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1945年7月、メキシコのアカンバロという田舎で恐竜をかたどった土偶がいくつも見つかった。いくら古代の人間がつくったものとはいえ、恐竜が絶滅した時期と人類が出現した時期には、6千万年もの長い隔たりがあるにもかかわらずだ。また、恐竜時代について人々が知るようになったのは、19世紀にイギリスの学者が化石を復元したことがきっかけで、それまでは誰も知り得なかったことである。なぜ古代の人間が、未知の恐竜の姿を模した土偶を作ることができたのだろうか。

恐竜土偶の発見は、街の有力者であるユルスルートが、アカンバロにあるブル・マウンテン(牡牛山)の斜面で謎の破片を見つけたことに始まる。もともと考古学研究が趣味だったユルスルートは、その破片が中南米の古代文化の特徴とは違うことに気付き興味をもった。そこで使用人の農夫に命じて一帯を掘り返してもらうことにした。結果、農夫が掘り出したものの大部分が土偶で、その形は人間や獣はもちろん、ラクダやゾウなどの古代の姿、絶滅した動物、そして神話を元にした空想上の動物まで実に多彩であった。その中でひときわ目を引いたものが、大昔に絶滅されたとされる様々な恐竜の土偶だった。ティラノサウルスのような恐竜や、海に住んでいたとされる首長竜、大きな翼を広げた翼竜のものまである。しかも、発掘されたもののうち恐竜土偶の割合が一番多かったのだ。世紀の大発見をしたと確信したユルスルートは、農夫に引き続き発掘させた。ブル・マウンテンの斜面からは7年間で次々に土器や土偶が見つかり、彼のコレクションの数は3万2千点以上にもなった。

これらを通称「アカンバロ土偶」としてユルスルートはメキシコの学会に報告するが、現地調査もしないままにあっさりと否定される。しかしアメリカの物理学者ハプグッド教授だけは大いに関心を持ち、現地に赴いて土偶を綿密に調べあげた。「話題づくりのためにユルスルートが自分で作った偽物だ」と非難する学者に対し、ハプグッド教授はいくつもの観点からその非難を否定したのだ。アカンバロの警察署長宅の床下からも大量の土偶が見つかったこと、同じ場所から発掘された化石は正真正銘、数万年前のウマの祖先のものだったこと。また、似た形の土偶が100キロ以上離れた神殿遺跡からも発掘されたことがわかり、個人が偽物をつくったわけではない証明になりえた。

決定的証明となったのは、放射線による年代測定の結果だった。ハプグッド教授はアメリカの年代測定の専門会社に依頼して、さらに翌年には、大学の放射線研究所で異なる測定法を用いて分析をした。すると、土偶ができたのは紀元前1600年~紀元前4500年との結果がでたのだった。「アカンバロの一帯は何万年も前は文明が栄えていて、恐竜土偶は世界に多く残るドラゴン伝説の起源を表している。古代人は恐竜についてすでに知っていたか、あるいはその時代まで恐竜が生き残っていたかもしれない」とハプグッド教授は唱えた。

だが、考古学界はアカンバロ土偶を今なお本物と認めておらず、調査もしないままに終わっている。それどころか発掘された現地でもすでに忘れられていて、街の博物館にも所蔵されていないという。「恐竜土偶」のミステリーはいまだに謎に包まれたままである。