エル=バウル記念碑27号「球戯者の石碑」とは、エル・バウル遺跡で発掘されたオーパーツである。
発掘された石碑の中に、エル・バウル記念碑27号「球戯者の石碑」は一見、顔は猿に似た動物で体は人間。
だが、目の周囲がのぞき穴のような窓と、それが肩まで覆うヘルメット。また、そこからはチューブが出て、背中の「タンク状装置」に連結している。口に当たる開口部からは、炎らしきものが吹き出しているため、一説ではこれは宇宙人の姿を模したものだと言われている。
この遺跡が発掘されたエル=バウルは中央アメリカはグアテマラ南部高地、太平洋岸斜面、エスクイントラ地方の南部にある先古典期後期から古典期にかけての遺跡。
長期暦で、7.19.15.7.12?.12(紀元37年)の日付のある1号石碑と古典期中~後期(A.D.400頃~900頃)のコツマルワパ(cotzumalhuapa)様式の7号、27号、30号、50号石碑などで知られる。
7号には、「2の猿」「6の猿」といったメキシコ風の日付けが刻まれている。
1942年に、エリック・トンプソン(Thampson,J.Eric.S.)によって発掘調査が行われ、1948年にカーネギー研究所より報告書が刊行され、当初、古典期後期に位置づけられた。
(以上wikipedia)
問題のオーパーツは27号で、球戯者の石碑と名づけられたものだ。
その特徴を纏めると以下の様になる。
・猿に似た動物で人間のような体つきだが、目の周囲がのぞき穴のような窓になっていて、それが肩付近までを覆うヘルメットのように見える
・ヘルメット状のものからチューブのようなものが出ていて、背中のタンクに似たものに繋がっている。
・のぞき穴から中をのぞくとマヤの神らしき存在の眉や鼻、口などが確認できる
・口と思われる開口部からは炎に見えるものが噴出している。
一般的にこのレリーフはマヤの球戯を描いたものであり、人物は猿かフクロネズミの皮をかぶっていて、口からみえるのは炎ではなくて抽象化された水、といわれている。が、一部の研究者は例えるなら異星人を見たマヤの人々が理解できないままに見たものをそのまま写し取った、とは考えられないだろうか、と指摘している。
しかし、これは本当に宇宙人の姿を模したものだったのだろうか?
仮に異星人をみたものを図案化したのだとしたら、図案化されたレリーフがこのひとつ以外見つからないのはどう考えてもおかしい。
もっと多数のレリーフが彫られていてしかるべきではないか。
ちなみにこのレリーフはコツマルワパ様式と呼ばれる。
この様式の特徴は、骸骨や人体模型のようなレリーフ、球戯や球戯者に関連する図像、アステカにつながる系譜をなすメキシコ中央高原の神々の図像である。
図案もコツマルワパ様式、マヤの神話に照らし合わせれば納得いくのではないか。
まず、アステカの「花と愛の神」として知られるショチピリの原形としての「太陽神」がみられる。
・太陽神=「球戯場」でとうもろこしの神として現れ、球戯に関連する石彫に刻まれる。
・この太陽神は「猿の日」の守護神であり、猿が象徴するのは快楽や欲望をである。
・ショチピリの妻であり大地母神であるショチケツァルも娯楽、生殖、球戯の守護神である。
・コツマルワパの石彫は、宇宙を象徴する球戯とそれに伴っておこなう人身御供によって、自然のサイクルの永続と豊饒をもたらす神々を支えるというアステカにつながるような宗教観があったとされる。
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