私は今年51歳になる。
職業は公務員で、19歳の娘と15歳の息子を持ち、45歳の妻は良妻良母で、家庭を19年間支えてくれた。
8年前にはコツコツと貯めた積立貯金で、念願だったマイホームを購入し、週末には家族で食事に出かけるなど、家族ともうまくやっている。
平日は毎朝7時に起床し、電車で1時間揺られながら仕事場へ向かい、定時に帰宅しビールを片手にTVを眺める‥
一見、安定した平凡な人生。
だが、「これは本当に私の人生なのか」、と私は私を疑っていた時期があった。
それは、2年前の夏に起きた不思議な出来事が始まりだった。
2年前、私はしばしば決まった夢を見た。
その内容は、こうだ。
私は公務員ではなく船乗りの仕事をしていて、浅黒く日焼けし誇らしげに海を航海していた。夢の中の自分は、現実の自分と掛け離れすぎていたが、不思議と心は満たされていた。
別に船乗りに憧れている訳ではないが、少なくとも心躍る感覚があったのは確かだった。
しかし、いつからかその夢は悪夢に変わった。
夢の中の自分は大シケの海にいて、波に揉まれながら船ごと海の底へと沈んでしまう、というものだった。
その頃は、ほぼ毎晩その悪夢にうなされていたと思う。
なぜだろう‥あんなにキラキラと輝いていた夢が‥
すると、いつからかそんな夢すら見ないようになった。
休日、妻の煎れてくれた紅茶を飲みながら、私はいつもの様にTVを眺めていた。
妻「あなた。ちょっと前から浮かないようだけどどうしたの?」
突然、妻が言い出した。やはり女房には隠せない。
私「うん‥なんだか今の人生、自分の本当の人生じゃない様な気がしてなぁ。」
妻は何を言ってるの、と少し笑いながら紅茶をすする。
私「いやね、つい最近まで変な夢をよく見てたんだよ。夢の中でのおれは船乗りで、すごく楽しそうでさ。それで、今度は最近はその逆の悪夢を見るようになって‥船が転覆しちゃうんだぞっ?対極だよ‥。」
妻「ふふ。つまりいい夢を見て現実とのギャップを感じちゃって、今度は悪夢を見るようになってうなされてるって事か。子供みたいね。」
ははっと私は笑った。
妻「そういえば、あなた双子のお兄さんがいたのね。この間、お義母さんと電話して初めて知ったわよ。」
私「あぁ‥」
私には、“兄”がいた。
少し、昔話をしたいと思う。
私は幼い頃に双子の兄を亡くし、以来一人っ子として育てられた。記憶はほとんどない。両親によると、私達はよく二人で遊んではいたずらばかりしていたという。
写真を見ると、確かに私に良く似た子供が私と写っている。そんな写真がいくつもあったので、記憶はないが確からしかった。
兄の死因は、近所の用水路で溺死したという事だったが遺体は発見されず、用水路付近に兄の靴が見つかり、恐らく足を滑らせてしまったのだろうと当時の警察に処理されたらしい。
私が兄について知っているのはこんな事くらいだ。
私「もう何十年も前の話だよ。おれが子供の頃さ。
それより、今度仕事でK県まで行く用事ができたんだ。悪いんだけど準備しておいてくれよ。」
妻「はいはい。」
そして数日後、私はK県に電車で向かった。駅に到着したが、約束の時間までにはまだかなり時間があった。私は気まぐれに港に行く事にした。
海を目の当たりにした私は不思議な気持ちにかられた。
懐かしい様な、切ないような‥
しょっぱい潮風を体一杯に浴びながら、そんな事を思っていた。
「あの‥失礼。人違いだったら申し訳ない。あんた、〇野コウジか?」
突然後ろから声をかけられた。声の主は、ずいぶんとがっちりとした体格に日焼けした肌、たくましく生やされた髭の男だった。恐らく歳は30代後半‥いやもっとだろうか。
私「いえ、人違いです。」
男「そうか‥そうだよな‥。そんなはずないな。いや、本当に申し訳ない。あまりにも知り合いに似てたもんで。おれはてっきりそいつだと。失礼した。」
胸を撫で下ろす様に、男は溜め息混じりに言った。
私「そんなに私に似てる方なんですか?」
と興味深げに聞いてみた。
男「あぁ、似てるなんてもんじゃねぇ。クリソツだよ。背格好もまるでコウジさ。奴はちょうど‥そうだな、この瞼の上に傷があって、髭も生えててな。でも奴は死んだって聞いたから、ビックリして声をかけちまったって訳だ。」
私「あの‥その方とあなたはどういうご関係なんですか?」
男「仕事仲間さ。おれ達はタンカーの船乗りでね。アジア中心に船で海を周ってんだ。すごくいい奴だったよ。喧嘩っ早いが情に厚くてな、豪快な奴だった。そういえば、おれはガキの頃に誘拐されて東南アジアに売り飛ばされた事がある、なんて言ってたっけ。」
私「誘拐‥ですか。」
男「あぁ、おもしれぇ奴だろう?だがコウジは3ヶ月くらい前に大シケに遭っちまってな。船ごと沈没して死んじまったよ。まぁアイツらしいと言えばアイツらしいが‥」
‥大シケ?沈没?
なんだかフッと思うことのあるワードだった。男は構わず続けた。
男「おれと奴は半年前までは同じ船に乗ってたんだ。そういえば、コウジは妙な事をずっと言っててな。」
その妙な事、というのはこういう事だった。
コウジは不思議な夢を良く見ていたという。自分が普通の会社で働き、家族がいて、平凡だがつつましく幸せな人生‥。
守るものがあるからこそ愛おしい‥。
男「その夢を見る度に、自分の人生は、本当の人生なのか時々わからなくなる、ってよ」
私は唖然とした。
そのコウジという人物は、ほぼ私と重なっているではないか。
つまり、
私の見ていた夢がコウジの現実で、
コウジの見ていた夢が私の現実ということになるのだ。
しかもコウジが亡くなったと思われる時期に船が難破する夢を見始め、これらは偶然なのだろうか。
“まさか‥双子の兄ではないのか”
この憶測が頭を過ぎった。
兄は死んだと言われているが死体は発見されていないという事実がある。
コウジは幼い頃に誘拐されていたという事実‥。
また、何より私とコウジなる人物がそっくりだという事実。
頭の中で散らばっていたものが、一本の線になり繋がった。
男「いけねぇ、もう仕事だ。また縁があれば会いたいものだな。」
そう言うと、彼は港の端に停泊していたタンカーに向かって歩いて行った。
“船乗りコウジ”と私は兄弟‥
しかし、これはあくまで私の憶測であって、確固たる証拠はない。
だが、“船乗りコウジ”が私の実の兄だと思う材料は、私の中にたくさんあった。
昔から、双子は何か不思議な縁というか、力というか‥何かがあるようだ。
互いに遠く離れていても、夢というカタチで互いの人生を分かち合えた私達。
まるでふたつの人生を体験したような妙な感覚だった。
波しぶきをあげる防波堤の真上には、ウミネコが哀しそうな声で鳴いていた。
完
怖い話投稿:ホラーテラー ゆーじさん
作者怖話