AとB、二人の男を乗せた車は、ガタガタと派手に車体を揺らしながら雑木林の狭間の悪路を進んでいた。既に日は沈み辺りは薄暗く、鬱蒼と茂った草木が車窓をしきりに擦る。
「おいB、本当にこっちでいいのか」
「たぶん」
「たぶんって…お前がこっち行けば近道になるって言い出したんだろうが」
「うーん…」
「なんかどんどん奥に入っていってる気がするぞ」
助手席に居座ったAは明らかに苛立ちのこもった目でBを睨め付けた。Bは相変わらず呑気な表情のまま、「まあ大丈夫でしょ」としれっと言い放つ。
「カンベンしてくれよ」
Aは車体の相当な揺れに吐き気を催しながら不安げに外の景色を見る。もう既に半分森で遭難しているようなも気がしてならない。さっきから似たような所を何回も通っている気がする。確実に迷っている…Bの言う事を信じたのが馬鹿だった。
「迷ったな、俺達」
Bのその一言と共に、車はゆるゆると停車した。今頃気づいたのか、と目を見張るAをそっちのけで、Bはハンドルを指先でこつこつ叩きながら辺りを見回している。大きく溜息をつくA。
「…なんなんだここ…」
「分からんなあ。でも結構奥の方まで来た気はする。」
「そんなの俺だって分かるよ」
危機感ってものを知らないのかと言いたくなるようなBの態度に再三の溜息がこぼれる。
「ちょっと外出て辺り見てくる」
そう言いつつおもむろにBがシートベルトをはずした。Aは正直おいおい大丈夫か…と一抹の不安を胸に抱いたが、…数分後、外から戻ってきたBの「すぐそこに村みたいなのがある、明かりが見えた」という言葉にその気色は晴らされることとなった。
「…仕方ない、じゃあひとまずそこで道聞くか…」
「おう」
道が細くなっているから歩いて行くしかないというBの言葉に、しぶしぶAはシートベルトをはずしたのだった。
Bの言う通り、しばらく進むと急に藪が開け、その前方の暗闇に村らしきものが姿を現した。山に囲まれた集落のようなそこは、昔懐かしい里山の雰囲気をたたえている。
「すいませーん」
Bがその中の一軒の家の板戸をどんどんと叩き、声を張り上げた。間もなくすすと少し戸が開き、中から一人の中年女性が顔を出した。一昔前のどこかレトロな雰囲気をかもす格好をしている。
「はい…どちらさま?」
「いやあの、夜分遅くにすいません。俺達道に迷っちゃって、道を聞こうと思ったんですが…」
常々やっている、Bのへらへらとした愛想笑いがきいたのか、女性はにわかににこやかな笑みになった。
「ああ…道に迷いなすったの。それは大変でしたね…」
「で、あの、ここから大きい道に出るのはどう行けば…」
Bが道を聞き出そうとしたとき、ぽつぽつと地面に黒いしみが出来始めた。雨だ。なんてこったこんなときに…はやく戻りたい、とAは一人ぐちる。肩をうつ雨粒にBも気づいたようで、呑気で楽観主義の彼も流石に「運が悪いなあ…」とぼそぼそ不満そうに呟いた。
「…そうだ、道を教えるついでに雨宿りしていってください。さあさとりあえず上がって。そこだと濡れてしまうでしょう」
見かねたのか女性はそう言うなりあっさりと板戸を開け放ってくれた。気の利く女性だ。AとBはよろこんでその言葉に甘えさせてもらうことにした。
「じゃあ、お邪魔します」
「どうぞ」
AとBが家の土間に入るなり、ワッと数人の子ども達が群がってきた。皆一様に古めかしい格好をしている。質素、というには少しいきすぎのようなその格好にAは妙な違和感を覚えたが、特に言うべきことでもないと思い口を噤んでいた。Bは呑気に「お子さん達ですか」やら「かわいいですね」やら女性に話しかけている。Bの順応能力には頭が下がるな…と思っているAの服の裾を、不意に誰かが引っ張った。見れば、小さな手…子どもの一人だ。
「おにいちゃんたち、どこからきたの?」
「ん?ああ…お兄ちゃん達道に迷ってな…」
「おいもになるの?ねえなるの?」
「は…?」
「おにいちゃんたち、おいもになってくれるの?」
子どもの発言にAはただぱちぱちと瞬きをするしかできない。おいも…?意味が分からず首を傾げていると、
「しっ!余計な事言わないのよ、お客さんに!!」
気づけばすぐ目の前にあの女性が立っており、先程のにこやかな表情とはうってかわって鬼のような形相で、子どもの腕をひねり上げていた。一方子どもは泣くでもわめくでもなく、やにわに全くの無表情になり喋らなくなってしまった。
「あっあの、気にしませんから…子どもにそこまでしなくても」
「すいません失礼な子で」
「い…いえ…」
女性は今さっきの事が嘘のように朗らかにはにかんで申し訳なさそうに頭を下げた。そうして子ども達に「あっち行ってなさい!」とかん高い声を荒げ言い放つ。さっきまで騒がしかった子ども達は皆一斉におし黙り、家の奥へと小走りに去っていった。
「さ…客間に案内しますので」
「あ、はい」
またにこにこと微笑む女性。ころころと変わる態度にAは若干気圧されていたが、Bは何ともないふうにAに目くばせすると、「いいひとそうでラッキーだな」と呑気にピースした。
「ありがとうございました。助かります」
「いえいえ」
女性から道を教えてもらったAとBはふうと一息ついた。これで帰る方法は分かった。
「じゃあそろそろ」
礼を言って二人が立ち上がろうとすると、はっとしたように女性は二人を引きとめる。
「待ってくださいな。もうこんなに夜も更けてますし、雨も…ほら、酷くなってきてます。帰り道も危ないと思いますので、ここで一泊していかれてはどうです?」
「えっ?」
「大したおもてなしは出来ませんが…部屋もひとつ余っております。」
正直Aとしては一刻も早く帰りたかったのだが…
「本当ですか!」
Bが食い気味に声を出す。ああだめだ、こいつ泊めてもらう気満々だ…。やむなくAは断る理由を考えるのをやめた。
夕飯も用意してくれるという女性の言葉にBは飛びつき、至極うれしそうにまたピースしてくる始末だ。溜息をぐっと押し殺すばかりのAであった。
「おいお前、この家の迷惑顧みろよ…なんなんだよさっきの態度」
「え、いいじゃん。向こうから言ってきてくれたんだし」
「…というか正直俺ははやく帰りたかったんだってば。車もあそこにほっといたまんまだろ?」
「まあまあ」
夕飯までの間にと通された部屋にて、AとBはやることもなく雑談をしていた。
「それにしてもこの家広いなあ」
「ああまあ…そうだな」
「この部屋も広いし…よいしょ」
急にスックと立ち上がったBはおもむろに部屋を物色し始める。
「おいB…」
「ひまなんだよね、何か無いかな」
戸棚や引き出しをあんまりにもBが無遠慮に開けていくので、「家捜しみたいなマネすんなよ」とAが釘をさしても彼はどこ吹く風である。
「ほとんどカラだなあ。何も入ってない」
…と、Bが押し入れを開けて「おっ」と声を上げた。
「布団だ布団!これで寝るのかな…どれどれ」
「こらB勝手に出すんじゃ…」
「うわあやけにかび臭い布団だな。洗ってんのかこれ」
「…。」
全く以て人の話を聞かないBにAはもう閉口するしかない。埃がたつのも気にしていないのか、布団をぼふぼふといじくりまわすB。何故か妙にはしゃいでいるその様子はAの目に異様に映ったが、Bの相変わらずのへらへらとした笑い顔を見るにつけ、何か言う気もなくなってしまった。
「ん」
そのBの動きがピタリと止まる。
傍目から見てもお世辞にはキレイとは言えない、B曰く「かび臭い」らしい黄ばんだ布団を抱えたまま、Bは押し入れの奥を覗いている。
「どうした?…おもしろいものでも見つけたのか」
「いや」
「?じゃあなんだよ?」
「ヘンなのがある。なんだろあれ」
依然として押し入れに頭を突っ込んでいるBのその言葉に、Aも興味をそそられ側に駆け寄った。Bと視線をそろえるように押し入れの奥を見てみる。暗くてよく見えないが、奥の方、詰め込まれた布団と壁の隙間に、何か…紙のようなものがはさまっている。
はてあれは何だろうかとAが思案している隙に、ぼふっという音が聞こえたと同時、Bはその紙を躊躇無く引っぱり出していた。
「うわっなんじゃこれ」
かかえていた布団をほっぽりだし、その紙を開いてみたBが好奇の声を上げる。手が早いBにAは少々遅れをとりつつも、Bの手の中にある紙を見た。
途端、Aはひどくぎょっとさせられた。古びてくしゃくしゃになった小さいメモ用紙、それにびっしりと何か走り書きがしてある。それが二枚。
なんとなく異様な雰囲気を放つそれに、眉をひそめるA。
「なんだよこれ」
「誰かが書いたのかなあ。なになに…」
メモ用紙の内容はこうだ。
『なんだか妙で、なにか記録しないではいられない気分だ。ここの村民は気遣いのきく優しげな人が多いのに、どうしてこんなに生活の仕方が妙ちくりんなのだろう。
皆一様に芋が好きで、夕食を貪るように食う。夕飯には必ずひとつは芋が出てきて、客人である私がそれを食うまでやけににやにやとしながら見ている。なかなか手をつけないとしきりに芋をすすめてくる。昼でも夜でも、たまにどこかから狂気じみた笑い声、泣き声、どたどたと暴れるような音、ギャッと犬猫がやけに鳴くような声が聞こえる。こわいのだがそれがなにか確かめる術がない。
(ここから少し筆跡が荒くなっており読みづらい)
昨日の夜更けに村の人間がひとり死んだらしい。私も野次馬となり様相を見たが、どう考えてもあれは殺されたとしか思えない。警察を呼ぼうと提案したら村民らはすごい剣幕で「いいえ結構です」と皆一様に声をそろえた。妙だ。誰一人泣いて悲しむ者もいない。妙だ。恐ろしい気分だ。皆あの死体を抱えて山へ向かい、存外にすぐ帰ってきてまた夕食を貪る。というより芋ばかり食っていた。妙だ。「おいしいおいしい」と言っている。気がへんになりそうだ。芋ばかり食いやがる。芋は食う気にならないから残した。
(さらにここから筆跡がめちゃくちゃになってきており、このうえなく読みづらい)
見てしまったわたしは。
村民らが皆オノ、ナタを持ってうろついている。山へ行ってみたことがばれてしまったらしい。あれはなんだったのだ。あれの材料はまさか 芋を食べるな、芋をたべるなと自分に言いきかせるばかりだああでもわたしももうおかしくなってしまっているのかもしれない 一つ食べてしまったのだからあの芋を だめだ芋 芋をたべ 芋 芋芋芋芋』
二枚目のメモには奇妙な絵が描かれている。人のような顔かたちをしたものから根が生えており、その先にまた人の形をしたものが連なっている絵だ。
「…こわいな。なんかの小説か?」
Bがぴらぴらとメモを交互に見ながら平然とした顔でそう言うが、Aはいやな汗をかき、顔色を明らかに悪くしていた。
「こわすぎるだろ…なあ、このメモにある村ってまさか」
「呆れた。そんな訳ないでしょ…なんでそうなる」
「…」
「それより腹減った。はいA、このメモ俺いらんからあげる」
BはAにメモを渡すと投げ捨てたままだった布団を勝手に敷き始めた。「やることないし寝るしかないな」とぼやくBの無遠慮な行動をとがめる事も出来ずに、Aは手渡されたメモをじっと見つめるばかりだった。
「だよな、考えすぎだ…きっと」
呟きつつも、メモの至る所に目につく「芋」という文字と、先程出会ったおかしな子どもが言っていた「おいも」という二つの言葉が頭から何故か離れなかった。
しばらくして、例の中年女性が「夕飯ができましたよ」と言いにきた。飛び跳ねて喜ぶBの後ろについて、Aは手中のメモを自分のポケットにそっと隠した。
AとBが通された畳敷きの大部屋には、さも宴会かのように膳が並べられ、既に14、5人は各々座って雑談していた。
「家人の皆や友人もお二人を歓迎して、一緒に夕飯が食べたいと言ってきかなかったんですよ。すいません。騒がしくて」
中年女性がやわらかな笑みを浮かべながら頭を下げる。
「いえいえ、大人数の方が楽しいじゃないですか」
「そうですか?」
「そうですそうです」
Bはひどく浮かれた様子で女性と話しているが、一方Aはどことなく居心地の悪さを感じていた。
というのも、つい先程この部屋にAとBが足を踏み入れたときの、村民の視線がなんともじっとりとしたものだったからだ。騒がしかった部屋が一瞬だけ妙に静まり返り、またすぐ騒がしさが戻ってきたのだが、Aはその一瞬に、なんだか自分達が「値踏み」されているような嫌な空気を感じずにいられなかった。
どうやらBは気づかなかったようだが…
(…だめだ、考えすぎちゃあいけない)
さっきのあの部屋で見つけたメモのせいで、余計こんなふうに感じてしまうんだろうとAは無理矢理自分を納得させようとした、のだが…
「ところでお二方…」
膳の前に二人がついて座るなり、中年女性が妙ににこにこしながら話をきりだしてきた。
「はい?」
「今晩の夕飯ですが…、これ、分かります?」
「…?」
女性が指さしたのは様々なものが並べられた膳の上の、ひとつの小鉢だった。
中には拍子木切りにされ茶色っぽく焼き目のついた何かが入っている。
「えっと…なんですか、これ」
「これはですね、ここらへんでよく採れる芋を使ったもので…すごくおすすめなんですよ」
Aはたまらずぎくりとした。恐る恐る視線をきょろきょろと泳がせる。
途端、Aの背筋は凍った。
その場にいた村民らはことごとく全員こちらを見てにこにこと…否、にやにやといやらしく笑っていた。例外なく目の前の女性も。
Bもさぞかし引きつった顔をしているに違いない…と思って目くばせするが、しかしBにはそんな気色は無かった。女性の話に素直に耳を貸しながら呑気にへらへらとしている。
「へえ…。おいしいんですか!」
「ええ、ええ。すごくおいしいんです、是非食べてみてください。
…あなたも」
女性の顔にはり付いた異質な笑顔、視線がAの方にも向けられる。強ばった顔をしたまま返事の出来ないAを追い込むように、Bは是非食べます食べますと連呼する。ヒヒッとどこかから喉奥で笑うような音が聞こえた。
「おいA、さっきから黙ったまんまで…どうした?顔色悪いぞ」
「え、あ、…うん、大丈夫だ。何にもない」
「そうか?…そら、ちょうどすすめてもらったんだ、これ食って元気出そうぜ」
Bの箸先が躊躇無く芋へ向かう。もう一度こっそりと視線をさまよわせたAは、相変わらずにやにやしながら凝視してくる村民達の気配に怯えながら、嫌々芋を箸先でとらえた。
箸で挟むとその芋は存外にやわらかくできているのが分かった。
「ではいただきます!」
「…いただきます」
Bの声が大部屋に響く。…おかしい。皆一様におし黙っている。静かすぎる。皆食い入るようにこちらを見つめているのだ。
すぐさまここから逃げ出したいが、そううまくいくものか…Aは震える口元に芋を一切れ持っていく。
「うおっ」
一足早くそれを口に含んだらしいBが歓声を上げた。思わずばっとそちらを見遣るA。
「なんか不思議な食感ですね、芋なのに肉みたいに弾力があって…おいしいです!本当に芋ですかこれ?本当の肉みたい」
Bの言葉に愕然とする。すぐさまAの脳裏に先程のメモの内容がめくるめいた。
村人が殺されたあとの夕飯の芋、警察を呼ばせない村民の態度、メモにあった「あれの材料はまさか」の言葉の意味、芋を食べるなという警告。
…もしかして人を殺して食ってたという筋書きなのか?
あのメモの村民と妙なところが共通しているここの村民。この異様な雰囲気。芋をしきりにすすめる人間、にやにやとしている村民…メモの通りに事が進んでいる。
信じたくはない、が、もしや…あのメモは実話で、この芋は、メモの通り村人に殺された人間の肉なんじゃ?
ぞくぞくとわななくAの身体。頭の中ではぐるぐると「人間の肉」という文字が回る。
「おい、お前も食べろってA、うまいぞ?」
肘で小突いてくるB、周りの村民はぎらぎらとした目でこちらを見てくる。殺気がこもっているのではないかと思うほどの強烈な数多の視線。
刃向かえば何をされるか分からない。
Aは顔を蒼白にし肩をぶるぶる震わせながら、意を決して芋を口に放り込んだ。
一瞬訪れる静寂。
「…おいしい、…です」
半泣きになりながら無理矢理にAは笑顔を作った。
Aの声が部屋中に響くなり、堰を切ったように部屋はにぎやかになった。そうして村民の各々ががっつくようにして夕飯を口に運んでいくのが、Aの涙で滲んだ視界にわずか映った。
うっうっとえずくAはすぐさま袖で口元を隠しつつ、村民らに見えないよう顔を背けて、置いてあった手ぬぐいに芋を吐き出した。気色が悪くて噛み締められなかったのだ。結果的に食うフリが成功したように見えたが、Aはあれを口にいれることすら不快だった。
Bは呑気にへらへらしながら「泣く程おいしかったのか?」と茶化してきたが、Aはそれどころではなかった。
夕食後、メモを見つけた部屋でAとB、二人だけになったとき、Aは堪えきれなくなったように「もう帰るぞ!!」と言い放った。Bはただきょとんとしているばかり。
「なんでだよ?…急にどうした」
「お前おかしいぞ!夕飯のときのヘンな空気感じなかったのか!?」
「えー…?」
「おい、思い出せよB、このメモの内容」
Aは焦っておぼつかない手つきで自分のポケットからくしゃくしゃのメモを取り出した。
「お前もこのメモの内容覚えてるだろ!?それでさっきの夕飯だ、なんかおかしいと思うだろ!何かあるかもと思うだろ!?村の人達もなんかヘンだったし、…もしかしたらさっき食った夕飯、人の肉…」
「ほんと何言ってんだよお前、落ち着けって」
「落ち着いてられるか!!」
「まあまあ」
BがなだめるようにAの肩をとんとんと叩く。
「別にそのメモに出てくる村がここって決まったわけじゃないだろ?」
「だけど、芋とかさ、なんかさあ…!このメモのまんまじゃん!芋すすめてきてさ…」
「そのメモ、ここの村を題材にして作った小説とかかもしれないし」
「でも…でもさ」
「考えすぎなんだよお前はいつも…」
Bはふうと溜息をついて床に寝転がった。Aはそれでも、と自分の拳を強く握る。
「俺は帰る…っ」
「やめとけって」
「居心地悪くてやってらんねえんだよ!」
こうなったら何が何でも…いざとなったらBを引きずってでも、このおかしな村から帰ってやる。
手中に握りしめたメモをもう一度開いてAは決心するのだった。
(それにしても…)
ふと二枚目のメモの絵に目をやり、Aの胸の中はもやもやと霧がかる。
(この絵だけ謎のまんまだな…なんなんだよ気持ち悪いこの生き物)
まあそこらへんを考えるのはとにかく一刻もはやくこの村を出てからだ。皆が寝静まった時を見計らって、Bを連れて逃げだそう。そうすれば万事解決だ。車に戻って、それから…
Aはそう思案しつつメモを片付けた。
「おいB、起きろ」
小声で声をかけつつ、Aは寝転がっているBをゆさゆさと揺り動かす。
逃げ出す決意を固めてから数時間、家人は皆寝たのか、家は静まりかえっていた。
「逃げるぞ…」
「…まだそんな事考えてたのかお前…」
「いいからっ」
呑気にあくびなんぞをしつつごねるBの腕をひっつかんで、布団から引きずり出す。不満げな顔をあらわにするBをしり目に、Aは音を立てぬように、縁側につながっている部屋の襖を開けた。
「いいかB、絶対に物音立てるなよ」
「はいはい分かった分かった」
「ばれたら何されるか分からな…」
と、その時、にわかにはっとしてAは口を噤んだ。
Bが視線でどうした、と問い掛けてくるので、あごをしゃくって前方、襖の外を見つめるA。つられるようにしてBもそこに目をやれば、そこには夜の暗闇の中にゆらゆらと蠢く十数個の明かりと人影。
「え…あれって」
「村の奴らだ…あいつら寝たんじゃなかったのか!あんなに集まって…」
明かりと共に蠢く人影がだんだんと近づくにつれ、その影ひとつひとつが何か棒のような物を持っているのが見えてきた。メモを思い出す。…あれはオノやナタだろうか。
ブツブツとなにかざわめきながら近づいてくる影の群れ。時折ギャアッと叫ぶ声やカッカと笑う声が上がる。
Aは竦む足を叱咤して、部屋から飛び出し縁側の先の地面に降り立つと、そこから一気に駆けだした。
「B、車の所まで走るぞ!」
「まっ、待てよAっ、おいてくな!」
「車!車出せB!」
存外に車のもとへは簡単に辿り着けた。ぱっと背後を見遣る。ゆらゆらと揺れる明かりはどうやらまだAとBが逃げたことに気づいていないらしい。先程までいたあの家のあたりで明かりが留まっている。
しめた、これで逃げられる…とAがわずか安堵して車のドアに手をかけたとき、…ふと気づいた。
「B?」
慌てているAの横で、Bはぼんやりと宙を眺めて突っ立ったままだ。
「おいっ、何やってんだはやく逃げないと」
「…」
「B!いい加減に…、…?」
よくよく見ればBは身体を小刻みにぶるぶる揺らしている。なにか様子がおかしい。変だ。
そのうちに大げさな程カクカクと首を振り始めた。
「う、うう、ううう」
「ど、どうしたんだよ…B?B!?」
「へん、へんだ、おれ…へん…ううう、ううっ」
「どうしたんだってば!!」
「うううううううう」
AはBの狂気じみた顔つきを見た。黒目をやけにせわしなく動かして、下唇を血が滲む程強く噛み締めている。獣のように唸りつつ手足を痙攣させながら。
「なっなんなんだよ…っ、なあ、しっかりしてくれよB!!」
「うううううううひひひ」
そのうちに口端を引き上げて不気味ににやつき始めるB。喉の底で笑うような耳障りな笑い声を立て始めた。
Aは気が動転しており、あたりをきょろきょろと落ち着きなく見回した。
どうすればいいどうすれば。とにかくBを車に乗せてやらないと。
振り返れば村民らの明かりがぽつぽつとそこら中に散りだした。家にAとBがいないことに気づいたのか…手分けして村中を探し始めたようだ。村からさほど離れていないここも、じっとしていたらじきに見つかってしまうだろう。そうなってしまう前にとにかくここを離れないと…
Bの代わりに俺が車を運転するしかないとAは心を決める。しかし車の鍵を持っているのはBだ。なにやらおかしな事になっているBから鍵をもらわねばならない。
「Bっ、B、鍵どこに入れてるんだ」
「ひひひひひひひ」
「…だめか…っ」
Aの言葉に反応しないB。
仕方ない、Bを取り押さえてポケットやら何やら漁らせてもらうしか…じりりと詰め寄るA。
ところが、
「いぎいいいっいっいもっいも食うっ芋食ううう」
Bが突然奇妙な大声を張り上げた。驚いたAがたじろいている隙に、Bは地面を蹴って物凄い速さでどこかへ駆けだした。
「あっ待てB!どこ行く!?」
Bを置いて逃げる訳にもいかないし、そもそもまだ鍵をとっていない。
Aは慌ててBの後を追いかけた。
「B!B!!」
Bは迷いのない様子で駆け抜けていく。まるでどこか目的地でもあるのかと思う程だった。
わずか草木が開けたような細々とした道をBが駆けていく。だんだんと山側の森の奥まった所に入っていっている気がしてならないAは、なんとか暴走するAを引き止めようと息をきらして追いかけた。
「どこまで行く気だBっ、車で逃げないとやられちまうぞ!!」
暗い森に虚しく響くAの声。
気を抜けば森に溶け込んでいってしまいそうなBの背中を追って走るしかない。
…と、前方でBがにわかにぴたりと止まるのが見えた。
「B!」
夜露でたっぷり水分を含んだ下草を踏みつけてやっと追いついたBの肩をAは鷲掴む。はあはあと息を弾ませているAとは対照的にBの呼吸には一分の乱れもなかった。
「馬鹿野郎!!何やってんだよお前は!」
「…、…も…」
「えっ」
「いっいもっ…いも、いも、芋」
Aは訝しげに眉間に皺を寄せた。
Aの方には目もくれず、Bがなんとも恍惚の表情をして、だらしなく半開きにした口からたらたらとよだれを垂らしながら前方の何かを見ている。えへっとBが肩を揺らした。
…何を見ているんだ?
ぶわあといやな汗が溢れ出す。Aはガクガクと震えそうになる身体を抑え、ゆっくりゆっくりとBの視線の先に目をやった。
暗がりに沈んでいるせいで何も見えない。よくよく目をこらす。まだ目が慣れない。何だ?何があるんだ。
そのうちにだんだんとAの目に辺りの様相がありありと現れ始めた。
「…?」
Bが一心に見つめている所、そこだけ円状に森が開けている。
そうしてそこに、数十体の人が寝転がっていた。…寝転がっている?皆だらりと四肢を投げ出しぽっかりと大口を開け、体中から何か妙な植物を生やして、そうやってころがって、
皆死んでいる。
「いぎっいぎっいっ芋っ芋芋!芋食ううううう!!」
Bが耳をつんざく大声で叫び、その中に飛び込んでいく。
震える口をぱくぱくと金魚のように開閉させながら、青ざめきったAは絶句していた。
頭に浮かんだのは二枚目のメモの絵。人のような顔かたちをしたものから根が生え、またそこから人のような顔かたちのものが生えている絵、…その通りだった。
目の前の数多の屍から生えている妙な植物…屍の体中をのたうつように這う根からつながる、土でよごれボコボコとした物体…芋のようなそれは、屍の姿を映したかのように五肢に分かれ、まるで人のごとくの形に実を隆起させていたのだ。
Aはここで全てを理解する。
村民は人肉を食ってたんじゃない、芋を食う事には食っていたのだ。
屍に寄生しすくすくと育っていく気色の悪いこの人型の芋を、食っていた。
そしてそれを育てるために人をわざわざ殺し、芋の「苗床」としていたのであると。
「…あ、…あ…」
ガクガクと震えが止まらない。恐ろしいものを見てしまった。知ってしまった。なんなんだ、皆狂っている。この村の者は皆…、Aはその場にしゃがみ込んで喉の奥からわき上がってきたすっぱいものを全て吐き出した。ひいひいと必死の形相で呼吸しながら、Aの視線はBに向かう。
Bはヒヒッヒヒッと断続的に笑いつつ、何とも愉快そうに屍から生える芋を貪り食っていた。
放心状態でその様子を見ていたAは、不意に木々の隙間に見えた明かりにびくっと肩を跳ねさせる。もう村民が気づいてすぐそこまで来ている。きっとBの大声を聞きつけたのだろう。
Aはふらつく身体をぐっと起こしてBの元へ向かう。
「Bっ…、Bたのむっ、たのむから…!逃げなきゃ…っ、逃げなきゃ…!!」
Aが横から押しても引いてもBは恐ろしい程の力でびくともしない。Aの喉が震える。ガチガチと噛み合わない歯列、あまりの恐怖にくらくらと目眩を覚えた。
「いっいも食ううっ、もっもっともっといもっ食いたいくいたいおいしいおいしいおいしいおいし」
…と、突然、ばがっ、という鈍い音が聞こえた。
Bの動きが止まる。
そしてすぐに、にやけたままのBの顔の上を赤黒い血が滴っていく。
「…B?」
みるみるうちに血はどばどばと流れ始め、ぐるんとBの目が白目になった、と思った途端、勢いよくBは前のめりにぶっ倒れた。
倒れたBの頭は割れていた。突き刺さるように割り入っているオノによって。
Aは固まった。ただ口元だけはぶるぶると戦慄かせたまま。
ゆらゆらとした明かりに照らされるAの背中。
「……」
ひゅうひゅう掠れた呼吸のまま、Aはぼろぼろと大粒の涙を流す。至極ゆっくりとした動作で背後を見遣った。そこに溢れる明かり、人人人。
Aには逃げ出す術など残されていなかった。
森には今日もしとしとと小雨が降りしきる。
「おにいちゃんたち、おいもになってくれたね。」
そう言って子どもがにっこり微笑みながら顔を覗き込んでも、うつろに落ちくぼんだ目をした屍の、真暗く開いた口は、彼によく似た小さな芋をただひょっこりとのぞかせているだけなのだった。
終わりです 長々とお読みいただきありがとうございました
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話