ポンペイ遺跡のモザイク画

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ポンペイ遺跡のモザイク画とは、イタリアのポンぺイ遺跡で発掘されたオーパーツである。

ポンペイとは、紀元79年にベスビオ火山の噴火によって滅び去った古代都市だ。

かつて、貿易で栄えた町の守護者は美と恋愛の女神ウェヌス。
多くの娼婦の館などが発掘され、ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、現代ではポンペイは快楽の都市とも呼ばれている。
ただ、この町は商業も盛んな港湾都市である一方で、火山噴火まではぶどうの産地であり、ワインを運ぶための壺が多数出土されていることから、主な産業はワイン醸造とその貿易だったことが伺える。

この美しき都市が終わりを告げたのは62年2月5日。
ポンペイを襲った激しい地震により、ポンペイは大きな被害を受けた。
しかし、それでも町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業が終わろうとした79年8月24日の午後1時頃、近郊のヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けはじめた。

その翌25日、噴火から約12時間後の噴火末期になると、ついに火砕流が発生。猛烈な勢いで押し寄せた砕流に飲み込まれ、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まったのだ。

噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の多くが火砕流発生前にローマなどに逃げたが、これら一連の災害により、地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、何らかの理由で街に留まった者の中から逃げ遅れた者約2千人が犠牲になったとされている。

この噴火によって壊滅した後、二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ続けた。
また、土木作業の最中に古代の品が発見される事もあり、この下になんらかの都市が埋まっているのではという噂が流れていた。

その後、19世紀に入り、発掘作業が開始。都市伝説と思われていた幻の美しき都市は、火山灰の下からその姿を表したのである。

発掘後、ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発見され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっているのだが、驚くべきはその保存状態の良さだった。
この理由は、、この街を襲った悲劇にあった。西暦79年8月24日、町の北西 10 km にあるヴェスヴィオ火山の噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込んだため、当時の人々の生活をそのままの状態で保存したのだ。

そんな美しい絵画群の中で、ひときわ異彩を放つ奇妙な画が発掘された。
その画は、ポンペイにある『医師の館』とよばれる邸宅跡で見つかったものだが、その画の内容に研究者達は驚きを隠せなかった。

そこに描かれていたのは、アフリカを流れるナイル川の様子を描いたものである。
赤道直下の狩猟採集民であるピグミー達がナイルの川中で狩りをしているのだが、その画の中には、今から約2億50000年前に生息していたディメトロドンらしき生物と、カバのような体にワニのような頭をもった謎の巨大生物が描かれていた。

このカバの様な生物は、同じく古代ローマに紀元前1世紀に建築されたパレストリーナで発見された『ナイル・モザイク』という奇妙なモザイク画でも同様の生き物が描かれているのだ。

これらの符合が示す事実とはいった何か?
謎は深まるばかりである。