中国の衛星撮影地図とは、中国で発見された2100年前のオーパーツである。
この地図が発見されたのは馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)
湖南省長沙にある紀元前2世紀の墳墓であり、利蒼( 紀元前186年)とその妻子を葬ったといわれる墓である。
1972年に発掘が開始され、利蒼の妻の遺体が未だ生けるが如き見事なミイラ状態だったことで知られ、その技術力の高さは中国随一であったことが伺われる。
また副葬品にも貴重な工芸品や帛書が含まれ、中国古代史研究にとって多くの重要な資料を提供した。
ここで発見されたのが、「長沙国南部図」とよばれるもの。
この地図の驚くべき点は、その精巧さである。
現在の湖南省南部の瀟水流域とその周辺にあたる。 幅50センチメートルの帛を2枚つなぎ合わせた一辺96センチメートルの正方形で、縮尺17-19万分の1。描写の中心となる部分では精度が高く、現在の測量技術はもとより、衛星写真で撮影された地図と寸部違わぬ精度で描かれている。
同地図を保管している博物館の管理者の教授によれば、この地図の現本は、数千年前人口衛星から撮影した写真を元に作成されたと主張。
しかし、当然この時代に衛星写真が存在するわけがない。
ならば、空中写真はどうかといえば、それも難しい。そもそも、写真撮影の技術が生み出されたのは近代になってからのこと。紀元前の文明にそのような機械が存在するわけがないのだ。
さらに、この衛星地図が発掘された墓所では、保存液で完全な液体に浸されたミイラも発見されており、その学術的な価値の高さから、世界的にはこの地図よりも、こちらのミイラのほうが有名だ。
病理解剖の結果、遺体は外形のみならず内臓諸器官、さらには繊維性結合組織、筋肉組織、軟骨、血管[9]など微細組織に至るまで、生前の状態に近い良好な保存状態が保たれていた。
この女性の年齢は50歳前後。身長154.5センチメートル、体重34.3キログラム]、血液型A型、出産経験あり。皮膚表面は褐黄色で(現在は黒色に変色、皮膚組織はまだ湿潤かつ弾力性を残していた。
頭髪はまばらだが白髪は無く、光沢が残り、少し力を入れて引いても抜けなかった。眼球がやや突出し、右鼓膜に穴が開いていた他は感覚器に異常は見られなかった。歯は16本残っていた[9]。四肢の関節は動かすことができ、骨格は末端までほぼ完全であり、脳は 1/3 に萎縮していたとされる。
このミイラにには、「湿屍」と言う得意な保存状態にあり、2100年以上たってなお良好な保存状態は世界でも例の無いものだた。
このようにして遺体を保存できた理由は未だにはっきりとわかっておらず、一説によればミイラ制作のため、その時代では考えられないほど高度な技術で生み出された液体が使用されているとされる。
こうした事実もあり、この文明の高度さは異常ともいえ、古代マヤやアステカ文明と同様、存在そのものが謎に包まれている。
蓁の始皇帝時代といえば、日本では縄文時代。
こんな時代にこれほど高度な技術を持てた理由は一体何だったのだろうか?
このように説明の使かない高度な技術を用いて作られたオーパーツが一度に二つも発見されているこの土地に、果たして本当に、地球外の技術が存在していなかったと言えるのであろうか?
コメントをするには会員登録が必要です