「空を飛ぶ」というのは長年人類の夢であった。その人類の夢が実現されたのは近代に入ってから、アメリカ合衆国のライト兄弟が1903年に記録としては人類初となる有人飛行に成功した時である。それから飛行機の研究は進歩し、今では飛行機が世界中を飛び回り、民間人でも”空を飛ぶ”ことができるようになった。オーパーツと呼ばれる「時代や場所にまったくそぐわない歴史的産物」の中には、その人類の夢とロマンを表現したのではないかと言われている模型がある。それが「古代エジプトのグライダー」である。「古代エジプトのグライダー」と呼ばれているが、実際は紀元前200年前後のプトレマイオス朝時代(古代エジプトは紀元前3000年から紀元前332年にアレキサンダー大王に占領されるまでであり、プトレマイオス朝エジプトはアレキサンダー大王の死後に部下のプトレマイオスがエジプトの支配権を握っていた時代)に製作されたものである。エジプトの墳墓から発掘されたこの模型は全長15センチ、木製で非常に軽量である。模型には鳥の眼のようなデザインが片側だけあり、ライト兄弟の有人飛行以前に発掘されたため、有人飛行が一般的ではない発見当初は単なる鳥の模型だと思われていた。しかし、後にある人物の発言からオーパーツとして認識されるようになる。1969年にカリル·メシハ博士が当時の飛行機と形が似ていることからグライダーの模型であると主張した。実際、鳥の模型と言われるには羽毛や脚のデザインが施されておらず、翼とされる部分も自然な鳥の形ではなくグライダーの様な形をしている。また、模型は軽量のイチジクの木、あるいはレバノン杉から作られている点からもプトレマイオス朝時代のエジプトではグライダーの研究がされていたのではと言われている。博士の発言以降、エジプト文化省は多数の考古学者や航空関係者を集めて「古代エジプトのグライダー」の研究を本格的に開始した。研究の結果、翼の部分は飛行に適しており、翼の反りは飛行のための揚力を生み出すのに十分、そして翼端の角度は安定性を保つのに十分であると結論された。研究チームは実際に同様の模型を製作し飛行実験をしたところ、模型は長距離を飛行し、時速95キロメートル以下の速度で輸送を目的とした動力グライダーのモデルであると推測した。そのため模型を小型の飛行機の大きさに拡大しても飛行可能であるとし、実際のグライダーも模型同様に軽量な木材で作成されていたのではないかと予想されている。しかし、「古代エジプトのグライダー」が発掘された墳墓の周辺はおろか、エジプトではグライダーらしきものはいまだに発掘されてはいない。グライダーらしきものは発掘されてはいないけれども、古代エジプトはピラミッドや黄金など技術的に優れていたことから、グライダーの製作も可能だったのではないかとも言われており、エジプトの墳墓には当時の技術を小型化した模型を副葬品として納める習慣もあったため、グライダーが存在しなかったとも言えない。エジプト神話には鳥を神格化した姿も見受けられており、もしかしたらプトレマイオス朝時代のエジプト人も鳥に憧れを抱き飛行を夢見て「古代エジプトのグライダー」を製作したのではないかと研究者たちは考えている。
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