豪雨の中、私は必死に逃げていた。
辺りは真っ暗な闇。ところどころ弱々しい光を放つ街灯を頼りに、ひたすら走る。
激しい雨音がしているであろう筈なのに、私には無音の世界。
でもヤツの気配だけはわかる。段々と近づいてきている。
(ここはどこだろう・・・・)
ふと思った。
(あぁ、あの商店街だ)
足の感覚も無くなってきて、これ以上走れなかった私は大通りから商店街の路地へ入り、店の倉庫へ身を隠す。
(この商店街はこんなに荒れ果てていただろうか・・・・)
廃墟と化した店々は、簡単に出入りができる。
それでも。身を隠すものが何もない一本道を走るより、ましだろう。
(寒い・・・)
全身濡れた体が冷える。
寒いのは、本当に雨に濡れたせい?
そろそろと倉庫の中を進む。
「ガンッ、ガラガラドッシャーン」
(ひっ!!)
無音の世界に、突然音がよみがえった。
何かが派手な音を立てて落ちた。ヤツが入ってきたのだ。
激しい雨音。
逃げなければ・・・・・
私は殺される・・・・・
倉庫の奥へ走る。
崩れた壁からまた外へ出る。
走る。
追いかけてくる。
別の建物へ逃げる・・・・
(?! ここ、トイレだ)
よりによって逃げ場の無い建物へ逃げ込むなんて・・・なんてこと!
個室へ入り息をひそめる。
ヤツは何かを持っていた。武器。
街灯の明かりに光っていたあれは・・・ナイフ?
「そこにいるねぇ~~?」
女の声?!
追っていたのはヤツだけではないのか!
「ふっふっふ、出ておいでぇ~~~」
奥の扉を開く音がする。
一か八か・・・・
次の個室へ向かう足音。止まった瞬間、私は勢いよく扉をあけて外へ飛び出した。
「ちっ」
舌打ちが聞こえた気がした。
でもそんなのは構っていられない。
(ヤツの気配が無い。どこへ行ったのだろう?)
思考がまとまらない。早く逃げなければ!
(逃げる?)
・・・・・・・・
闇雲に走りまた店の中へ入る。
崩れた壁、腐った床、引き裂かれたカーテン。
気づけば私の手にはナイフが握られていた。
(そう。やられるまえに・・・・)
ナイフを握る手に力が入る。
(ヤツの気配!)
すぐそばまで来ている。
カーテンの奥へ進み、並んでいるドラム缶の影に身を隠す。
足音が近づく。
カーテンが揺れた瞬間、私はドラム缶を倒しヤツの胸へ飛び込んだ。
ナイフをしっかり握り。
トスン、という鈍い音と衝撃が手に伝わる。
(やったか?!)
足元に”ヤツ”が崩れ落ちる。
動かない。
(やっと・・・・)
(やっと・・・・殺した)
ガクガクと笑う膝を何とか押さえ、顔を覗き込もうと屈んだその瞬間。
突然黒い影が飛び掛かってきた。
(ヤツだヤツだヤツだ死んでなかった!!!!)
ものすごい力で抑え込まれる。
必死で抵抗する。
何をどうやったのか、何とかヤツの腕を逃れ、また走る。
まだ手には人を刺した感触が残っているのに・・・・
(もうダメかもしれない・・・・・)
「もぉ~う逃げられないよぉ~~~」
背後からあの女の声が聞こえた。
いつの間にか前方にはヤツの気配。
(もうダメ・・・・)
「ドスッ」
鈍い音とともに腹に激痛を感じながら、私は完全に闇の世界へ沈んでいった。
(もう・・・・・タクミ・・・・・)
一つ大きく息をついて、私は目を開けた。
(嫌な夢を見たな・・・・)
心臓がまだ早鐘を打っている。
じっとりと嫌な汗で、体が冷えている。手に力が入らない。
隣の布団では、息子のタクミがすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
何の不安もない、無邪気な寝顔。
「ふふっ」
時折笑顔になる。大好きなヒーローの夢でも見ているのか。幸せな寝顔。
(私は、確かに殺した)誰を?
(私は、殺された・・・・ヤツに)
私は無意識に自分の首に手をやった。
昨年のクリスマスの夜。
酒乱の果ての凶行。
引き裂かれる服の音はまだ耳に残っている。
首に回された手の感触は、一生忘れられない。
次第に強まる手の力。息ができない。
他者によってもたらされる死の恐怖は、こんなにも恐ろしいとは。
そのとき偶然にも死は免れたが、翌日更なる恐怖が待ち受けていた。
そして、私の中に殺意が芽生える。
夫は私の首に手をかけたことを、何一つ覚えてはいなかった・・・・・・
時計を見たら午前3時を回っていた。
もう少し眠ろう。
次は幸せな夢を見たい。
あと数時間もしたら、ヤツと・・・・現実の夫と対峙しなければならないのだから。
怖い話投稿:ホラーテラー チカさん
作者怖話