仄暗い水の底から タイトルは抜群にセンスがいい

一つ、このタイトルは抜群にセンスがいい。「ほのぐらい」に一般性のやや低い漢字である「仄暗い」を使用することで、やや古めかしい印象、陰気なイメージ―――まさしく仄暗さをかぶせることに成功している。また、一文として結論部分をわざと放りっぱなしにすることで、当然あるべき水の底から来るものの正体をブラックボックスとし、そこに存在していることが分かるだけで何だか分からないもの、つまりは古来最も激しい恐怖の対象である、『まだ現れていない怪物』の身分を与えている。
全編湿気と日常的な恐怖、集合住宅に住む都会人なら誰もが「これだけは起こってほしくない」と思う事件の、怖さというより嫌さ加減でたたみかけていくホラーなので、ばんばん怖がらせてほしいエンタメホラー志向の人は物足りないかもしれない。ただ、その分ストーリーの哀しさというか、恐怖に絡まってくる切なさは特筆すべきものがある。
黒木瞳の手になる精神不安定な母親のキャラクター造形や、メインの舞台となるマンションの地味に絶対住みたくない嫌らしさ等、定評のある箇所はいくつもあるが、私はメインモンスターにあたる美津子ちゃんの作りこみ方に指を差したい。
何故と言って、美津子ちゃんくらい勝てそうにないモンスターを初めて見たんである。いや、強いからとかいう話ではない。美津子ちゃんに関する限り、まともな感性の大人ならほとんど戦いにならない理由がある。「戦意喪失」という、もしかしたら最もパーセンテージの多い理由だが。
とにかくもう、事情をよく知れば知るほど、真相が分かれば分かるほど、このモンスターには手が出しづらい。とりつかれている方にしてみれば「助けてくれ」という気分だろうが、一番助けてあげなきゃいけない(いけなかった)のは、美津子ちゃんである。襲ってきさえしなければ、この事件の時点からでも助けあげたいところだろう。