中編7
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古今和歌集夜話 下巻

「鴬(うぐいす)の 谷よりいづる声なくは 

           春来ることを誰かしらまし」

(鴬の谷から里へ出て来て鳴く声が、もし聞けなかったとしたら、春が来たという実感を誰しも持つことがないだろうよ)

「春立てど 花もにほはぬ山里は 

           物うかる音(ね)に 鴬ぞ鳴く」

(立春になっても花も咲かない山里では鴬も張り合いがなく憂鬱な声で鳴いているよ)

白狐の声が心に沁みる。

目を閉じれば本当に娘と歌会をしているようだ。

貫之はいつしかこの時間が楽しくなってきていた。

「みるめなき 我が身をうらと知らねばや 

             かれなで海人(あま)の あしたゆくくる」

(お会いする機会がない私の身を、海松布(みるめ。海草の一種。見る目と掛けている)が生えていない浦と同じだとお考えにならないせいか、あきらめることなく、海人(あま。あなたと掛けている)は足がだるくなるほどに熱心に通っていらっしゃることであるよ)

「あはずして こよひ明けなば春の日の 

             長くや人を つらしと思はむ」

(せっかく通って来ているのに、お逢いすることもなく今宵があけたならば、このごろの長い春の日のように、長い間、あなたを連れないお方だと思うことだろうよ)

どのくらい時間がたっただろうか。

いまでは貫之は無我夢中で思いつく歌を間髪いれず詠んでいる。

きわどい恋の歌も混ざり始めた。

白狐は時に妖艶に、時に愛嬌をふりまきながら、貫之の心をからめていった。

ふと貫之が気がつくと蝉の声がやんでいる。気の早いこおろぎがりいいん。りいいん。と鳴き出した。

もう、季節もめぐるのだろうか。

ふと貫之は蔀戸を開け、外を眺めた。

月が輝いている。

雲が出て来た。

「おほかたの 秋来るからにわが身こそ 

             悲しきものと 思ひ知りぬれ」

(世間の人の誰もが感じる秋がやってくるにつけて、世間一般とは違って我が身だけが特別に悲しい存在であると、身にしみて悟ったしだいであります)

このまま季節がめぐり、時間がたてば心の傷もいえるのだろうか。

貫之は月を見上げたまま、つぶやくように詠んだ。

返歌がない。そのかわりに

  てて殿。てて殿。

聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、さっき白狐が座っていたところに、懐かしい愛娘が座っていた。

体中が腐り爛れ、骨が半分見えている。

  おお、おお、会いたかったぞ。

貫之は娘に駆け寄った。

腐ったからだが崩れ落ちないよう、そっと死装束を抱き寄せる。

されこうべの穴となった目をしっかりと見つめた。

穴の奥には蟇蛙が一匹のそり、のそりと歩いているのが見えた。

頭をなでたらずるり、と髪が皮ごと剥けた。

娘は口から蛆を吐き、舌をもつれさせながら話しはじめた。

  てて殿。もう泣くのはおやめくだされ、

  ここの水がくそうごじやる。この体がくそうごじやる。

  妾がいけたのなら、この体は月となり花となり

  御身のお慰めもできましよう。

  てて殿。泣くのはお止めくだされ。

  おうおう。その体ではくさかろう。土の水はまずかろう。

  よいとも。きっと笑っておくるから。

  その変わり決して月となり花となり、

  吾が前に来ておくれ。

  きっと吾より離れないでいておくれ

  なんの妾がてて殿のそばよりはなれましようか。

  決して月となり花となり、

  虫となり雪となり御身に侍ります。

  てて殿のそばで詠っております。

  またあう日を楽しみにしておりますぞ

  のうてて殿

  てて殿

  

  てて殿   

  -

 

「貫之殿。

 もし、貫之殿 」

貫之はがばと身を起こした。

目の前には白狐がころころと笑っている。

「今宵は瓶子を傾けすぎましたご様子。

夜も更けてまいりましたゆえ、そろそろお暇いたしましようか?」

「あ・・・んむ?」

頭が痛い。周りには空になった瓶子が何本も転がっている。

酒を飲み過ぎたのか・・・。

瓶子、瓶子・・・いつ瓶子が運ばれてきたのだっただろうか?

白狐がすっと立ち上がった。

「待ちたもれ、待ちたもれ」

いつのまにか敬語になっていた。

白狐はこちらをじつと見詰めている。

雲が月の光を背に、白い輪郭を浮かべている。

貫之は白狐の目を見返した。

娘がいる。貫之は思った。

黄泉の国に送り出しても、心が繋がっていれば吾の周りで詠っている。

迷いが晴れていくような気がした

「一首、詠ってもよろしいか」

白狐はくつり、と笑った

「白雲の 八重にかさなるをちにても

        思はむ人に 心へだつな」

(白雲が幾重にも重なる遠い国においでになっても、あなたを思う私に対して、心をへだてをなさらないでください)

貫之は、離れていく全ての女性に万感の想いを乗せて詠った。

「あたらしき 年の始めにかくしこそ

        千年(ちとせ)をかねてたのききをつめ」

(新しい年の始めに、このように千年後の栄えを予徴して、御竃木を沢山積み重ねている。楽しいことを沢山積み重ねることが出来るように)

白狐が返す。

生まれ変わってもっと人生を楽しめと言うことか。

貫之は何となく分かった気がした。

帝にも、娘にも、よろずの自然にも伝わる歌集を作り上げてみせる。

それがあさましい姿となっても自分を慕う娘の魂を黄泉の国に送ることなのだ。

そして同時に、よろずの自然にいる娘と交信することでもあるのだ。

貫之の目には、歌人としての輝きが戻ってきていた。

「近頃は何かと物騒ゆえ、

今宵は泊まっていくが良かろう」

白狐が帰ろうとするのを、貫之が止めた。

「否、貫之殿の気鬱も晴れたご様子。供のものもおりますし、帰りまする」

「これはしたり、供の方も中へ。これ、たれぞある」

貫之は舎人を呼ぶが、先ほどからどうも人の気配がない。

皆眠っているのか?客人がいるというのに。

貫之は寝殿をでて渡殿まで様子を見に行こうとした。

「否、供もここにおりまする。式神でおりますゆえ。」

その声に振り返ると、もう寝殿の中には誰もいない。

驚いたことに先ほどまで転がっていた瓶子すら見あたらない。

板の間に葛の葉が数枚、月明かりに白く光るばかりであった。

(すわ、あやかし)

あわてて太刀を取り、表に賭け出てみると、大通りを狐火が二、三茫漠と去っていくのが見えた。

やはり狐につままれたのか。それとも・・・

貫之は管公の怨霊の話を思い出し、ぶるりと体を震わせると、屋敷の中に帰って行った。

屋敷の者は皆、麻の葉の秘薬でも施したかのように眠りこけ、日が出るまでようとして起きなかったと言うことである。

それから約一年・・・

延喜五年、紀貫之は初めての平仮名表記による続万葉集を醍醐帝に奏上する。

それまでとは明らかに違う女性的な文体は、後世「たおやめぶり」と評せられ、宮中、特に女官達に大流行し、後の「源氏物語」、「枕草子」といった女流文学の原動力となった。

後に手を加え、古今和歌集と名を変えるその歌集には、自然を愛でる紀貫之の歌が多数収録されていた。

しかしそれは皮肉にも、怨霊と鬼の跋扈する時代の幕開けでもあった。

それから約15年、日本史上最大の陰陽師、安倍晴明が誕生した。

一説によると、摂津国阿倍野の白狐、葛の葉の子供と伝えられるが、定かではない。

後年、老いた紀貫之に再び不幸が襲う。

土佐の国に左遷され、そこでまた愛娘を失ってしまったのだ。

紀貫之はその悲しみを素直に歌に込め、自身を女性として語る「土佐日記」を記した。

この女性の手による(と表現した)日記はまたもや女官達に爆発的な人気を集め、「蜻蛉日記」「紫式部日記」「更級日記」など、いわゆる日記文学を巻き起こした。

なぜ彼がそれほどまでに女性の視線にこだわったのか、はっきりしたことはわからない。

「やまとうたは、人の心を種として、よろずのことの葉とぞなれにける。

世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふこと、見るもの聞くものにつけて、言ひだせるなり。

花に鳴く鴬(うぐいす)、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれかうたをよまざりける」

(日本の歌は、人の心を種として生い茂り、様々な言の葉となったものである。

この世の中に存在する人間というものは、関わる事柄が多いものであるから、誰しも、心に思っていることを、見るものや聞くものに託して表現しているのである。

いや、人間だけではない。

花の中に鳴く鴬や、水の中に住む蛙でも、その声を聞くのだから、あらゆる生き物のうち、歌を詠まない者は何があろうということにきづく)

古今和歌集における筆頭の文書である。

紀貫之の手によるものと伝えられている。

怖い話投稿:ホラーテラー 悪のり倶楽部さん  

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