中編6
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逃げろ

目を覚ますと、そこは病室だった。

左腕には管が通され、点滴であろう液体がゆっくりと袋の中でしずるを垂らし、ピッ、ピッと無機質な機械音が規則的に鳴っている。

ここはどこだ?俺は一体何を?何がどうなってる?

自らの状況が飲み込めない。慌てて上体を起こそうとすると後頭部に鈍痛が走る。思わず、うぅっ、と呻き声を漏らした。

「おい、アンタ、大丈夫か?」

不意の声かけに驚き振り向くと、そこには包帯だらけの男が立っていた。まるでミイラのように痩せた男だ。窓辺の月明かりに照らされ不気味さを手伝っている。

「あなたは誰なんだ?ここはどこなんです。」

「シッ。静かに。奴らに気付かれる。」

僕の問いかけに慌てるように、包帯男は人差し指を口元に据えると囁くように言葉を続ける。

「俺にもここがどこなのかはわからないが、ここへは訳ありの人間がどこからか定期的に連れてこられる。」

包帯から丸い目を覗かせ、舐めるように眺めた。僕は自らをを落ち着かせるように深呼吸をし、ジッと天井を仰ぐ。

「頭を、後ろから殴られたらしい。確かあの時、俺は電車の中でーーー」

ーーーそうだ。

僕はハッとした。

あの時、乗り合わせた電車内にナイフを持った男が突如無差別に乗客を切りつけたのだ。それも、何人もだ。車内はあっという間に血と叫び声に包まれ、まさに阿鼻叫喚であった。

僕の隣にいた女性が、あまりの恐怖に怯え座り込んでしまったその刹那、男はナイフを振りかざしその頭頂部を躊躇なく突き刺した。

うぅ、うぅ、と女性は激しく痙攣する。僕は金縛りにあったかのように動けず傍観していると、男は勢いよくナイフを抜いた。すると、夥しい鮮血が僕の顔に飛び散った瞬間、頭に衝撃が走り視界がぐにゃりとゆがんだ。

僕の記憶はそこまでだった。

ーーーつまり、俺は助かったのか。

「すみません、俺は何日間寝ていたのですか」

「アンタがここへ連れてこられたのは4日前さ。あの、無差別殺傷事件の被害者なんだろ?生きてる方が奇跡だ。他の連中は滅多刺しのようだな。」

「電車の事件を?知っているんですか。」

「当たり前じゃないか、戦後最悪の無差別殺人って事で世間は大騒ぎだ。あんな事件、知らない方がどうかしてる。ここの連中も皆アンタの話をしてるよ。」

包帯男は大袈裟に肩をすくめる。

「俺は殺されなかったのか。頭が酷く痛い。」

ようやく状況が飲み込めてきたようだ。僕はあの時、巻き込まれながらも一命を取り留め、この病院へ搬送された、という事らしい。

僕が落ち着く様子を見た包帯男はニヤつくと、口を再び開く。

「しかし、本当に良く生きていたもんだな。犯人は完全にイカれてる。アンタはたぶん、何かで頭をどつかれたんだろうな。ここの奴らが言ってたぜ、脳みそが垂れる寸前だった、って」

僕はその言葉に、痛む後頭部を思わず抑える。包帯男はニヤつきながら更に言葉を続けた。

「よく、自分だけ都合よく生き残れたもんだ。」

その言葉にカチンと来た僕は、顔を背ける。 

「こっちはね、必死でしたよ。当事者じゃないあなたにはわからないと思うがね。とにかく誰かを呼びたい。頭が割れそうに痛い。ナースコールはーーー」

「馬鹿言うな、そんな物あるか。ここは人体実験場なんだ。病院なんかじゃないぞ」

僕の言葉を遮るように包帯男は言うと、ジッと見つめた。僕もその丸い目をキョトンとしたまま見つめる。

「いいか、ここは政府直轄の人体実験場で、病院じゃない。収容者を切り刻み、実験薬を飲ませボロボロにする。俺のようにな。」

包帯をほどき、注射と縫い傷だらけの腕をそっと見せる。余りにも痛々しかった。

「ちょっと待ってくださいよ。そんな突飛な事言われても。じゃあ何故俺はこんな場所にいるんですか。被害者なんですよ。」

「落ち着いて聞け。ーーーそのイカレた犯人ってのが、政府高官の身内らしい。その事実を揉み消したい政府側は、アンタを犯人に仕立て上げたんだと。イカレた犯人とやらにな。ここの連中がそう話してるのを聞いた。間違いねぇぜ。」

荒唐無稽なその話に、僕は目眩を覚えた。ありえない、そんな馬鹿な話があってたまるか。きっとこの男のデタラメに決まっている。ーーーそんな考えをグルグルと脳内を巡らせていると、ドアの向こうから足音が聞こえた。

「シッ。ベッドに横たわれ。いいか、絶対に起きている事を連中に気付かれるんじゃないぞ。」

そう言うと男は、そそくさと自分のベッドへ潜り込んだ。僕も言われたまま寝たふりをすると、ドアがゆっくりと開いた。足音は更に近づき、遂には僕の側でピタッと止まる。

「ーーーどうだ、彼のまだ意識は戻らんか。」 

「ええ、無理もありません。こんな傷ですから。脳挫傷の一歩手前、重傷なんですよ。あんな凄惨な事件です、せめて私達だけでも手を尽くさなければ。国もそう求めているでしょう。彼には大変酷ですが。」

「そうだな。彼には何とかしてでも生きて貰わなければならない。朝になったら精密検査をしよう、例の方法でな。なるべく苦痛は与えず、だ。術後の経過も診たい。あぁ、そうだ、例の患者なんだがーーー」

話し声と足音が遠ざかり、ドアが閉まる事を確認した僕は、ドキドキと高鳴っている心音を抑えるのに必死だった。向かい側のベッドから、包帯男がむくりと起き上がりにやりと笑う。

「うまくやったな。だが、問題はこれからだ。奴らも今言ってたろ?検査だの、例の方法だの、何だのーーー要は人体実験さ。この国にとって不要な人間や、不都合な人間はここへ収容され、医療技術発展を名目に全身好き勝手弄られるのさ。俺達に人権はないらしい。」

一体僕は何をされるのかーーー

そう考えるだけで身体が震える。嫌だ、何故僕がこんな目にーーーこんな筈じゃーーー

そんな僕を見透かすかのように、包帯男はこう告げた。

「逃げろ。まだ間に合う。どうするかはアンタ次第だがーーーこんな惨めな末路は嫌だろう?こんな筈じゃなかった、自分は選ばれた人間だ、誰よりも優れている、と。大方そんな事を考えてるんだろう。違うか?」

その言葉は、何故だかこれまでと違い理路整然と聞こえ、僕の心の奥まで滲みている気がした。

「何故わかるって顔だな。はは、俺もアンタ側の人間だからさ。あぁ、その目を見ればわかる。アンタも俺側の人間って事を。だから、わかるのさ。」

一瞬の静寂の後、僕は口火を切った。

「ここから出るには、どうしたらいいですか。」

「今の時間なら警備も手薄だ。やるなら今、俺と手を組んで強行突破しかない。どうする?」

僕は心を決めた。

包帯男はゆっくりと立ち上がり、僕を見下ろすとこう言った。

「その前に一つ、聞かせてくれないか。アンタ、自分も被害者だって言ってたな。あれはどういう意味だい?」

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『続いてのニュースです。先日発生した地下鉄無差別殺傷事件の続報です。

今日未明、犯人の男は緊急搬送された病院内で、医師や看護師、警備員ら6人を刃物で刺し、医師2人と警備員が死亡、その他2人が重軽傷を負いました。駆けつけた警察官によって男は再逮捕されました。繰り返しますが、この事件の前、容疑者は地下鉄車内において、12人を切りつけた後、乗客らによって取り押さえられた際、頭部を負傷し入院中でした。容疑者はうつ病及び統合失調症の疑いが強く、刑事責任能力があるのか、警察は精神鑑定を急いでいます。』

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@りこ様

コメントありがとうございます。
お考えの通り…かもしれません。

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