秘密の花園・下 〈尾崎家シリーズ〉

長編10
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秘密の花園・下 〈尾崎家シリーズ〉

成美は、夢を見ていた。

夢の中で、これは夢だとわかる夢。明晰夢というやつだろうか。

夢の中で、成美は物語の姫君のようなドレスを着て、美しい花園を歩いていた。咲き乱れる花々、その間で遊ぶ鳥や蝶たち。まるでこの世の楽園のような場所だった。

しばらく立ちすくんで見とれていると、何かがドレスの裾を引いた。見下ろすと、手のひらに乗るくらいの小さな白い狐が成美のドレスを咥えて、こっちに来いとばかりに引っ張っている。成美はされるがまま、その狐についていくことにした。

色とりどりのパンジーに囲まれた小道を通り、睡蓮や蓮の花が満開の池の橋を渡り、迷路のような椿の生垣を抜けると、そこには小さな東屋が建っていた。

東屋には誰かがいて、成美を手招きしている。

今まで成美の足元にいた小さな狐は、いつの間にか消えていた。成美は誘われるように、自分の足で東屋へ向かう。

そして、そこにいる人物が誰かに気がつき息を飲んだ。

「お、尾崎さん⁈」

そこには、成美が恋焦がれる尾崎芽衣が、宝塚の男役のようなきらびやかな衣装で微笑んでいた。芽衣は呆気に取られる成美の手を取り、東屋へ招き入れる。

「成美さん、すごくきれいだよ」

「お、尾崎さん、どうしてここに? その格好は?」

言いながら、間抜けな質問だと成美は思った。ここは自分の夢の中なのだ。目の前にいる芽衣も、自分が勝手に作り出した妄想の産物に過ぎない。

しかし、芽衣は作り物とは思えないリアルさで囁いた。

「成美さんに会いたくて、夢の通い路を通って来ちゃった」

長い睫毛の本数が数えられるほど近くでそう言われ、頬を吐息がフッと掠めて、成美は腰が抜けそうになる。

芽衣はそんな成美を支えるようにして、一緒にベンチに腰掛けた。成美の腰に手を回して密着し、ジッと顔を見つめる。そして、夢ながら訳のわからない状況にパニック状態の成美の胸に、そっと手を置いた。

「鼓動がすごく速いね。緊張してる?」

「う、うん…」

「ねぇ。俺のも触ってみて」

ーー俺?

口調の変化を疑問に思う暇もなく、成美の手は芽衣の胸に押し当てられる。

そこは成美とは比べ物にならないほど落ち着いたリズムを刻んでいたが、それよりも衝撃的なことに成美は気がついた。

「お、尾崎さん? む、胸が……」

制服の下からでも存在をしっかり主張していた形の良い胸が、今成美の手にはまったく感じられなかった。

芽衣はニッコリと微笑む。

「うん。成美さんが、そう望んだから」

「わ、私が?」

「そうだよ。男の俺は、嫌?」

成美がブンブンと首を振ると、「よかった」と芽衣は嬉しそうに言って成美を抱きしめた。

「尾崎さん」

「芽衣って呼んで、成美」

「芽衣…」

現実の芽衣には申し訳ないが、なんて甘美な夢なんだろう。成美はうっとりしながらその名を口にする。

体をゆっくりと離してから、成美は再度息を飲んだ。芽衣も自分も、いつの間にかなにも着ていない、生まれたままの姿になっていたのだ。

しかし恥じらうよりも先に、成美は芽衣に釘付けになってしまった。引き締まった細い体には程よく筋肉がつき、陶器のように滑らかな肌の芽衣は、まるでギリシア神話の美少年のようだ。

思わずため息をついた成美を、芽衣は再び抱きしめる。肌と肌の密着する感触や温かさが生々しく、されるがままの成美は頭の芯がジンと痺れるようだった。

抱きあったまま、芽衣が耳元で囁く。

「成美は、本当に可愛いね。食べてもいい?」

「うん…」

問いかけに、成美はボーッとした頭で答えた。

すると、芽衣は成美の剥き出しの肩に唇を寄せた。

最初は舐めるように軽く、やがて音を立て痕が残るほど吸い付き、ついには歯を立てる。鋭い犬歯が肩にどんどん食い込み、プツリと音を立てて皮膚を食い破った。ジワリと溢れてきた赤い血を、芽衣は丁寧に舐めている。

その様子を、成美は眺めることしかできなかった。

噛まれた痛みも恐怖もまったく感じず、心地よい浮遊感と陶酔感が体を満たしている。

ーーもっと、してもらいたい。

声には出せないその願いを読んだかのように、芽衣は成美のへその辺りに手を置いて囁いた。

「成美は、俺のこと好き?」

「えぇ」

「なら、なにをしてもいい? 成美の中は、きっと熱くて美味いよね」

成美がコクリと頷くと、芽衣は腹に置いていた手を下に移動させた。陰毛をくすぐるように撫でたあと、その指を内部に潜り込ませる。

次の瞬間、赤黒い血が成美の目の前で吹き上がった。

驚いて見ると、股から胸の下まで一直線に切り裂かれていた。華奢な成美の体にギュウギュウに押し込まれていた内臓が、細い切り口から飛び出そうと傷口を押し広げ、グロテスクに溢れている。赤黒い血が湧き水のように流れ出ていた。

芽衣を見ると、穏やかな笑みを浮かべて成美の傷口を見つめていた。その手は人差し指がナイフのように鋭く伸び、血を滴らせている。

突然のことに驚きはしたが、この期に及んでまだ、成美は恐怖を感じていなかった。頭がぼんやりして、なにも考えられないというのが正しいのかも知れない。体もピクリとも動かなかった。

「芽衣…」

呟くと、芽衣はゆっくりと顔を成美に向けた。

均整のとれた美しい顔。その中で、瞳がひときわ強い輝きを放っている。赤茶色に燃えるような瞳。その中心の瞳孔は、刃物のように細く尖っていた。

ニィッと、芽衣が形の良い唇を歪ませる。

ーーこの人、人じゃないんだわ。

そう思った瞬間、成美の中に痛みと恐怖が津波のように押し寄せてきた。

大波に飲まれるような感覚に、成美は絶叫した。

・・・・・

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「ーーーーっっ!」

声にならない叫びと共に、成美は飛び起きた。

それと同時に自分の体をあちこち触って確かめる。怪我も出血もどこにもない。全身を塗りつぶすような痛みも、もう感じなかった。

周囲を見回せば、見慣れた自室が夜明け前の青い光の中に沈んでいる。昨夜就寝した時となにも変わっていない。

肩で息をしながら、成美は激しい動悸を鎮めるように胸を押さえた。

「夢よ、夢。当たり前じゃない…」

自分に言い聞かせるようにそう呟く。何度も大きく息をして、ようやく心臓も気持ちも落ち着いてきた。

それに変わって湧き上がってきたのは、猛烈な羞恥心。

「〜〜〜っ‼︎‼︎」

成美は枕で顔を覆い、ベッドの上をゴロゴロと転がった。

ーーなんて夢見ちゃったの⁈ あり得ない!

もしやあれが、自分の隠れた欲望なのだろうか? 同性に恋心を抱いているだけでも悩ましいのに、芽衣が実は男で自分をあんな風にめちゃくちゃに扱うことに、心の奥底では憧れている?

「ないないない、あり得ない! こんなの、ユウにも言えないよ〜。尾崎さん、ごめんなさいぃぃ」

誰もいない自室で、成美はしばらくジタバタ暴れて夢の余韻を追い払うことしかできなかった。

その後、様子のおかしな娘を呆れたように見る母親に追い立てられるように登校したが、教室に着いても斜め前の席の芽衣をとても見ることができなかった。

あんな夢に登場させてしまって、申し訳ない。そんな気持ちが成美の胸の内を占めていたのもあるが、つい顔を見てしまうと、あの淫らな夢がありありと脳裏に浮かびそうだったからだ。

そんなわけでようやく放課後になった頃には、成美はもうヘロヘロだった。

やっと帰れる。そう思いながら立ち上がろうとした時だ。

「加藤さん」

澄んだ声をかけられ、成美は硬直した。

「ちょっと、いいかな」

「尾崎さん…」

頰は熱くなり、背筋には寒気が走る。自分は今、いったいどんな顔色をしているんだろう。

そんな成美をよそに、芽衣は穏やかな顔で成美の机の前に椅子を持ってきて対面して座った。

「な、なに? 尾崎さん」

「たいしたことじゃないんだけど…、今日、なんだか加藤さんに避けられてるような気がして。ごめんね、ちょっとどうしたのかなって、気になっちゃって」

「ご、ごめんなさい! 変な意味はないの、なんだか今日はちょっと体調が悪くてっ…。嫌な気分にさせてたら、本当にごめん!」

成美は慌てて頭を下げた。自分勝手な夢で周りの人に嫌な思いをさせて、本当に最低だ。

しかし、芽衣は「大丈夫よ」と声を立てて笑った。そして、そっと成美に顔を寄せる。

「ねぇ、内緒の話をしてもいい? 加藤さんにだけ話す、秘密の話」

「え? う、うん…」

焦茶色の虹彩と黒い瞳孔が見分けられるほど近づいた芽衣の顔に、どうしても浮かんでくる夢の残滓を必死で頭から追い出しながら、成美は頷いた。

「あのね、実は私、恋人がいるのよ」

突然すぎる告白。高校生にはあまり似合わない「恋人」という表現が、芽衣が言うとこの上なくしっくりきた。

「そ、そうだよね。尾崎さん、すごく綺麗だもん。お付き合いしてる人がいて、当然だよね」

ショックを受けた気持ちを誤魔化すように、成美はまくしたてるように言った。なぜ芽衣が急にそんなことを打ち明けてきたのか、それを考える余裕もない。

芽衣は微笑みをたたえたままさらにグッと顔を寄せ、成美の耳元で囁いた。

「でも、お望みなら、昨日のように時々遊んでもいいわよ。夢の通い路を通ってね。成美」

愕然とした成美の目に、先ほどとは明らかに異なる芽衣の赤茶色に光る細い瞳が映る。

昨夜の夢の最後のシーンを思い出し、成美は金縛りにあったように動けなかった。

そんな成美の頭を一瞬だけ撫でて、芽衣は振り向きもせず教室を出て行く。

パタンと扉の閉まる音だけが、成美の耳に残った。

・・・・・

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「……ミ、ナルミ」

「……」

「ナルミってば!」

「! キャアッ!」

成美は悲鳴をあげて覚醒した。

真っ先に目に入ったのは、ヒラヒラと動く手のひら。そして、心配そうに自分を見つめる勇の顔。

「ユウ…」

「なんだよ、目ぇ開けて寝るなよな」

勇はホッとしたように息を吐き、成美の額を軽く小突いた。

「なんでここに?」

「なんかスゲェ美人がさ、ナルミが教室にいるから迎えに行けって。もしかして、あれが噂の尾崎さん? 確かに美人だな」

尾崎、と名前を聞き、成美はビクリと体を震わせた。そんなつもりはなかったのに、涙が溢れてくる。

予期せぬことに成美自身も驚いたが、もっと慌てたのは勇だった。

「え? なに、どしたの? 何かあった? 俺なんか言った?」

「だ、だいじょーぶ…」

「大丈夫じゃないだろ、それ」

勇はあたふたと身の回りを探し、バッグからタオルを取り出して成美の顔を少々乱暴に拭いた。

「…ユウ、汗臭い」

「うるせー」

「ユウ、私、失恋しちゃった…」

「…そっか」

「ユウの汗、すっごく目にしみる。涙が止まんない」

「黙れ。もっと拭いてやる」

勇の優しさに、成美はまた泣けてきた。

ようやく涙も枯れた頃、タオルの隙間から勇の顔が覗いた。成美を見つめる真摯な瞳と目が合う。

その顔が近づいてきて、そっと唇になにかが触れた。

ーーあぁ。そういえば尾崎さん、夢の中でキスしてくれなかったな。

なぜかそんなことを考えながら、成美はゆっくり目を閉じた。

・・・・・

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「あら、またそんな格好で」

真衣は縁側でくつろぐ飴色の狐に、呆れたように声をかける。

狐は物憂げに片目を開け、大きく欠伸をした。

「例の彼女は、諦めてくれたの?」

隣に腰掛けて真衣は尋ねる。狐の姿の芽衣は、その膝に顎を乗せてもう一度欠伸をした。

「まぁね。酷い夢を見せて、怖がらせるようなことをわざと言って…、仕方がないとはいえ、心が痛むよ」

「まったくそうは聞こえないけどね」

「でもまぁ彼女には、お似合いの幼馴染君もいるし。あとは彼が慰めてくれるよ」

「無責任ねぇ」

咎める口調ながら、口元には笑みを浮かべて真衣は言った。首回りのふかふかの毛並みを掻くようにすると、芽衣は気持ちよさそうにごろりと仰向けになる。その鼻先に、真衣は小さく口付けた。

その時、頭上から声が降ってくる。

「あんたたち、イチャイチャしてんじゃないわよ。芽衣、そんな格好で急な来客があったらどうするの」

「穂乃香おばさん」

「急な来客なんて、あったことないじゃないか…」

小言の主は、一緒に暮らしている叔母だった。

珍しく着物を着ている。華道の展覧会に行くと言っていたから、その帰りなのだろう。

「おかえりなさい」

「ただいま。あ、ねぇねぇあんたたち、同じ学校に、加藤さんと桧山君っていない? 多分、同じくらいの年だと思うんだけど」

タイムリーな名前に、真衣と芽衣は顔を見合わせた。

「確かに同級生だけど… それがどうしたの?」

「今日、その二人が並んで歩いてるとこ見ちゃった。なんか親密な雰囲気でね。まさか、付き合ってるの?」

「付き合うかどうかはこれからだけど、男の方はそうしたいと思うよ。それがどうかした? ていうか、なんで知ってるの?」

あちゃー、と穂乃香は額に手をやる。真衣と芽衣ははますます顔を見合わせ、首を傾げた。

「周りの大人が、とやかくいうことじゃないだろ」

「本来ならね。でもねぇ…」

「どうしたの?」

穂乃香はしばし迷うようなそぶりを見せたが、やがて口を開いた。

「あの二人はね、家が隣同士の幼馴染なんだけど、それだけじゃないの。実は、異母姉弟なのよ」

「はぁ?」

二人の呆れた声が重なる。

「加藤さんのお父さんっていう人は、なかなか気の多い人だったんだけど、結婚してからもそれは変わらなかったみたいでね。自分の奥さんが妊娠中に隣の奥さんにも手を出して、ってわけ。知らぬは本人たちばかり、あの辺じゃ有名な話よ」

穂乃香は自宅で着付けと華道の教室を開いている。噂話はいくらでも入ってくるのだ。

それに、穂乃香がこうも心配しているということは、それがただの噂話では済まないということなのだろう。

真衣と芽衣は呆気にとられ、一瞬だけ加藤家と桧山家の行く末を案じた。しかしすぐに、「まぁいいか」と思い直す。

「若い二人が好きなようにするでしょ。今は多様性の時代なんだし」

「そうそう。子供に親の尻拭いはさせられないよ」

穂乃香はそんな二人を少し呆れたような、羨ましそうな目で眺めた。

「あんたたちが一番自由よね」

美少女と狐は、そんな軽い嫌味に顔を見合わせて笑った。

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