中編3
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牛の頭

「お帰りなさい、あなた」

妻の声でそう出迎えたのは、妻のピンクのエプロンを付けた牛だった。

正確には、首から上だけ牛の人間、というべきか。

ミノタウルス? それとも件か?

私のなけなしのオカルト知識が頭の中で大騒ぎするが、もちろん正解は出ない。

何も言えない私に、牛は「どうしたの?」と小首を傾げて尋ねる。それが妻の仕草そのままだったため私はますます混乱した。

玄関で回れ右をし、近所の居酒屋で一杯引っ掛けて気持ちを落ち着かせてから帰ったが、

「モ〜、一体どうしたのよ」

家で待っていたのはやはり立腹気味の牛だった。

ただでさえ理解不能で恐ろしいのに、牛はそのうちツノを出しそうな勢いだったため、私はその目を見ず、そのまま布団に潜り込んだ。

「あなた、大丈夫なの?」

挙動不審なこちらの身を案じる牛の様子は妻を思わせ、私はわけもわからぬま、布団の中でちょっと泣いた。

・・・・・

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夜明けとともに家を出て、私は昔馴染みが神主を務める神社へ急いだ。酒好きの女好きという、まったくあてになりそうにない男だが、彼は私の知る唯一の専門家だ。背に腹は変えられない。

事情を話すと、彼は「ハハーン」と物知り顔で言った。

「お前さん、厄年に厄を落としきらなかったな?」

「確かに去年は厄年だったが…これまでも、何かが起きたことはないぞ」

「その慢心が厄を呼ぶんだよ。いいから、すぐに家族揃ってうちに来い。俺が払ってやるから。これ、料金表な」

夢であってほしかったが、その日もやはり、妻の声の牛が私を出迎えた。私は吐き気をこらえながら、明日神社へ行くことを告げた。

・・・・・

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次の日。

神社に行くということで晴れ着を着せてもらった娘は、久しぶりの家族揃っての外出にはしゃいでいた。

娘がいつもの可愛らしい姿でいてくれることは、私の大きな救いだった。花柄の朱い着物かよく似合っている。あの牛が着付けたということは、考えないことにした。

娘には、牛は人間の姿に映っているようだ。しきりに「ママ」と話しかけてはしゃいでいる。

「ママ、今日はどこに行くの?」

「パパのお知り合いの神社よ。お祓いをしてもらうんですって」

「はらう? なにを?」

「さぁ、なにをでしょうねぇ? ちょっと長いかもしれないけど、大丈夫?」

「へいき!」

目を瞑れば、いつもと変わらぬ妻子の会話だ。私は混乱する頭を抱えながら道を急いだ。

・・・・・

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あっけないほど簡単に、厄払いの儀式は終わった。なにかが変わった気はしない。

恐る恐る目を開ける。隣には、いつもの妻の顔があった。

「ちょっ、あなた、どうしたのよ」

私は思わず妻を抱きしめた。涙が出るほど嬉しい。

厄払いがこんなに大切なことだなんて知らなかった。あいつも、いつもは頼りない男だが、神主としては優秀なようじゃないか。次の厄年には、必ずまたこの神社に詣でよう。

「パパとママ、ラブラブ〜」

娘の歌うような揶揄に照れながら、私は彼女のことも抱きしめようと手を伸ばした。

そこには、ヨダレを垂らした晴れ着姿の子牛が、爪先立ってはしゃいでいた。

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