中編7
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喪失感

喪失感

※注意

サイコ系です。ある病気の表現が含まれますが、その病気の一般的な理解とは異なります。

また、一部の障がい者に対する偏見は含まれていません。

俺には中学時代にとても気の合う友人がいた、名前はK。

就職した街で偶然再開して意気投合し、親友と呼べる間柄になった。

しばらくしてKが結婚してからも、家族ぐるみで付き合いが続いた。

Kは愛嬌のある面白い奴で人気者だったが、問題があるとすれば、それはKがかなり太っていたことだ。

170cmちょいで110kg超え。筋肉質なわけでない、立派なデブである。

中学時代からデブだったがまさかここまで来るとは…

俺は機会があるたびにダイエットを勧めたり、スポーツに誘ったりしたのだがKは取り合わなかった。

あまりしつこく勧めるからか、いつしか意地になって「絶対にダイエットはしない!」と言い出す始末だ。

逆効果になってしまったので、俺もそれ以上強く言えなくなった。

お互い30前で若かったのでそこまで深刻にとらえていなかったというのもある。

それから1年ぐらい過ぎた頃、Kに会うとなんだか体調が悪そうだ。

訊くと何日か前から微熱が続いているらしい、こんなことは今までなかったと言う。

病院に行ったらどうだと言うと、嫌がる。しつこく勧めると、

「俺は今まで一度も病院に行ったことがないし、それが自慢だ」

「会社の健康診断で何度か通院を勧められたことがあったが、すべて無視して今も健康だ」

などと、とんでもないことを言い出した。

俺はKの妻に連絡し、協力して無理矢理にKを病院まで連れて行った。

そこからはどんどん事態が進んだ。

検査の結果、高度の糖尿病。さらに細菌感染からの壊疽を併発していて、即日入院・即日手術。

病院に連れてきてから1日もたたず、Kは左脚を喪失した。

糖尿病が進行すると、免疫力が落ちて感染しやすくなる。感染しても治りにくくなる。

さらに、脚の神経が鈍くなって感染が進んで壊死しても気づかない。壊死した脚は切るしかない。

糖尿病で脚を切り落とす症例にはそんなメカニズムがある。

降って湧いたような不幸にKの妻は泣き崩れ、俺は茫然とした。

もっと早く気づいていれば、無理矢理にでもダイエットさせていれば…と後悔した。

むしろ俺の勧め方が悪かったからKは意固地になってこんな事態になってしまったのかもしれない、とも思った。

術後に面会を許されたとき、Kは静かだった。

Kの家族が大泣きするなか、K自身は悲しむ様子も怒る様子もなく病室の天井を仰ぎながらただ呆けていた。

入院している間、俺は何度も見舞いに行った。

片脚を失い、歩けなくなったKに何を言ってやればいいのかわからなかったが、当のKはあっけらかんとしたものだった。

「なくなっちまったもんはしょうがない。命が助かっただけ、ありがたいと思うさ」

少なくとも俺には、Kが悲観しているようには見えなかった。

Kが思うほどショックを受けておらず、車椅子で不便なく生活できるようなので少し安心した。

ただ、いくつか気になることがあった。Kを見舞いに行くと、ベッドに寝そべってじっと脚を見ていることがある。

失った左脚があった場所をじっと見つめ、次に残った右脚を見つめる。これを繰り返している。

不可解なのは、そうやっている間中、顔がずっとニヤけていることだ。

悲しんでいるならわかる。左脚を失った喪失感で苦しむのならわかる。

だがKはずっとニヤけているのだった。

俺が声をかけると、Kは我に返ったようにニヤつくのをやめる。

Kのそんな行動は入院中ずっと続いた。

入院中にKの左脚は火葬された。

退院後もKは休職し、通院でリハビリをしていた。

Kの妻はKが左脚をなくした責任を感じて、働きながらKの食生活から日常でのリハビリまで全力でサポートした。

Kの妻が免許を持っていないので通院には俺も協力した。

Kも退院後はニヤけることもなくなり、おおむね以前のKに戻っていた。

相変わらず、左脚の事で悲観するような様子は見せなかった。

退院して一ヶ月ほど過ぎた頃にKの妻から相談を持ちかけられた。

Kが最近ときどきふらっと出掛けるのだという。

Kは慣れない車椅子で生活しているので、一人で行動するのは当然危ない。

それが、妻が目を離した隙にマンションを出て周囲を徘徊しているらしい。

本人に訊いても「ただのリハビリ」というだけ。一緒に行くから声をかけて、と頼んでも無視してひとりで出かけてしまうのだ。

ある時は、探しに行くとマンション近くの橋の上から下の川を見つめていた。

糖尿病なのにコンビニで大量にお菓子を買い占め、こっそりと食べていた事もあった。

普段は顔に出さないが、やはり思い悩んでいるのではないか、という相談だった。

俺もどうしていいかわからず、取り敢えず今度の診察で医者に相談しようということになった。

そんな矢先だった。

Kが救急車で搬送されたという連絡が、Kの親から来た。

病院に駆けつけると、すでにKは手術室に入っていた。

居合わせたKの家族に話を聞こうとしたが、Kの妻はずっと大泣きしていてわけのわからない状態だった。

Kの両親から話を聞くと、どうやらKはマンションすぐ近くの川にはいって溺れかけているところを発見され、救急車で搬送されたらしい。

川といっても、家庭排水が流れるような汚いドブ川で、水深は浅く流れは遅く、子供でも溺れないようなところだ。

だがKは片脚だ、バランスを崩せば容易に溺れるだろう。

自殺未遂――俺は頭が真っ白になった。

Kは溺れかけていたが、命に別条はなかった。

ただ、残った右脚がドブ川の中にどっぷり浸かりさらに沈んでいたガラスか何かで大きく傷ついていたらしい。

ほぼ間違いなく感染している。通常なら強力な抗菌剤で感染を抑えることができるが、Kはいまだ重症な糖尿病、抵抗力は落ちたままだ。

感染を防ぐためには、右脚を切り落とした方がいい。しかし、今回の手術は前回よりもずっと厳しいものになるだろう。というのが医者の話だった。

そんな…と誰もが思った。左脚に続いて右脚まで失うなんて…

しかしそれ以上に、Kが自殺しようとするほど思い詰めていたことが、俺とKの妻にとってはショックだった。

Kはずっと、どんなことを思い悩んでいたのだろう。俺にはそんな素振りすら見せず。一言も相談もなく。

親友だと思っていたのは、俺だけだったのかよ――

幸いにも手術は無事成功した。

そしてKは両脚を失った。

面会許可が出た日、俺は一人で見舞いに行った。

Kと話さなくては、訊きたいことがたくさんある。

病室は個室だった。そっと扉をあけると、Kがベッドに横たわっていた。

その腰から下には何もない、そして、その顔は満面の笑みを浮かべていた。

俺は何も言えなかった、用意していた言葉は出てこなかった。

Kは俺に気付くと笑顔を浮かべたまま「よお、見舞いか?」と元気良く言い放った。

作り笑いとか、空元気じゃない。

本当に無邪気に、心の底から湧きあがる喜びを抑えられないようなそんな笑顔だった。

俺はわからなかった。なんでこいつはそんなに嬉しそうなんだ。

喜ばしいことなんて何一つないじゃないか、両脚が無くなったんだぞ?自殺するほど思い詰めていたんだろ?その笑顔はいったいどこからくるんだ?

「なんで、お前…笑ってんだよ。脚を失くしたのがそんなに嬉しいのか?」

わけのわからなくなった俺は、用意した言葉ではなく思ったままの言葉を言ってしまった。

口に出して、しまったと思ったがKは怒るでもなく「ふふふ」と含み笑いをした。

「本当は誰にも言わないつもりだったが、今すごく『気分がいい』んだ、お前にだけは話してもいいぜ」

そう言って話しだした。

「最初に俺が左脚を切った時のことだけどさ。

初めはわけわかんなかったよ、何でいきなり冗談じゃないって思ったさ。

手術室に入る時も怖くてたまらなかったんだ。

でも、手術が終わって、次の日の明け方に麻酔からから覚めて最初に思ったんだ

『気持ちいい』って。

最初はなんだかわからなかったよ、麻酔がまだ効いているのかと思った。

たとえば高校の授業で長距離を走り終えたときの解放感みたいのがあって、しかもそれがずっと続いているんだ。

体が満足して、頭が働いているのがわかる。息をするのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。

俺は今まですごい重りをつけて生きていたんじゃないか、って思えた。

わかるだろ?脚だよ、あの左脚が俺にとって、ずっと重りだったんだ。

なくなってよかった、ってそのとき心から思ったさ。

みんなが見舞いに来た時も本当は笑いたかったんだが、不謹慎だろ?変な話だけど。

みんなに気を遣って笑いをかみ殺していたんだ。

そんな解放感が退院後もずっと続いてさ、歩けなくなった悲しみなんかほとんど感じなかったね。

そして思ったんだ。左脚一本でこれなら、右脚をとったらどんだけ楽なのか、ってね。

どうせ前みたいには歩けないんだし、片方だけあったってしょうもないだろ?

なんとかして右脚も感染させられないだろうか、って考えていたんだけど、嫁が左脚の責任感じてがんばっちゃって、しっかり管理してくるんだもの。

なんとか体重維持しようとお菓子を食べていたのもばれちゃって、どんどん痩せていくし。

最後の手段でドブ川さ。自殺したわけじゃないぜ、ちゃんと溺れないように計画していたからな。

手術も大変だったみたいだけど、俺は死ぬ気はなかった。だって左脚を切ってからずっと調子が良かったからな。

そして、右脚…最高だった!麻酔から目覚めたとき、あんなにすがすがしい気分になった事は今までの人生でなかった!

子供みたいにエネルギーがどんどん湧いてきて何でもやれるって気になった!それがずっと続いているんだ!これからの人生、幸せだ!

なあ、ここまで話したんだ。俺の頼みも聞いてくれよ、親友だろ?

ちょっとそれとなく医者に訊いてきてくれないか。どんな病気にかかったら、左腕を切り落とすことができるかな?」

その日は逃げ帰った。このことはKの家族には言っていない。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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