中編7
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逃げてはいけない

その頃の私は、学費と家賃等のために、キャバクラでバイトをしていました。

ラストまで働いて、帰りは、乗り合いのバンで、最寄のコンビにまで送ってもらっていました。

コンビニから、5分も歩けばアパートです。

家に着くと、お風呂に入って、その日の授業に間に合うギリまで寝ます。

気を使う仕事、慣れない東京暮らし、勉強、お金の心配…ハードな生活からか、このころの私は、自分史上最痩せでした。

溜まっていく疲労、色々な面で、ガードが弱くなっていたのだと思います。

夏の気配が強くなってきた、ある日の仕事帰りでした。

煌々としたコンビニの店内から出て、いつもの住宅街を歩いていると、何かの気配を背後に感じます。

自分のコツコツという足音の他に、ジジジジという低い音が聞こえました。

(…なんだろ?)

反射的に後ろを振りかえると、15m程離れた所に自転車に乗った人が見えました。

マウンテンバイクっぽい感じの自転車が、超低速(止まる寸前みたいな感じ)で動いていて、ジジジジというのは、タイヤがアスファルトを踏む音でした。

(・・・)

道に、自転車に乗った人がいるのは、普通の事なんですけど…なんというか…本能的に、っていうんでしょうか?

危ない!怖い!逃げろ!

って、その自転車の人を一目見て、一瞬で、頭がバッと覚醒したような感じがしました。

心臓もバクバクして、変な汗がにじみます。

家まであと少し。

私は走り出したいのを、ぐっとこらえて、一定のペースで歩きました。

私が走ったら、それが引き金になって、事態が急展開しそうで怖かったのです。

距離を保ったまま、なんとかアパートに着きました。

私の部屋は一階の、5部屋あるうちの、奥から2番目です。

道から右に曲がり、アパートの敷地に入ると、手前の家の塀が目隠しになって、玄関が並ぶ外廊下は、公道からは見えないようになっています。

私は、外廊下をダッシュして、玄関に向かいました。

あたふたしながらも、何とか追い付かれる前に、家に入って、鍵をかける事ができました。

しばらく玄関で、ドキドキする心臓を押さえて立ち尽くしていました。

(私の思い過ごし。被害妄想。だから・・・大丈夫。)

部屋に入った事で、少し平静を取り戻した私は、電気をつけようか、どうしようか迷い、あの自転車が、アパートを通り過ぎたのかどうか確認したくなりました。

自転車の進行方向からすれば、部屋のベランダから後姿が見えるはずです。

私は、真っ暗な部屋の中を、ベランダに向かって歩き出しました。

先ほども書きましたが、私の部屋は一階です。

その為の配慮か、窓ガラスは全面、曇りガラス(お風呂場でよく見かけるタイプ)になっています。

なので、カーテンに関しては割りと無頓着で、その日も、左半分だけ閉まっていて、右は開いていました。

ぼんやりと外の風景が透けています。

(えっ・・)

そこに人影が立っていました。

体を右に傾けたり、手で何かを探るように窓を触っています。

私は声も出ず、廊下に後ずさりました。

人影は、顔をべったり窓にくっつけてきました。

やったことが(やられたことが)ある人はお分かりになると思いますが、曇りガラスに、ぺたっと顔がくっつくと、かなりクリアに見えるんです。

知らない男の人でした。

暗闇に浮かぶその顔に、私は腰を抜かしてしまいました。

つづきます

怖い話投稿:ホラーテラー りょうさん  

ガタガタガタッ

男が窓枠を持ち上げる感じで、激しく揺すり出しました。

壁だか床だかまでもが、ミシッとか、ビシッとか鳴っています。

(どうしよう!どうしよう!?)

私は完全にパニクり、何も出来ません。

尻餅をついた様な体勢のまま、ただ目の前の異常事態を凝視していました。

曇りガラス越しに、こちらが見えているか、私が見えているのかは全く解りません。

見えていない事を祈りながら、ひたすら息を殺していました。

ギチギチギチ

もう駄目だと思った、次の瞬間、ふいに男は、動きを止め、窓の前から右に移動し

て、見えなくなりました。

(・・・)

急に静かになった部屋。

緊張と恐怖に、金縛り状態の私。

蒸し暑いのに、奥歯がガチガチ言う程震えていました。

(今のうちに逃げなきゃ…)

狭い1Kなので、すぐ後ろは玄関です。

正直、鍵を開けて外に出る事自体、怖くて、頭では逃げよう、逃げようと思っているのに、体が全く動きません。

この時点でようやく、私は、『携帯で警察を呼ぶ』という対処法を思い付いたのでした。

小物でごった返すバックの中から、携帯を取り出して、何回もミスりながら番号を押しました。

プップップッ

コールがかかるか、かからないかという時…

『助けてーー!!』

女性の絶叫が聞こえました。

(隣に行ったんだ!)

『助けてーー!!』

バーン バーン 

ミシミシミシ

すごい音と共に、アパートの壁が振動しました。

(死ぬ!!殺される!)

私のせいで、隣の人が殺される!そう思った瞬間、私は、何か叫んでいました。

「XXXXっ!!」

(すみません。この辺、記憶が曖昧です。)

私は接客用のライターを火力最大にして、かかげるようにして立ち上がりました。

(もしかしたら、ガスコンロの上に登っていたかもしれません。)

ピョオ!ピョオ!ピョオ!

火災報知機が鳴りました。

そのけたたましい音に、弾かれるように、私は外に飛び出し、外廊下に設置されていた非常ベルを押しました。

ジャリリリリリリ!!

何故か、ビニ傘を握りしめながら、あらん限りの声で助けを呼びました。

ピョオ!ピョオ!ピョオ!

ジャリリリリリリ!!

「大丈夫ですか!!?」

騒ぎに、見知らぬ御近所さんたちが起きてきて、様子をうかがいつつ、声を掛けてくれました。

遠巻きながら、人が増えたことに、私は、どっと安堵しました。

(もう大丈夫だ・・・)

バットを持ったおじさんや、大家さん夫婦が近くに来てくれて、私をなだめてくれました。

私がレイプされたと勘違いしたようで、(それだけひどい有様だったんでしょうね・・。)誤解を解くのにもたもたしていたら、お隣さん(1番奥の部屋)の玄関が、カチャッと開きました。

思わず身構える私。

そこには、ずぶ濡れで、体中にタオルをぐるぐる巻いた、女の人が、中腰で立っていました。

「――・・」

「・・っ!」

女の人と、目が合って、何か言わなきゃと思うのに、言葉が出ず、ただ、何回も何回も頷き合いました。

周りの人たちが、大丈夫ですか?とか、今警察が来るからね、とか言っています。

遠くから、サイレンの音が聞こえてきました。

パトカーが来たのを認めた時、初めて、私は泣きました。

わんわん泣きました。

(終わったんだ・・・)

震える半裸の女の人と、泣きじゃくる私、事態が飲み込めない御近所さん、鳴りやまない火災報知機と非常ベル。

状況は混沌としていましたが、「現実に戻ってきた」感じがして、私は、心底ほっとしていました。

警察が三人来て、お隣りさんと、私から、色々話を聞いていきました。

お隣さんは、お風呂に入っていた所を襲われたんだそうです。

変な物音に気付いて、様子をうかがっていると、脱衣所とバスルームを区切る曇りガラスのドアに、人影が見えて、咄嗟にドアを内側から押さえ、難を逃れたんだと…。

網戸にしていたベランダから、侵入されたのだろうと言っていました。

警察とお隣りさんが、確認の為に部屋に入って行きました。

私はお隣りさんの玄関に座って、ぼんやりしていました。

長い、悪い夢を見ていたような気分でした。

お隣りさんが済んでから、私のベランダも一応見ておきたい、という事で、私は玄関を開けました。

一体、どれくらいの時間が経っていたんでしょうか。

辺りは、真夜中から早朝に、暗いというよりは青い感じになっていました。

部屋の中も、うっすら明るくなっていて…。

その真ん中に、男がいました。

正座をして、こちらを向いていました。

私が絶叫したのと、警察が男に気付いたのは、ほぼ同時でした。

男は

「逃げてはいけなーい」と、お芝居の台詞みたいに、いやにハッキリと言いました。

そして、立ち上がろうとした所を警察官らに取り押さえられました。

玄関には、その男の物と思われるスニーカーがキチンと揃えて置かれていました。

それがすごく気持ち悪かったです。

取り乱した私は、警察官に抱き抱えられ、半分引きずられながら外に連れ出されました。

警察官はしきりに、「大丈夫だから、大丈夫だから」と言ってくれていました。

しばらくすると、別のパトカーが来て、男を連れて行きました。

大分と明るくなった世界で見た男は、普通の人に見えました。

同級生とか、先輩とか、お客さんとかに、普通にいそうに見えました。

以上が私の体験した、怖い話です。

また、夏が来ますね。

皆さんも、気をつけてください。

(気をつけようがない事かもしれませんが。)

長文、読んでくださって、ありがとうございました。

怖い話投稿:ホラーテラー りょうさん  

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