ナン・マトール(Nan Madol)の遺跡は、アメリカ合衆国の国定歴史建造物であり、ミクロネシア連邦の主島であるポンペイ島にある玄武岩の巨石で構築された巨石海上遺跡である。
大小92島の人口島から構成され70ヘクタールという広大な面積をもち、それぞれの島が王、聖職者や兵士の住居や埋葬、集会場などの目的で使われ、伝承や検証によると政治と信仰のための拠点的役割を担っていたとされる世界でも珍しい海上都市である。
ナン・マトールは「天と地(神々と人間)の間に広がる空間」という意味である。
1931年に「失われたムー大陸」を著したチャーチワードがナン・マトールこそが太平洋上に位置し、高度な技術と権力があったムー大陸の聖都であると述べた。
ムー大陸は1万2000年前に突如太平洋の海中に水没したと言われている。
この発言でナン・マトールは世界的に名を知られることになり、現在でも観光客が訪れる遺跡名所となっている。
ナン・マトールの巨石群の海洋都市建造されたのはシャウテロウル王朝時代であり、この海域におよそ1000年もかけて建設作業を行い完成させたとも、なんらかの不思議な力により一夜にしてできたとも伝説が残っている。
この巨大な海上都市の玄武岩巨石群をどこからどのように運び、どのように積み上げたのかまだ謎が解明されていない。
8メートル、2トンというような五画・六角形の玄武岩の巨石柱を海底からいげた(互い違い)状に絶妙のバランスで組み立て、海洋の影響や嵐の被害にあった形跡が残らず、経年で朽ちた部分はあるものの、荘厳で謎めいた姿は何世紀も大きく崩れることなく健在であることからこの緻密な遺跡の建造方法をどのように考え出したのかという疑問点も残されている。
そして観光ガイドには外敵からの要塞の目的でこの埋立地都市が造られたとも書かれているが、実はナン・マトールの海上都市を建造した目的すらはっきりしていない。
ポンペイ島へは数々の外国人たちが入港しようとして地元の原住民と交戦している。
上陸した乗組員であったイギリス人が殺されたことで、原住民が虐殺されるという報復を受けたという争いの血塗られた歴史も残されている。
また1907年頃のドイツの支配下にあったポンペイ島でナン・マトールの遺跡群からドイツ総督が墓を発掘し、遺跡から戻ってすぐに怪死したと伝えられている。
現地の人の間ではナン・マトールには悪霊が住むと信じられており、またこの地に足を踏み入れると祟りが起こるともいわれ、遺跡の謎を語ることも、研究者の事故なども口外しない。
この呪いの遺跡という噂が島民を遠ざけ、研究者も事故を恐れるためか研究がなかなか進まず謎がいまだに解明されない原因のひとつである。
また、数十年前に日本の海洋学者が調査に訪れてナン・マトール遺跡をカメラにおさめたときも、ここで撮ったはずの写真が撮れていなかった。
その後もこの地を訪れた日本人が同様の撮影トラブルに見舞われたりナン・マトールについての記事がなぜか掲載できなかったといい、その他機材のアクシデントが続く訪問者などもあるという。
しかし現在もこのミステリアスな遺跡は祟りの噂も持ちながら、世界遺産への登録活動も行われている壮大なロマンのある建築物である。
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