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ヴォイニッチ手稿とは1912年にローマ近郊のモンドラゴーネ寺院で発見された古文書である。発見者はポーランド系アメリカ人の古書商、ウィルフリド・ヴォイニッチであり、発見者である彼の名前を取って「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれている。約200ページからなり、未知の言語で書かれた文章と生物を思わせる様々な彩色された挿絵から構成されている。現在はイェール大学付属バイネッケ稀少図書・書簡図書館に所蔵されている
暗号文を言語学の統計的手法で解析した結果、本文はでたらめな文字列ではなく、自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると判断されたが、なお解読されていない。アリゾナ大学の物理学科の准教授Greg Hodgins博士らがイェール大学に協力を得て手稿の羊皮紙のサンプルを得て、加速器質量分析によりヴォイニッチ手稿の年代を1404年から1438年と特定したが、執筆時期はさらに後年の可能性がある。

手稿の内容は大まかに全部で5つの章からなる。
-植物の章-
約120ページに渡って、謎の植物の数々が描かれた章。ほとんどのページで文章と絵がセットになっている。謎の植物は、その実在が確認されていないものばかりで正体は不明である。
-天文図の章-
約20ページに渡って、占星術などに関連するような図が描かれた章。図は円形で放射状の特徴を持ち、黄道十二宮の記号や太陽、星、人物などが図の中に配置されている場合が多い。
-生物学の章-
約20ページに渡って、裸の女性と奇妙な管のようなものの組み合わせが描かれた章。女性は腹部が膨れており、妊婦のような外見をしている。何らかの液体に浸かっている絵も多い。文章は絵と同じページに書かれている。生殖に関わるようなことを表現しているのではないかとも考えられている。
-薬草の章-
約20ページに渡って、薬草と思しき植物の根にスポットを当てて描かれている章。多くのページでは瓶のようなものとセットで描かれている。また文章もセットで書かれており、薬草の説明ではないかと考えられている。ただし、これらの薬草と思しき植物も未確認植物で、その正体は不明である。
-文章の章-
残りのページは文章が最後まで続く。

手稿の表紙の内側には、一枚のラテン語の手紙が添付されており、ヴォイニッチ手稿の来歴は次のようなものだと考えられている。
-1576年~1611年-
神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が、在位期間に何者かから手稿を600ダカット(現在の価値で数千万円)で入手する。
-1608年~1622年-
ヤコブズ・デ・テペネチが皇帝ルドルフ2世から手稿を譲り受ける。
-~1630年代-
錬金術師のゲオルグ・バレシュが手稿を入手。暗号を解こうと奮闘するものの解明には至らず。
-~1640年代-
バレシュの友人マルクス・マルチが手稿を譲り受ける。
-1665年頃-
マルクス・マルチが、当時高名だったローマの学者アタナシウス・キルヒャーに手稿を寄贈。このときの手紙が前出の手稿に添付されていた手紙である。
その後1912年にウィルフリド・ヴォイニッチよって発見されるまで歴史から姿を消すことになる。

以下のサイトからヴォイニッチ手稿の全ページを無料で閲覧することができる。
http://brbl-dl.library.yale.edu/vufind/Record/3519597