長編10
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三鑑 (1)

長文をあまり好まれない方々にも読んで頂けるよう、出来る限りの工夫をしました。

全く趣の異なる五つの怪談を、『三鑑』という大きな流れの中に散りばめたのも、その工夫のひとつです。

出来れば時間にゆとりのあるときに、じっくりと読んでくださればこれ以上の幸せはありません。

夜空は澄み亘り、星群が天球に貼りついているようだ。

彼らは自分がこの世に生を授かるその時より、遥か昔の姿を今晒している。先人たちはこの果てのない宙に、やり場のない想いの丈を投じていたのだろうか。

残暑も和らぎ秋が訪れ、時折はっとするように冴えた夜風が頬を撫でる。

社殿には灯りが燈っていた。

覗きこむと、そこには対峙する親子。

 室「まだまだ。こい」

 室父「ふん、若造が」

室の父は愉快そうにそう言って、手札の一枚を場に放り山札からもう一枚。松尾さんがさも面白そうに事の成り行きを見守っている。

その一枚を場に出す。みるみる室の表情が硬くなった。

 室父「四光。…あがりだ」

項垂れる室。そこに父が一言。

 室父「欲望は人を盲目にする、とはよく言ったものだ。青い」

秋の夜長に花札とは、情趣のある親子だ。

 那波「今晩は。少し早かったですかね」

 室父「おお、那波君。おいでおいで」

その日、月光は無かった。

新月の夜。

 松尾「今日那波君を呼んだのは他でもない、『百物語』に参加してもらうためだ」

 那波「百物語って…あの百物語ですか」

 松尾「そうだ。まあ正確には百ではないが。…つまり、ここにいる那波君、寛二、室さん、私の4人が、それぞれひとつずつ、怪談を披露する」

 那波「……」

 室「どうした那波。顔色が悪いぞ」

 那波「いや…この3人の怪談だと、冗談じゃ済まなそうだなって思って」

俺以外の全員が声をあげて笑った。

 室父「確かにな。…うん、君の立場に立ってみたら、なんとなく解る気がする。不安だろう」

 松尾「心配しなくていい。何か起こったとしても、我々がいるから」

 那波「…何のための百物語ですか」

 松尾「『弾指(ダンシ:高級な憑き神)』の一件で少し神経過敏になっていると思ってね。違うかい」

 那波「…はい。あのあと、なんだか躰が疲れやすくなっているみたいで。頭も重いし、気分が晴れないというか」

 松尾「人は怪談を語るとき、自然と気持ちが昂ぶる。それは適度な恐怖心が人にとって益となるからだ。脳が日常とは異質な刺激を求めているとき、往々にしてそれは恐怖心という容で充たされる。

君は物事に対して敏感だ。些細なことに必要以上に意味性を見出そうとする癖がある。それはむしろ良いことだ。なぜなら、それができなければ何事かを成すことなどできないからだ。しかしその癖の使いどころをまだ君は会得できていない。それは当然だ。君はまだまだ若いから。

手当たりしだいに思索を張り巡らせば、神経が弱っても無理はない。そういう意味で、恐怖心という解釈のできない刺激は効果的なのだよ。…特に君には」

 室「怪談を語り合うことが、適度な恐怖心を得るのに最適な方法なんだ」

 那波「…でも、それは霊に恐怖を抱く者だけにあてはまる話なのではないですか」

 室父「では、那波君は霊を恐れないと」

 那波「…例えば、殺人鬼を前にしたときの恐怖とは、少し違う気がします。でも、恐いのは確かです」

 松尾「君は様々な神と相対し、ある種の敬いの感情を抱いているのかもしれない。そしてそれは正しいことだ。今でも我々は神霊に畏敬の念を抱いている」

 室父「そういう考えを持つ者が集まると、百物語はまた違う趣を持つようになる。自分が何を見、何を想ったか。歩んできた人生を披露するようなもの」

 室「あまり重く考えなくていいんだ。初めは俺たちの話をただ聴いているだけでいい。そのうえで、自然に湧いた感情に身を任せろ。なにも考えなくていい。ただ感じるんだ」

 室父「神に対面したとは言え、恐怖を克服することはできない。誰しも人間なら当たり前のこと」

そこで、室の父は少し俯き、不敵に笑った。

 室父「震えあがらせてやろう。思う存分恐怖するといい」

 松尾「正式な百物語の方法に則ることにする。ただし少し異なる点もあるから、よく聴いておいてくれ。寛二、私、室さん、那波君の順で怪談を披露してゆく。語り終わった者は、そこの廊下をつたって離れまで行く。しかし一切灯りはないから、手探りで進むことになる。離れに着いたら、そこにある行燈(アンドン)の火をひとつ吹き消す。そして、傍に置いてある鏡で自分の顔を確認してから、この部屋に戻る。但し、火を消しに行った者が一刻、すなわち30分経っても戻ってこないときは、次の者が語り始めることにする」

戻ってこないとは、どういう意味だろう。

 那波「離れはどこにあるんですか。行ったことがないので確認させてください」

 室父「ならん。廊下に岐路はない。辿れば自然と行き着くだろう。…松尾」

 松尾「では、準備をして来る」

室の父の一声に一瞬たじろいだ。

不安もあったが、何かが始まる、という期待感がそれ以上で、要するに雰囲気に呑まれた。

気分が昂揚してくる。

 室父「沙知!…茶を頼む」

羽織っている浴衣は、紺藍の下地に光沢のある若草色の菊がとても馴染んでいる。締めた青鈍(アオニビ)色の帯に描かれている金色のすすきの群れが美しい。

盆に4つの湯呑と急須をのせて静かに一人の女性が現れる。髪をまとめあげ簪でとめていた。

室の母、沙知さんだ。

 沙知「今日は百物語をするんですってね。…大丈夫なのですか」

 室父「心配ない。ありがとう」

錫製の茶托を四皿並べ、その上に湯呑をそっと置く。

杏色の胴に、熱された釉薬(ユウヤク)の醸し出す特有の紋様が映える。

萩焼だろう。実際に赴いて自分の手で作ったことがある。

松尾さんが戻ってきた。入れ替わるように沙知さんが出てゆく。手際良く散乱した花札を片づけて行った。

廊下が暗い口を開けている。全ての灯りを消したようだ。さらに社殿の灯りもしぼる。

燭台の上に心許なく樹立する一本の蝋燭の火が、唯一の灯りとなった。

室の父は一口茶を啜ると、座布団の上で佇まいを直し、室の方を見て頷いた。

 室父「さあ、はじめよう。…寛二」

 室「はい。…では、怪談をひとつ」

空気が一気に張りつめる。心地良い緊張感に浸かる。

それは、黒雨滴る朝のことでした。

いつものように通学路を友達と喋りながら歩いていると、こめかみの辺りに鈍い衝撃が走ったのです。

脳天が揺れ動いたのかな、世界もゆりかごのように廻天されて。

傘を放り投げ、その場で頭を抱え込みうずくまりました。

友達が心配そうに声をかけてきますが、この日の曇天のような脳内には響くだけで届きません。

痛みはないのですが、妙に気味が悪い痼(シコリ)ができたような違和感がありました。

いや、実際に痼ができたわけではないのですよ。

どれくらいの時間が経ったのでしょう。多分、通学路を行って帰って来るくらいの時間はあったと思います。

薄く瞼を持ち上げると、霞む視界の中、前方に小さな靴があるのが確認できました。

そのかわいらしい小さな靴は、仲良く並んで爪先を僕の方に向けていました。

もちろん靴だけではありません。ちゃんと脚も伸びています。

その双子の靴にも、その周りにも、雨粒が落ちて細かな飛沫をあげています。

おかしいな、あの子は傘をしていないのだろうか。

顔をあげてみようか。あの子が誰なのか確かめることができるかも。

知っている子かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

そういえば、雨が躰にあたらない。僕の傘は傍に落ちて誰もいない場所を雨から守っている。

あの子が傘で僕を覆ってくれているのだろうか。

そうだとすると、あの子はすごく胴体が長いか、すごく腕が長いのかな。

やっぱり隣にいた友達なのだろう。

すっと横に目を遣ります。

しかし、そこには誰もいませんでした。

急に恐ろしい心持ちになり、固まって動けなくなりました。視線も地面を凝視したままです。

雨が躰にあたらないのが、とても恐ろしくて。

 「かやのおくつ、お母さんに買ってもらったの」

真後ろから声をかけられました。自分は小さいながらも、その状況に暗いものを見出しました。

その、自慢のおくつはあそこにあって、ちゃんと履けているじゃないか。

君は何故そんなところから声をかけられるの。

気付いたら全身ずぶ濡れでした。靴も消えていて、振り返っても誰もいません。

しばらくして友達が母と一緒に駆けてきました。

この日を境に、雨の降る日は必ず、カヤに声をかけられるようになりました。

カヤの靴が淋しそうに路脇に佇んでいるのです。

もちろん靴だけではありません。ちゃんと脚も伸びています。

膝から先は無いけれど。

その靴を目にすると、急に傘を打つ雨音がやみ、後ろから声をかけられるのです。隣を歩く友達は見向きもしません。

何度か繰り返すうちに、カヤの声は自分だけに聞こえるものなのだ、と自然に理解しました。

最初はただ怖かった。でも、雨の日が訪れる度にカヤの存在を背中に感じていると、次第に恐怖はゆるくなり、悲しい、と感じるようになったのです。

いつのまにか、カヤの胸の内に秘められた想いを、探っている自分がいました。

 室「…静かな夜だった」

その日も、庭を前に夜空を見上げ、あてもなくうち眺めます。

月輪は雲表に身を隠し、おぼろげな華を咲かせていました。

今の自分の心のようだ。

徐々に雲層は薄くなり、月華が力強さを増し。

ついに浮雲が主にその場を譲りました。

するするとその姿を明らめたのは、月だけではありません。

ひとつ、閃いたものがありました。

初めは一瞬の内に絶ち消えたその閃光も、芽だけは遺していて、朝を迎える頃には華を咲かせ実を結びました。

翌日も雨でした。

例の通り、路脇にかわいらしい双子の靴が並んでいます。

もちろん靴だけではありません。ちゃんと脚も伸びています。

にわかに雨音がやみ。

 「かやのおくつ、お母さんが買ってくれたの」

迷いはありませんでした。佇む靴の元へ行き、自分の持っている傘で覆ってあげます。

すると、そこには無垢な少女が立っていました。

なにものにも染まっていない瞳を覗きこむと、吸い込まれそうで。

 「佳耶のおくつ、お母さんが買ってくれたの」

本当にうれしそうに言うのです。おもわず顔が綻んでしまいました。

泪を止めてあげることしか、僕にはできないから。

どれだけ自慢のおくつが大好きでも、それはもう手元にはないから。

もう、履くことはできないから。

君が僕の泪をとめようとしてくれたのは、その想いを誰かに伝えたかったから。

梅雨が、明けた。

心も、晴れた。

 室「…ありがとうございました。では」

室はすっと立ち上がり、なんの迷いもなく無明の回廊の入口に消えた。

しっとりとした余韻。

初めは恐怖しか感じなかったが、終盤にさしかかるにつれ次第に緊張が解れ、最期には晴れ晴れとした気分で充たされた。

まるで感情が話の中の室に移入したようだった。

これが、語りなのだ。

聴き手を巻き込んで、感情を揺さぶる。

しかしそれは決して煩雑なものではなくて、整然とした満足感を与えてくれる。

ただ、浸った。

とても心地良い。脳内でもつれていた糸が、解かれるのではなくそっくり取り除かれて、白紙の状態から一色に染まった。

幼少の頃の室の心情一色に。

煎茶を一口含む。静かに室の父が口を開いた。

 室父「そういえば、…寛二がみえるようになったのはそれからだった」

 

 松尾「懐かしそうですね」

 室父「昨日のことのように鮮烈に甦った。あの日の寛二は、とても精悍な顔つきをしていた。思わず息を呑んだ」

 松尾「那波君、寛二の怪談は美しく終わったが、私はそうはならない。今の内に息をついておくといい」

松尾さんが真顔で言った。

蟋蟀(コオロギ)の鳴く声に耳を澄ませていると、秋の訪れを耳で実感できる。

 室父「霊は強い思念を遺してこの世に留まる。その思念が悪いものだったとき、悪霊となり祓うしか道はない。しかしそれが善いものであったとき、浄土へ導くこともできる。その際、特に至難だとされているのが、霊体を形作る思念を的確に把握すること。人の気持ちを忖度できぬ者には絶対に務まらない業だ」

 松尾「これから寛二は大きく成長するだろう。今は束の間の休息だが、これからは過酷な苦行がまた始まる。しかし一切弱音を吐かないのは驚くばかりだ」

どうしても言いだせなかった。

その修行に、俺も加わりたい、とは。

今の自分は弱すぎる。それは肉体の問題ではない。意志の強さの問題なのだ。

しかし、生命の到達しうる限界まで行き着くことで、なにかみえてくることがあるのではないか、という思いも否めなかった。

この寺に再訪し、吉川と丹羽に会った。彼らは一年前、悪しきものに取り憑かれ自己同一性を失った。

眼隠しを外すことは一生できない、と2人は言った。

もう光を拝むことはない、それがどれだけの絶望をもたらすかは容易に想像できた。自分がそうなっていたかもしれないのだ。

しかし、しかしだ。

2人は、実に生き生きとしているのだ。

我をも忘れ極限を追い求めるその状況を、心から愉しんでいるのだ。

生きることは、人生に付随するものでは決してない。人生そのものなのだ。

この2人には、瞼を閉じたその奥に、真の自己がみえている。

生きることに真の価値を見出した2人は、眩しかった。一年半ぶりに室に会ったときと似たような感覚を覚えた。

自分の矮小さ、醜さ。それらを改めて思い知らされる。

今動かなければならない、そんな強い衝動に駆られた。駆られたのだが。

 室父「…一刻。松尾、頼む」

その意志は急速に趨勢を衰えさせ、頭を引っ込めてしまった。

室が戻ってこないというのに、なぜここまで平静として居られるのだろう。

疑念と焦燥が根を張る。

 松尾「では…怪談をひとつ」

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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むちゃくちゃ面白かったです!このシリーズもっとないのかなぁ~(^-^)/