ベートーベンの「運命」は、ドアを叩く音をモチーフにしているらしい。
聴力を失った音楽家はどのようにして、運命が戸を叩くのを聞いたのだろうか。
そんな疑問はさておき、俺はというと、先日怪しげな外国人から買ったドラッグに手をつけている。
話によれば「合法な」ドラッグのはずなんだが、どうやら宇宙のお友達と交信できてしまう代物らしい。さっきからエクトプラズムみたいのが視界をちらついている。
[ドンドンドンドン]
優しさのない音がドアの方から聞こえた。
やはりノックの音は、どう頑張っても「ダダダーン」には聞こえない。
「おい、谷村、入るぞ」
と言って、靴も脱がずアメリカンスタイルで上がり込んだ二人組は、足元に散乱するごみを足でどかしながら、俺の方に近づいた。
「うわっ、臭せっ、カブトムシが死んだにおいがする」
「んだよ、谷村。とうとう薬に手を出したか」
この二人組は、金欠気味の俺のためにお金を工面してくれて(利息は十日で三割ペース)、俺が忘れないように毎日電話で催促してくれる上に、こうしてわざわざ足を運んでお金を取りに来てくれる心優しいおじさんだ。
まあ有り体にいえば、いわゆる闇金。
「おーい谷村、我慢の限界なんだよ俺たちも」
「とりあえずな、俺らは誠意を見たいんだよ。払えるかどうかじゃなくて」
金髪の田中と、オールバックの浦口が、地元の先輩みたいなノリでカラんでくる。
「いやぁ、もう払えないっすね」
俺は朦朧とした意識の中で、いつも通りの口上を述べた。
「まぁさ、色々手はあるじゃん」
田中がガムをくっちゃらさせながら俺の隣に座った。
「色々って、出すべきカードはもう出し尽くしたんスよ」
と言って俺は、そのまま横になった。
ここまでは確かにいつも通りだった。
ただ、いつもと違うのは、二人の顔がなぜか、慈悲に満ちていたということだ。
「俺らもさ、お前はやればできる子だと思うんだよ。
でもな、審判の日を先延ばしにすることはできないわけ。
それでな、早く展開を進めたいとおっしゃってんだよ」
浦口は諭すように語り始めた。
だが俺は、後半の主語の掛けた文章が気になった。
「『おっしゃった』って、誰が?」
「俺だ」
といって出てきたのは、Ⅴシネから飛び出したような、いかにもなヤ○ザだった。
あれ、おっかしいな、この人眉毛ないよ。
「俺らの社長に当たる人がな、俺らだけじゃ回収できないからケツ持ちのヤ○ザに頼もうって話になったんだよ。そこで呼ばれたのが村上さんってわけ」
田中が簡単に話をまとめた。
「よろしく」
といって村上は、裏ピースを作った。
そのフレンドリーさに、俺も思わずピースを返しそうになった。
だが次の瞬間、俺の体は宙へ浮いた。正確にいえば、俺の胸ぐらをつかんだ村上が、俺の体を高々と持ち上げたのだ。
「マジな、借りた物は返そうな」
村上がゼロ距離ですごんだ。ガチでヤバい。
「この辺ってさぁ、海産物がよく取れるよな」
村上は突然意味のわからないことを言った。
「は?」
「俺らとしてはさぁ、できるだけ穏便に済ませたいわけよ。でさ?最大の譲歩策としてさ」
「・・・・何ですか」
「埋める」
「・・・・え?」
「聞こえねぇ?埋めるんだよ」
「・・・・マジですか・・・・?」
「そういうことだから」
浦口が俺に耳打ちしてきた。
そして俺の後頭部を、何かが強打した。
意識を失う刹那、俺の頭にある言葉がよぎった。
『運命はこのように扉を叩く』
空が色を失いつつあるころ、舗装された地面に足音が響いた。
道行く人々は、眼下に見える海から吹く、冷たい潮風を感じながら、道路を全力疾走する男を横目に、口々に何かを言った。
「おい、船泥棒だ、捕まえてくれ!」
漁師と思しきその男は、必死の形相で走っている。
遥か遠くには、海へ漕ぎだす一艘の船が見えた。
「ちょっとマジで、俺の船・・・・」
男は何を思ったか、真冬の海に飛び込んだ。
「村上さん、大丈夫っスか、こんなんして」
「かまへんかまへん」
村上が無断で持ち出した船には、田中、浦口、村上の三人と、大量のカゴがあった。
カニ漁で使うような大型のカゴには、それぞれ一人ずつ、手足を縛られた人間が閉じ込められている。
意識が覚醒へと向かい、辺りを見渡しても、俺は自らの置かれた状況を把握することはできなかった。
「んじゃあ、これから皆さんには、俺たちの憂さ晴らしに付き合ってもらいます。
とりあえずそれぞれでかいカゴに入れられてるのは分かりますよね?
閉じ込められているのはいずれも、甲斐性なしの多重債務者どもです。身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。
彼らには今から順番にトんでもらいたいと思います」
トぶ?こっから?無理無理無理無理。
勝てる見込みが全然ねえ。
「はい、じゃあトップバターはお前らな、ゲイの親子」
「ゲイじゃないわよ、私たちはオカマだって何度言わせるのよ!
あと親子じゃないわよ、双子よ双子!」
「そーよ、そーよ!」
「っせーな黙れよゲイが。面倒くせぇからお前ら二人いっぺんな」
村上に指図された田中と浦口が、オカマ二人の入ったカゴをそれぞれ、船の淵に立て掛けた。
「ちょっと、順番って言ったじゃない!」
「お前ら顔すげぇ似てるじゃん?だから二人でワンカウントな」
「ちょっ・・・・」
悲鳴を上げる間もなく、二人は大きな波飛沫とともに消えた。
「はい、じゃぁ次いくぞ次」
村上は次のカゴを立て掛けた。
「アンタ、地獄に落ちるわよ!」
「テメェが落ちてろ」
大きな水柱が上がり、飛沫が俺の方にまで飛んできた。
「村上さん、落とすまで早かったすね」
浦口が不思議そうな顔をした。
「いやな、こういうやりとり結構楽しいんだけどな、俺、あのババァよりオーラの泉の人の方が好きなんだよ」
「はい」
俺の方に村上が近付いた。
「次お前な」
ああ、ガチでくたばる三秒前。と思ったその時だった。
村上の携帯に電話がかかった。
それはとてつもない僥倖に思えた。
「大丈夫、後でちゃんと
お前もトぶから」
村上が当たり前のように言った。そうだ、どの道死ぬのには変わりない。その時が先延ばしにされただけだ。
「俺だ」
村上が電話に出た。一人称で名乗るなんてドラマでしか見たことがない。
「ああ、ああ・・・・何?・・・・無事なのか、それで?
・・・・ああ、医者は呼べない。クソっ、親父もヤキが回ったか」
村上はひどく深刻そうな顔をした。
どうやら村上のボスに重大な危機がせまってるらしい。
そこで何か、閃いたような気がした。
そうだ、まだ助かる。この場から生きて出られるかもしれない。
「ああ・・・・。そうなるともう助かる見込みはほとんどないな。俺の方も早く片付けてそっちに行く。ああ、最後まで手を尽くせよ・・・・」
通話が終わり、再び村上が俺の方へ歩み寄った。
「よし、さっさと終わらすぞ」
「・・・・ちょっと待ってくれ」
「死人に耳を貸してる時間はない」
「違う、話を・・・・」
「行くぞ!」
「待て、俺なら・・・・」
「・・・・?」
村上が手を止めた。
「俺なら、助けられる、その『親父』を」
「・・・・本当か?」
村上が怪訝そうな顔をした。
実の所、ほとんどハッタリと言って良かった。
その『親父』がどんな症状なのかは分からない。とにかく死に瀕していることは確かだ。
もしかしたら、助けられるかもしれない。
かつて医師だった俺になら。
「その話、嘘じゃないだろうな」
村上が格子の向こうから睨んできた。
「嘘じゃない。俺はかつて医師として、三年間病院に勤めてきた。
お前らは医者を呼べない状況なんだろう?
なら俺を使えばいい。俺なら助けられる」
俺は早口で言いきった。
村上はしばらく考えるようにし、そして口を開いた。
「お前を組長の所に連れていく。救って見せろよ、俺たちの親父を」
カゴに付けられていた南京錠が外された。
黒塗りの車に乗せられ、俺は「事務所」へと向かった。
組長の命を救えば、俺は無罪放免らしい。
だが逆にいえば、組長の死とともに俺の人生は幕を引くこととなる。
俺は見ず知らずの他人と、一蓮托生する羽目になったわけだ。
「着いたぞ」
村上が引きずり降ろすようにして、俺を車の外に出した。
「分かってるだろうが、しくじればお前も死ぬんだからな」
村上の気迫に、田中や浦口も圧されていた。
事務所の奥には、組長と思しき大男がソファの上で寝ていた。
腹のあたりに巻かれた包帯は、血に染まっている。
「容体は?」
俺は村上に聞いた。
「銃で撃たれた。弾丸はまだ摘出されていない。出血が激しい」
俺は組長の前にしゃがみこんだ。
「おい、こいつは誰だ・・・・」
組長は肩で息をしながら、村上の方を見た。
「医者を呼びました」
「堅気じゃねぇだろうな」
「いえ、債務者の一人です」
「・・・・ああ?」
組長は俺の方を睨みつけた。
いや、俺?俺は何も悪くないんじゃないですか?
「てめぇ、本当に医者なのか?」
「はい。以前は病院に勤めていましたが、訳あって辞職しました」
「なぜ辞めた」
組長は射すくめるようにして俺を見た。
嘘は通用しそうにないと思い、俺は事実を離すことにした。
「・・・・医療ミスです」
その場が一気に殺気立った。
「おい、コイツ殺そうぜ」
強面の男が提案した。
おいおいおいおい、殺すとかお前・・・・。
「駄目だ。医者はコイツしかいない」
村上が男を制した。
いつの間にか協力的になってる村上に対して、俺はいつの間にか仲間意識のようなものを覚えた。これはいわゆるストックホルム症候群って奴か?
「さっさと始めろ」
組長が唸るよういった。
これでようやく治療ができる。
とはいってもまともな道具が揃ってるわけじゃない。
一応外科手術で使うような専門的なものも見受けられるが、状態も芳しくなく、十分な数ではなかった。
一通り消毒を終えると、銃創の状態を確かめた。
腹部を撃たれていることから、消化器系統をやられている可能性があった。
胃を撃たれた場合、漏れ出した胃液がほかの臓器を損傷させる恐れがある。
事態は急を要した。
使われていたのは貫通弾だった。
皮膚から数センチの所で銃弾は止まっていたが、普通この角度から撃たれた場合、弾丸は間違いなく貫通する。
遠距離から狙われたのか、と思ったが、銃創の大きさからそれは考えられなかった。
一体どういうことだ?
なぜこの弾丸はここで留まったのか。
そこであることに気付いた。
弾丸のあった場所のすぐ近くで、平らな、骨が陥没したような跡があった。
肋骨は普通、胸部を覆いつくすように胴体の内臓を保護しているが、その骨があったのは下腹部から数センチ横の場所だった。
一体どういうことだ?
これは何の骨だ?
俺の頭にバカげた考えが浮かんだ。
もしかしてこいつは、今治療しているこの男は・・・・。
「おい、どうしたんだ、谷村。
手が止まってるぞ」
村上が怪訝な顔をした。
「それが、あの・・・・」
俺は言うべきか迷った。
もしかしたら気がふれたと思われるかもしれない。
しかし、もし本当にそうなら、確かめなければならない・・・・。
「あの・・・・、この人は・・・・本当に人間なんですか?」
言ってしまった、とうとう口に出してしまった。
もしかしたら俺は夢でも見ているのかもしれない。
でなければ、この特異な状況の中、あまりの疲労に精神がやられてしまったのか。
しかし返って来たのは、思わぬ反応だった。
「さすが、医者と言うべきか・・・・。
・・・・確かにその人は・・・・親父は普通の人間じゃない」
そこで村上は、自分の上着を脱いだ。
村上が背中を俺に向けると、そこには異常に突出した脊椎と肩甲骨が見えた。
そして背中の筋肉が、意思をもったように動き始めた。
【バシュッ】
粘液質な音ともに、糸を引いてそれは背中から飛び出した。
羽だ。人間の背中から羽が飛び出している。
俺は思わず気絶しそうになった。
「ここにいる人間はお前を除き、一人残らず普通の人間じゃない。
俺たちはみんな、お前らの言うところの『悪魔』って存在なんだ」
その荒唐無稽なセリフを、村上は真顔で言いきった。
マジかよ、悪魔って・・・・。
茫然としていると、いつの間にか組長が起き上がっていた。
「銀の弾さえ抜ければ後はどうにかなる・・・・
助かったよ、医者の旦那」
組長が右手を銃創の所にかざすと、傷口は見る見るうちにふさがった。
「俺たちは本来、滅多なことじゃ死なないんだがな、銀が体内に残留しているときは自己再生できないんだ。
だがもう大丈夫だ、じきに良くなる」
組長はすっかり回復していた。
「組長、御無事で良かった」
村上たちが組長のもとに集まった。
「組長の命を救った恩人だ、この際借金はチャラだ。
本当に恩に着る」
村上が手を差し出してきた。
俺は慌てて握り返す。
「おい、お前」
組長が不意に、俺の方に声をかけた。
「お前、医者を首になったんだろ?
なら俺の所ではたらかねぇか?」
組長は俺の肩に手を置いた。
「俺が、ですか・・・・?」
「ああ。俺たちは世間に正体をさらすわけにはいかなくてな、お前みたいに専属の医者がいると助かるんだ。
そこでだ、お前をある病院に斡旋したい。
もしお前がその病院で働いてくれるなら、それなりの報酬を用意する」
といって組長は、電卓を差しだした。
「月三百万、でどうだ?」
俺はそこで迷った。
確かに破格の報酬は魅力的だが、もし承諾すれば、この先もヤバい連中と関わらなくちゃいけないのは間違いない。
だが医療ミスを犯した俺を受け入れてくれる病院なんて、娑婆にはない。
そして俺は、結論を出した。
「やります。やらせてください」
谷村内科。
そこが俺の配属された病院の名だ。
表向きはただの内科病院。
そして深夜以降は、『本業』が始まる。
受付である合言葉さえ言えば、ヤクザだろうと悪魔だろうと、どんな奴でも診療する。
『ナイトゴーント』
あらゆる存在に使役される者。
そして俺は振り返り、患者の顔を見た。
「ようこそ、ナイトゴーントへ」
怖い話投稿:ホラーテラー 聖仕官さん
作者怖話