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 ダマスカス鋼とは、木目状の模様を特徴とする鋼であり、古代インドで開発製造されたウーツ鋼の別称である。 ダマスカス鋼の名の由来は、インド産のウーツ鋼を使用し、シリアのダマスカスで刀剣などに鍛造されたことから、 この名がついた。
 現在は異種の金属を積層鍛造して模様を浮かび上がらせた鋼材もダマスカス鋼と呼ばれているが、本来のダマスカス鋼は19世紀に生産が途絶えたため、現在は製造技術が失われており、初めて作られたのが何時頃なのかははっきりしていない。

 ダマスカス鋼は刃物用として有名であった。ダマスカス鋼で作られた刀剣は、“もし絹のネッカチーフが刃の上に落ちると自分の重みで真っ二つになり、鉄の鎧を切っても刃こぼれせす、柳の枝のようにしなやかで曲げても折れず、手を放せば 軽い音とともに真っ直ぐになる”といわれている。これはおそらく大げさなものであると予想できるが、このような話が生まれるほどダマスカス鋼は優秀であった。

 紀元前9世紀に、小アジアにあったバルガル神殿の年代記には、この鋼の作り方を次のように述べてある。
  「平原にのぼる太陽のごとく輝くまで熱し、次に皇帝の服の紫紅色となるまで筋骨逞しい 奴隷の肉体に突き刺して冷やす、・・・奴隷の力が剣に乗り移って金属を硬くする」。
 奴隷の肉体に突き刺すのは“焼入れ”の意味があるのだろう。中世にはこの焼入れを「赤毛の少年の尿の中で行う」ことを勧めていたという。
 これほど有名であり、インドを中心に近隣諸国に輸出されたダマスカス鋼だが、その製法は伝えられずダマスカス刀の製法は父子相伝でそれを知るものは極めて限られていたという。それゆえに様々な迷信も伝わったのだろう。
 ダマスカス鋼に関する迷信のーつに「7種の金属の混合物から出来ている」というのがある。これはその切れ味や、独特の模様だけでなく、「錆びることがない」という鋼の常識を覆す性能をもっていたからである。言うまでもなく、この性能は産業革命時代に極めて重要な意味をもっていた。

 その特殊な不純物の組成から、るつぼ内で精錬されたインゴット内にカーバイド(Fe3C)の層構造を形成し、これを鍛造加工することにより表面に複雑な縞模様が顕れる。刀剣用の高品質の鋼材として珍重された。
 その後の学術的な研究により、ほぼ完全な再現に成功していたと思われていたが、ドイツのドレスデン工科大学のペーター・パウフラー博士を中心とする研究グループによる調査で、ウーツ鋼からカーボンナノチューブ構造が発見されたことで、現代のウーツ鋼の再現は完全ではないことが判明した。

 インドの”デリーの柱”と呼ばれる巨大な鉄柱はダマスカス鋼でできていると言われている。それが作られたのは紀元3〜4世紀頃と言われている。
 このデリーの柱と呼ばれる鉄柱は高さ15m以上、直径40cm以上の巨大なもので、建てられてから1600年以上も経っているのだが、今も完全に原形を留めている。デリーの柱はクツブミナール寺院に立っており、ほとんど野ざらし状態である。
 これほど巨大な鉄柱をどのようにして作ったのかも大きな謎であるが、何よりもそれだけの間「錆びていない」というのは驚きである。

 ダマスカス鋼を研究することで人類はステンレス鋼を得ることができたのだが、結局ダマスカス鋼の謎は未だに解明できていない。

引用元
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダマスカス鋼
http://www.nittech.co.jp/M99/M9906.html