切断面となっているのだ。平らな切断面からみても、かなり精密な工作機械を使用した片鱗がうかがえる。その工作機械とは、金属製のバズソー(回転のこぎり)のたぐい、もしくは鋭い刃をもった線状のこぎり、また飛躍するが、レーザー光線装置だった可能性も否定できない。
古代人たちは、われわれの想像を絶する高度な技術を必要とする工具をすでに開発し、実用化していたのだろうか。