長編11
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これなんの肉?

僕たちは『八木』の家で晩酌をした。

メンバーはその『八木』含め三人。

僕こと『乾』。

大学時代の友人『真白』。

八木の家を出るやいなや真白は「さっきの晩酌会、どう思う?」

紺色のブルゾンから細い手首を出して顎に手をあて訝しめに訊いてきた。

「どうってなに? 普通だったよ」

「普通? じゃあ、あれはどうだった? あの新聞紙の上に出されたあの肉のこと」

「普通……だったかな……」と僕はこくりと頷いた。

「じゃあ、あれ、なんの肉なんだ?」

「鶏肉じゃないの? 見た目的に一般的なからあげだったし」

しかし真白は小さくかぶりを振る。

「いやいや、見た目は確かにそうなんだけどさ、問題なのは味だよ……あ・じ」

語尾を少し弱めて、それでいて強調するようなアクセントで言う。

深夜のしんとした並木通り、数メートル先の信号の歩道音が日中よりも心なしか大きく聞こえる。点滅した信号機を見て僕たちはやや小走りで駈け抜けた。

小走りといっても僕たちははぁはぁと肩で息をする。

もう三十代後半の心音は小刻みに鳴り、歳という言葉の重さを身体で感じる羽目になってしまう。

「……で、なんの話……だっけ?」

渡り終えた僕は膝に手をついて訊いた。

「だから、あれ、なんの肉だっけなって話」

「ああ、普通に鶏肉じゃないの? 見た目的に……ってあれ?」と既視感が過ぎる。歳のせいか、多少のことですら、なんだか忘れっぽくなってしまっている。つくづく歳という時間が生み出した固定概念に苛まれてしまう。

「味もからあげだったか?」と真白は言う。

「味……あ……じ……?」

ぼけっと先ほどの肉を思いだす。

おいおい記憶だけじゃなくて味覚も鈍くなってしまったのかと感じるほど、味が思い出せない。

いや、というよりそれほど普通だった、言い換えればどこか物足りない、インパクトに欠ける味だったというべきだろうか。

「鶏、って感じの味じゃなかったぞ。どう考えてもだ。どちらかというと豚、いや牛の肉に近いような……とにかく鶏ではないことは確かだ」

真白は真剣な瞳で僕に訴えかけるが、やはり僕自身ぴんとこない。

「酒も入ってたから味の感覚がなかったのかな」

「乾は煙草吸うだろう? だから味に関して言えば俺の方が敏感かもな」

「まぁ……それはあるかも、仕事柄か最近ストレスで半箱ぐらいだったのが一箱吸うようになったんだ。値上がりもしたし、だんだんと喫煙者にとっては生きにくい世の中だよ全く……」

これだから総合職は……、と続けそうな口をつぐんで、向いた足先はニコチンを欲しているのか、コンビニ前の喫煙スペースに視線がいく。

ちょっと吸っていいか、とジェスチャーして真白は渋々と頷いた。

「うん。これ吸ってる間は少し頭が回るかな、じゃあ考えてみよう。さっきの肉はなんだったのか……だな」

そう言って僕は思考の網を広げながら夜空に向かって紫煙を吹いた。

「今の段階で考えれるポイントは三つかな」

「三つ?」真白はぽかんと僕の言葉を反芻させた。

「そう、三つだ。これは単純に鶏の肉か、鶏の肉ではないか、の簡単な二択問題ではないぞ」

改めて僕は人差し指を立てて解説を始める。

「まず、一つ――まぁこれは言うまでもないかもしれないけど実は鶏肉だったという可能性だ。言ってみれば君の見間違いならぬ味間違い」

続けて中指を立てた。おっと……表現が悪いな……手のひらを真白に向けて人差し指を立てながら数字の二を表した、というべきか。

「二つ――君が言ったとおり、豚や牛、他の肉を使用したものを食べさせられた、だな」

冷静に聞いていた真白が、おいおい、と割って入る。

「それだとやっぱり鶏orそれ以外になってしまわないか?」

「まぁ、そう慌てるな。あるだろ? 他の選択肢も」

そう言って僕は薬指も立てた。

「三つ――そもそもあれは肉などではなかった、だ」

「はぁ」と真白は肩を落とした。

「肉じゃないって……じゃあなにを食わされてたんだよ……」

「そこが唯一思考するチャンスだよ――」一旦言葉を切って二本目の煙草にすいと指をやる。

「さて、状況が増えたな。鶏肉か、そうじゃないか、そもそも肉ではなかったのかもしれない三択。三つ目の根拠? そうだなぁ、僕たちは揚げ物ってだけでそれが勝手に肉だと思い込んでいた。中身なんてろくに考えもしなかったという証拠、つまり味覚の問題ではなく先入観の話さ」

うう、と真白はややばつの悪い表情になる。

「そうそう、アルコールは意識の感覚を麻痺させる効果があるとしても喫煙は関係ないよ。重要なのは思考の問題」と僕は静かなトーンで囁いた。

「はいはい、わかったよ」と真白は先ほど伸ばしきっていた鼻を折った。

「じゃあ次、なぜ新聞紙を食器代わりにしたのか、だな」

「それは単純に洗い物をしなくて済むからとか、食器の油汚れを防いだだけじゃないのか?」

真白は自身の発言にうんうんと頷きながら言う。

「確かにそう考えれば納得はつく、でもこうも考えられないか――」

胸ポケットから三本目の煙草を取り出す。

「これだよ、これ」

 僕はそう言って煙草を示した。

「それが?」

「覚えてないかい? 八木自身喫煙者、そして部屋で吸うタイプの人間」

ああ、とここでやっと真白は気がついた。非喫煙者にとって盲点だったのだろう。

「八木は食器を灰皿代わりにしていた。つまり食器のダメージにあまり関心がないのだろう」

そう言ったが真白は一瞬首を傾げて疑問をつぶやいた。

「いや、それは灰皿用の食器を一つ用意しておいてだな、それを使い回してるんじゃないのか?」

「それはない。ほら、もっとよく思い出してみなよ。灰皿代わりにした食器にしてはずいぶん綺麗過ぎだと思わないかい? あの家のルールでは、たとえ灰皿代わりにした食器だとしても関係なく使い回していたんだ。その後洗い流して食事用としても使用していた可能性がある。それに、あの新聞紙、一枚しか敷かれていなかっただろう? 普通、油汚れを気にするなら、一枚だけではなくもっと何枚も重ねて敷くべきだと思わないかい? そうじゃないとテーブルに染み渡ってしまう。そういう理由もあってだな、つまり……ちょっと失礼――」

僕は三本目に火を灯し、紫煙と共に言葉を吐き捨てた。

「新聞紙でなくちゃいけない理由が存在してる気がするんだよなぁ」

「想像が膨らむなぁ」と真白はぼんやりベンチに腰を落とし、膝の上で頬杖をついた。

「理解してくれたかい? じゃあ話を戻そう。なぜ、八木は新聞紙を食器代わりにしたのか」

そう言って時刻を確認する。午後十一時を回った辺りだ。妙なテンションになる時間、“深夜力”とでも命名しておこうか。とにかく話が盛り上がってきた。

「新聞紙でなくちゃいけない理由か……しかも食器類の汚れ理由を排除して……ね。なにか思いつくか?」

ふぅと白い霧を吹き出してぼんやり消えるのを確認しながら僕は眉をひそめた。

「こういうのはどうだい? そもそも新聞紙を処分したかった。それもたった一枚のページを、と考えればさっきの一枚しか敷かなかった理由の説明がつくだろう」

え! と真白は驚いた素振りをして

「まさか八木は犯罪者だったってオチか?」

「いや、それは飛躍し過ぎだ。そもそもニュースなんて今やネットでも見れるし、あの新聞だって運勢やらテレビ番組の項目だったからその可能性はないよ」

「なんだ……」と舞い上がったテンションをがくりと落とす。どこに舞い上がったのか……全く、深夜力は恐ろしいな、と僕は心中で唸る。

「じゃあなんで処分しようとした?」真白が訊く。

「まだ新聞紙でなくちゃいけない理由について考えてないだろ? そう慌てるなよ。そうだな……たとえばこういうのはどうだ? あの新聞紙になにか記載されていたとしたら、記事そのものではなくてあの新聞紙をメモ代わりに使っていて、なにかボールペンとかマジックとか修正テープや修正液でしか消えない文字を残してしまったとか」

「なるほど……いや、それはどうかな」と真白は喰ってかかる。

「ボールペンとかマジックなら塗り潰してしまえば済む話じゃないか、わざわざ処分させるほどのことか?」

「インクが切れていた、と考えればどうだい?」

はっと真白は息を呑んだ。

「インクが消えて、尚且つ、家に置いていたらマズい文と化してしまった、そう考えれば一応納得できないかな?」

僕はぼんやりと言った。なぜぼんやりかと問われれば、正直その先を現在進行形で考えているからだ。

「わからないのは俺たちに見せてはならないということだよな?」

「そうなるな。八木は僕たちと一緒の独身で、他に同居人もいない一人暮らしだからな」

そう。そこがミソなのだ。仮に、八木が既婚者、及び、誰かと同居していたとすれば新聞紙を処分してまで隠したいことがあることの説明がふんわりとつく。しかし、それが僕たちに対してだけだったのなら処分までしなくてもどこかに隠すだけで済むはずなのだ。なぜ、わざわざ処分する必要があるのか、そこがどうしても消化できない。疑念が胃にネバネバと疑問がへばり付いている。

「なぜ新聞紙……別に新聞紙じゃなくても、ラップやキッチンペーパーでよかったのに、よりにもよって新聞紙……新聞紙……新聞……ん?」

自分で言葉を反芻する内にまた一つ、疑問が湧いてくる。

「仮に新聞紙そのものじゃなくて、テーブルを自体を僕たちに見られたくなかったのだとしたら?」

確信へとはならないが、また仮説を立ててみた。

「うーん。確かに俺たちは新聞紙を処分した所を直接見てないからそれもあるかもしれないな」と真白も頷く。

「しかし、そうだとしても今更確認しに行っても遅いだろう。もしその隠したいものが血痕だったとしても既に拭かれていると思うし、新聞紙だったとしても既に処分済みだろう」

でも、なにかが引っ掛かる――そう、ずっと心の中に蟠りがある。喉までその、なにか、が這い出ているが発信まで至らない。

僕は四本目の煙草に火をつけ、眉間に皺が寄せる。

「あっそういえば、君、写真撮ってなかったっけ? 酔っ払っててよく覚えてないけど、なんかパシャって音したような」

そう言うと真白はポケットからスマホを取り出した。

「ああ確かに、撮ったと言うより撮ってしまったんだ、スマホを取り出した時に誤って撮影モードになってね。ほら、スマホの機能でロック解除の画面から右にスワイプしたらそうなるだろ? そこで操作を間違って撮影しただけだよ。まぁもし例の肉や新聞紙が写ってたらなにかヒントになるかもな」

真白は言いながら写真フォルダーを確認する。

「え……?」と弱々しい声が数秒後に響いた。

「なんだ? ブレでもしたか?」

「いや、違う」と真白はどこか青ざめた表情。

「写真自体はよく撮れてる。肉も新聞紙も、でもちょっと問題が……よく見てくれ、ほら、この写真を逆さに向けて上部の方」

言われて確認する。

「……6月30日?」と声を漏らす。

「そうなんだ。おかしいだろ? だって今日は6月17日、いや、日を跨いだから6月18日か。とにかく未来の新聞紙じゃないか!」と真白は慌てて捲し立てる。

「落ち着け、そもそもなんの記事かもよくわからんだろ。なにに対しての6月30日か、この画像だけでは判断できん。それに――」と僕はスマホでカレンダーを確認する。

「ほら、直近だと6月30日は2017年に該当する、だからそもそもあの新聞は2017年のものだったというわけさ」

「なんだ……」とまた真白はがっくりとした表情になる。だからなにを期待しているのか。

「よって八木は2017年の新聞紙の上にあの肉を……いや……」

言って自分で違和感が込み上がる。

「なぁ、この肉、ちょっと浮いて見えないか。僕の見間違いかな? 一応僕のスマホに画像送ってくれ。ちゃんと確認したい」

真白は、わかった、と言って画像を送信した。写真フォルダーに移行して再度写真をまじまじと確認する。

「むぅ……言われてみればそう見えなくもないけど、肉が浮くことなんてあるのか……」と真白が囁きながら言う。

「いや、八木のことだ。あいつは昔からイタズラ好きだっただろう? こっちが酔っているのをいいことに意味のないイタズラを仕掛けたのかもしれない」

真顔で言う僕に真白は

「じゃあ新聞紙を処分したいなんていう気持ちはなかったことになるぞ。もし、本当になにか細工して肉を浮かせて、俺たちがそれに気付いたら肉と新聞紙を必要以上に確認することになる。処分したいならそんなリスキーなことは避けるべきだ」

真白の言うことは正論だ。僕は少し投げやりに

「じゃあ新聞紙で肉が出されたのは八木の気まぐれってことになるな。いや、そもそも人間なんかそんなものか、無意識のうちにたまたまそこに新聞紙があったから皿代わり使った……そんな所か」

僕は四本目の煙草を灰皿に押し揉み、背伸びした。

ふぁ、と欠伸をして「そろそろ帰るか」と言う。

「ええ? まだなんの肉なのか判明してないじゃないか」と真白はいい歳をして駄々っ子のように言った。

「山羊の肉かもな、八木だけに、さっきも言っただろ? あいつはイタズラ好きなんだ。鶏肉じゃないとしたら、自分の名前の肉を使用しただけ、君が違和感を覚えたのは味じゃなくて山羊肉特有の臭みのせいかもしれないな」

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『お前ではない』

6月30日――八木からこのようなメッセージが届いた。

どういうことかと思案したが、次に送られたメッセージで全て理解した。

あの時、四本目の煙草に火をつける前に感じた違和感は半ば当たっていたのだ。

『八木(やぎ)=山羊』で肉は山羊の肉という可能性は割と最初の段階で出ていた。そして、あまり考えたくなかったのが、僕の名前……。

『乾(いぬい)=犬』は流石に……と考えてしまい、それ以上思考するのをやめてしまった。今となっては後悔でしかない。

あの時の違和感はこうだ。

『真白=?』

僕は確信させるため調べてみた。

真白……大学時代、出会った当初に漢字だけ知っていたから気軽に「ましろくん」と呼んで訂正された彼の名前は『ましら』と呼ぶそうで、その時は珍しいと思っていただけだったのだが……。

ましら、ネットで調べて初めて別の意味があることがわかった。

『真白(ましら)=猿』になる。

つまり、あの時出された肉は猿の肉なのか……?

それに6月18日、真白から送信された画像には6月30日の記載がある。

今送られたメッセージは画像で、あの時と同じ日付が入った新聞紙が画面にある。

その新聞紙の上にはあの時と違う肉……いや、肉塊と言ってもいいだろう。

真白の着用していたブルゾンが映し出されていて、その袖口からは不気味な形をした揚げ物が映し出されている。

もしかしたらあの時、真白がスマホで肉を撮影したのはあらかじめ八木が彼のスマホにそうなるように細工していたのかもしれない。

そう考えるとあの新聞紙は予告のつもりだったのかもと想像がつく。処分するのではなく、僕たちに見せつける為。

そしてそれを6月30日に決行するぞ、という警告を意味していたのかもしれない。

――『お前ではない』

それは僕の名前にちなんだ犬――でもなければ、八木の名前にちなんだ山羊――でもない。

せめて、真白の名前にちなんだ猿――であって欲しいと切実に願うばかりである。

だってそれを境に真白との連絡がつかなくなったのだから。

おわり——。

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