まず、多くの断り書きをせざるを得ないことをお詫びします。
1. この話は、旧名『悪霊ト頭脳戦』です。
2. 人物名は全て仮名とします。
3. 全12章(予定)の超長編です。
4. 細微まで情景を描くために、あえて漢字を多用しました。
5. 文章に関して、至らない部分は読者の寛容を乞わねばなりません。
俺には室 寛二という名の友達がいる。
彼の存在はとても尊く、また偉大だ。
彼がどのような世界に生き、どのような力を有しているか。それを、彼との出会いを記すことで読者の方々に知って欲しいと思う。
そのとき俺たちは高校一年だった。
窓から見えた入道雲がやけに記憶に烙きついているから、おそらく初夏、暑さが際立ってくる頃だ。
その日、室 寛二は右目に眼帯をして登校してきた。
教室に入るなりクラスの幾人かが何事だ、と心配して駆け寄ったが、「寮の友達と喧嘩した」と軽く流して席につく。
正直そのときから違和感を抱いていたが、確信が欲しかったから、一日「観察」することにした。
思いきって訊くなら今日しかないって、そう思った。
ホームルームが終わって、放課後となった瞬間そそくさと帰ろうとする室。
予想の範囲内だったが、あまりに急いで教室を出て行くので、こちらも慌てて後ろから追いかける。
俯きながら競歩のような速さで廊下を駆け抜ける室を後ろから呼び止める。
まるで不吉な予感が的中したのを悟ったかのように、石像の如くその場で硬直する室。その姿が思いがけず滑稽に見えてしまった。
那波(俺)「室、ちょっと時間あるか」
室「…………わりぃ。今日は忙しいんだ。寮での御務めが、ね」
室はおもむろに振り返りつつそう言うと、次の言葉を待たずして「じゃ」と片手を挙げて立ち去ろうとする。
那波「ホントは怪我してないんだろ」
唐突な俺の一声に、先程とまったく同じようにぴたりと室の動きが止まる。しかし今度は無言でこちらを振り向き、驚きと戸惑いの入り混じった表情で睨みつけながら間合いを詰めてくる。
俺の耳元まで来て、押し殺した声で言った。
室「どうしてわかった」
那波「ここじゃ存分に話せない。内容が内容だからな。もっと静かに議論できる場所を知ってるからそこに行こう。オーケー?」
室が俺の問いかけに神妙に頷く。
室「で、どこに行くんだ」
那波「体育館裏」
なるほど、と一言漏らすと室は一人でずんずん先に進んでしまった。
どうやら俺の予想は当たっていたようだ。自然と鼓動が倢まった。
室「まず俺から質問だ。どうして怪我してないって判るんだ」
那波「……それに関する回答はかなり長くなるけどいいのか」
室「勿体ぶるな。なんのためにこんなトコまで来たんだ。いいから話してくれ」
那波「俺は入学してから今までの約3ヶ月間、ずっと一番後ろの席だ。授業は少しも面白くないが、それ以外にちょっと興味を持てることを見つけた。なんだか判るか」
室「おまえの趣味なんてこれっぽっちも興味ないが、ずばり当ててやる。人間観察だろ」
那波「ご名察。やっぱ気付いてたか。…一番後ろの席にいると、教室全体が見渡せる。自然とクラスのやつらの行動に目がいくようになる。例えば、コイツ話聞いてるようで何も考えてないな、とか、あいつトイレに行きたいのか、それともつまらない授業に苛立っているのか、どっちなんだ、とか。で、あるとき気が付くんだ。うまく隠してるけど、異常行動を完璧に誤魔化せてないやつがいるってな。それが…」
室「俺ってか。…わからないな…。一体どこに目をつけた」
那波「人って不思議で、恒常的環境にずっと身をおくと、感覚が鈍ってくるんだ。同じことをずっと繰り返す、または継続すると、だんだん動作を身体が覚えてきて、考えなくてもよくなる。その状態には利点もあるし欠点もある。
肝は、他人と自分との間でモノの感じ方に差異が生じてくるってこと。他人にとっては異常だと思えることも、自分にとっては当たり前になってくる。例えば、普通だったら授業中に天井の隅を30分も凝視する奴なんていないが、本人はそれを当たり前だと思ってる」
室「…」
那波「廊下を歩いてる途中で、前方に何も無いのにいきなり進路変えたり、他人の背中を顔を歪めて見るとかいう失礼なことも、本人は無意識のうちにしでかしてる。俺はそいつの日々の行動を見てきて、ある結論に達した」
那波「こいつには常人じゃ見えないモノも見えてるってな」
俺のその言葉は、湖に小石を擲ったように周囲に波紋を遺して闇に吸いこまれた。
重い沈黙に我慢ならず、口火を切ったのは俺だった。
那波「…今日のおまえの行動はとりわけ目に付いた。突然びくついたり、何かとんでもないもんを目撃したみたいな顔をしたり。だいたい、学僧が仲間と喧嘩して眼に怪我、なんてありえなくないが不自然だ。
そこで観察することにした。ほんとうに怪我をしてるのなら、それ相応の行動をすると思ったからだ」
黙りこくっていた室が、ようやく言葉を発した。
室「今日一日おまえが俺に注意を払っていたのには気付いてた。普段俺が普通じゃない行動をとってることも、確かに、言われてみればその通りだと思う。しかしまだ分からない。どうして怪我のことまで」
那波「怪我をしている人間は、無意識のうちにその部分を庇ってしまう。右目を負傷して視界が狭まったら、必ずそれを補おうとする。これは動物としての本能だと思う。
あくまで俺の主観的判断だってことを忘れないで欲しいんだけど、教室にいるおまえを観ていても、そのような兆候は観られなかった。
俺だったら、俺がもし右目に眼帯をしていたら、友達を自分の右側において会話するのは嫌だ。相手の動きを把握しづらいからな。こんなことありえないが、もしその友達が襲いかかってきたら、対処できないだろ。そういう不安感とか危機感とかが潜在的に影響するはずなんだ。いつも自分の右側に壁がある位置にいるとかな。
でもおまえの行動にそういったことは欠片も見当たらなかった。
むしろ、他の何かに大きく心情を左右されてるように感じた。さっき言った行動も含めてな。
もちろんこれだけじゃ即断できない。というか、判断できず迷ってた。おそらく俺の予想は正しい。でもその「おそらく」の部分に賭けることはできなかった。
結局、オッカムの剃刀的論法で俺の疑念のすべてを篩いにかけた。要らんもんを削ぎ落とした結果、好奇心っていう一番非論理的なものに身を任せることにしたってわけ」
室は目をつむって肩で大きく深呼吸すると、一言「おまえの思ってる通りだ」と言った。
目の前に立っているのは普通の人間じゃない、という事実が無条件に興奮をかき立て、頬が熱くなる。
だがその浅はかな情動は、次の室の行動によって塵となって消え失せる。
眼帯を外したことによって露わになった彼の右の瞳は、俺を見つめる左の瞳と違って、俺を見ていなかった。
それは、まるで眼窩という檻にとらわれた蟲のように、あるはずもない出口を求めて白い眼球の上をうごめいていた。
その瞳の動きは、ある種の爬虫類に観られる直線的で素早いものでなく、さまよう魂のようにゆったりと滑らかで、確実だった。
現実から非現実への急落。
その異貌に、俺は声にならない叫びをあげて腰をぬかし背中から倒れこむ。
魂の底から震慄し、涙が堰をきり溢れ出す。うまく呼吸ができなくなり、脳髄が麻痺したように感覚が鈍化し、思考が停止する。
正気を失いそうになったとき、室の一声がかろうじて俺を現実に引き戻した。
室「慌てるな。ここにいるのは俺だ。間違いない」
俺が情けない声で返事をすると、室は頷き再び右目を眼帯の下に覆った。
室「驚かせて悪かった。言葉であれこれ説明するよりこれが手っ取り早いと思ったんだ。
それに、霊的なものは、不用意な好奇心を抱くにはあまりに危ない代物だ。那波、おまえは少し霊を侮りすぎている。俺には現実のものとしてちゃんと認識できていないように見えた。だから戒めとして右目を見せた。
おまえのためと思ってやったことだ。許してくれ」
俺は平静を装ってムリに声をしぼりだした。
那波「…………その右目は霊にやられたってことか」
室「それは言えないって言っても訊きだすまで詮索してくるだろうな。呆れた奴だ。
俺の親父は今、除霊の真っ最中なんだ。その親父に俺の右目を貸してる。
質問は山ほどあるだろうが今は黙って俺の話を聴いてろ。
厄介な霊だ。悪霊って括りじゃ収まらないほどのな。親父みたいな人間はソレを『怨子(ヲコ)』って呼んでる。要するに怨みを抱いて死んだ子供の霊だ。すれ違った人間に手当たり次第取り憑いてく。
おさなごはまだ感情というものが確立してないことが多いから、怨みを抱いてってのは珍しいんだが、たまに現れる。
ちなみに、幼児の抱く純粋な怨みは死後とんでもなく強い念になる。
親父はそいつを祓いにいったんだが、怨子は見つけだすのが極めて困難だ。敵対するものの接近を感じ取ると、とても暗くて狭い場所に逃げ込む。押入れとかじゃないぞ。生きている人が自然に湛えてる精神の波が交錯する場所だ。
それは親父にとって妨害電波みたいなもので、怨子の正確な居場所を特定するのを極端に難しくさせる。そこで、俺の右目の力を加えることでいくらかでもそれを容易にする。
だが見つけただけじゃ事は治まらない。
今度は抵抗してくる。それこそ半端な人間だったら発狂して死ぬほどの怨念だ。で、相手が隙をみせたらすかさず姿をくらます。
…さっきから俺の右目には、すごい速さで駆け回る子供の細い脚が見え隠れする。
親父の見ている風景が、俺の右目にも映るんだ」
室はそこまで言い切ると俯いた。心なしか震えているように見えた。
耳に入ってきた言葉があまりに浮世離れしていて、室の話が終わった後も印象に残ったフレーズの数々が脳内で木霊のように反響していた。
再び訪れる沈黙。表象として言葉にあらわれなくても、2人が頭の中でさまざまな想いを巡らせているのが判る。実際俺も、室の放った言葉をなんとか反芻して呑み込もうと必死だった。
すると、今度は室のほうから口を開いた。
室「ホントは親父に、今日学校へは行くなって言われてたんだ。でも寺に残ったら絶対閉じ込められる。…正直怖かったんだ。右目に映るモノが…今は脚だけだ。
でももし顔まで見えたらって思うと……
ムリだった。気が狂っちまう。
学校でクラスのやつらに囲まれて、賑やかな雰囲気に気を紛れさせたほうがずっと楽だろ。
だからムリに眼帯までして来たんだ。
でもまさかバレるとは思ってもみなかった」
那波「…この話、本気で言ってんのか…」
室「信じられないのは当然だ。…おまえ次第さ」
那波「あんなもん見せられて信じないほうがおかしいだろ。おい」
室「……………」
那波「室。おい…どうした。…聞いてんの―」
俺の呼びかけを遮るように、室は両手をひらいて前に出す。中空の一点を凝視したまま固まる。
室「…………脚が………とまった」
その言葉が室にしか見えない怨子のことを言っているのはすぐ解かった。
場の空気がピンと張りつめる。
室「…ひッ!!……アア…ヴワアアァァァァァァァァアァァァ!!!」
突如絶叫する室。
俺は何が起きているのか判らず呆然と立ち尽くす。
直後、室のしている眼帯が「ブツッ」と音を立てて落下する。
室の右目が、無明の窟穴と化していた。俺もその場で叫んで即座に身構える。
恐怖に歪んでいた室の表情が、ぱっと明るくなったかと思うと、はしゃぎながら跳びはね始めた。
両手で顔を覆いながら、片足で地面を蹴り上げ横に跳び、もう片方の足を使って逆方向に跳ぶ。それを尋常ではない速さで繰り返し、俺を囲むように円を描いて踊る。室の声とは似ても似つかない高嗤いが耳を貫く。
いつのまにか、津波のような嗤い声が鼓膜を揺さぶっていることに気付く。何千、何万もの赤子の無邪気な嗤い声が、怒涛のように押し寄せる。
その音波が頭蓋の中で反響しながら増幅してゆく。
だんだん意識が薄れていく中、一人の男が血相を変えてこちらに駆けてくる。
坊主だ。
後ろから室の首を掴んで押し倒すと、俺のほうを見て何かを叫ぶ。
赤子の声が消え、一気に現実に舞い戻る。
男「君!!!聞こえるか!こっちに来て室を押さえてくれ!!…はやく、はやくして!!」
急いで駆け寄り首下と腕を掴んで地面に押さえつける。室が起き上がろうと、凄まじい力で身体を波打たせる。全体重をあずけ死に物狂いで渾身の力をふりしぼる。
すると男は俺たちの前に坐し、眼を瞑りながら念仏のようなものを唱え始める。
それは力強くて、歌のように旋律にのって辺りを充たしてゆく。
それに呼応するように室の身体が痙攣し始める。地面に顔を押し付けながら、押し殺した声で忍び嗤いしている。
男「君!!!離れて!」
男の一声に、反射的にうしろへ飛び退く。直後、男はケータイをとりだし息をきらして喋り始めた。既に繋がっていたようだ。
男「追い込みました!!今はおそらく睛径のなかに…はい。……はい、わかりました。では」
男はすぐさまケータイをたたんで室に駆け寄り、身体を起こしてうしろから抱き支えるような格好にすると、室の右目に掌をあてがってさらに念仏を唱え始めた。
室の死人のような蒼白とした顔面を眺めながら、俺は気を失った。
目を覚ますと見知らぬ一室に寝かされていた。
傍らには何人かの坊主。その中に室の姿もあった。
俺はそこで一部始終の説明を室の父親からされ、万が一のこともあるからと御祓いも受けた。
これは後日室から聴いた話である。
室「あのとき、俺の右目に映っていた怨子の脚が突然とまった。そして、ゆっくりしゃがんで、俺の方を見たんだ。目が合ったと思ったら、そいつ、宝物を見つけたみたいに大喜びして、四つん這いで向かってきた」
その後の記憶が無いという。
室の父親はこの事態をある程度予測していたようで、室には明かさず彼の様子を見張るよう坊主に指示を与えておいたのだ。
あの恐ろしい現象は、怨子が室と彼の父が右目を介して繋がっていることに気付き、『睛径(ショウケイ)』という2人を結ぶ道に逃げ込んでしまったことが原因だったようだ。
怨子はそのまま睛径を辿って、室の右目から彼に取り憑いた。
突如乱入した坊主は、室に取り憑いた怨子を再び睛径に追い込んでいたのだ。
まったく同じことを室の父にも施すことで、怨子を睛径に閉じ込め、祓うことができた。
この事件をきっかけに、俺と室は親友となった。
そしてこの後、俺は計り知れない恩恵を彼から授かってゆくことになる。
高校卒業後、俺は地元の大学に進学し、室は坊主になるべく本格的な修行僧となった。
大学二回生、夏のことである。
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作者怖話