2013年12月、考古学者ダニエレ・クリン博士の研究チームは、ペルーの南中央アンデス地方にて西暦1000~1250年に埋葬された32体の遺骨を発掘した。この遺骨の頭蓋には45の穿孔が確認され、深さの違う穴がいくつも開けられている頭蓋もあった。この穿孔頭蓋の遺体は、時期や遺跡の場所により異なるが、出土頭蓋のうち数パーセントから、数十パーセントであり、成人男性が約6割、成人女性が約3割、残りは子供であり、もっとも若い例は2~3歳等の幼児となる。
頭蓋の手術では切開用ナイフやハンドドリルとみられるものが使用されており、主な手術様式として、ナイフのような刃物で周囲を削りとって穴を大きくする方法、輪状に切れ込みや溝を入れて骨を除く方法、複数の小さな穴を開けておき、各穴の間を切り離して大きな穴にする方法、井桁状に切れ込みをいれて方形の孔を開ける方法の4種類の術式であり、また、麻酔法や抗生物質が存在しなかったこの時代において、頭蓋穿孔手術時には頭皮の切開と骨面をおおう骨膜の剥離には尋常ではない痛みがともなったと思われるが、痛みに対してはコカの葉のような薬用植物、あるいはチチャとよばれるアルコール飲料などが用いられた。骨を切除した後は、傷口の止血・消毒には、開口部を薬草や綿布のようなもので被うだけであり、一般に頭皮の縫合や開口部を埋める処置は行われず、金や銀あるいは貝製のプレート等で穿孔部を閉じたという報告があるが、これは特別例外である。
頭蓋穿孔に携わる術者においては,2つの身分があり、王族,貴族など高貴な人々専門の術者と一方は一般人専門の術者である。彼らは、主に神聖な宗教寺院にて手術を行ったと考えられている.
一部の頭蓋骨には骨が成長した痕が確認され、そのいくつかに頭部外傷と穿孔両方の治癒の痕跡があったという報告が出ており、治療を受けた患者は、ほぼ死亡しているが、中には治療成功した患者もおり、頭蓋骨の分析の結果、平均数年または、十数年程度は生存した。
クリン博士によると、南中央アンデス地方で頭蓋手術が最初に現れたのは、200~600年頃であり、当時の人々は、外傷や、精神・神経疾患等の脳の異常について、頭骨を外して処置をすることで治療を試みていたという。
また、西暦600~1000年の400年間、アンデス地方にはワリ文明が存在していたが、この文明は未だ解明されていないなんらかの理由により突然の崩壊を迎えた。研究チームは当時、戦争や病気などが発生し、石で作製された打撃ハンマー等による、戦闘で頭に傷をおった兵士や病気に感染した人々を更に効率よく治療するため、頭骨切開手術が進歩していったと考察している。
更に、この頭骨切断手術を可能とさせるため、その他様々な方法が試されていた形跡が頭蓋に確認された。このことについて研究チームは治療で患者が生き残れなかった場合において、遺体は医療技術進歩のための練習体として使用されていた可能性も示唆している。
頭蓋穿孔がみられているのはペルーの南海岸、中央海岸、中央高地、南高地、北高地のジャングル、そしてボリビアとの国境にあるチチカカ湖周辺の6つの区域である。しかしながら、各々の区域での始まりと終わりは明確でなく、現在のところ区域間の文化の関連性は明らかではない。頭蓋穿孔の地理的及び時代的分布は、上記したような、版図拡大にともなう戦闘時期や戦闘地域と関連するという報告もあるが、未だ、推測の域であり定かではない。
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