長編8
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邪兒 #処女

祠は、古木でできていた。

浅黒く風化していて、蟲も涌いていそうだ。

そしてその祠を観るにつけ、あの筆舌に尽くし難い寂寥の波が押し寄せてきた。

祠の前に立つ室の背中が、誰に喋りかけるでもなく呟く。

 室「古い祠だ。だが、威厳がある」

 

 那波「なあ、なんで突然ここに来る気になったんだ」

 

 室「連れてこられた」

 

 那波「……は?」

 

 室「ここに来なきゃいけない気がしたんだ。…眼に烙き付けとこう」

大学の食堂からこの禁忌とされている山まで、室は寸分も狂うことなく辿り着いた。

御山での修行で鍛えられた室の躰は、容易に俺を置き去りにした。そしてそれを気にも留めない態度にも、不安を覚えた。

それほど標高も高くなく、小山だったが、急峻だった。

だから、室を見失わないように懸命に追いかけた俺が頂上に着いたときには、精魂尽き果て、抜け殻のようになっていた。

頂上には、樹木の生えていない空間が瓢箪型に拡がっており、手前にはうずくまった子供くらいの大きさ、貌の岩が、顔を出している。

岩肌に幅を利かせている浅梔子色の苔が、この岩が経てきた時の長さを物語っている。

奥には、こちらも石苔が著しい丸い石台があり、その上に、小さな祠が申し訳なさそうに乗っかっている。

間違いなく夢の中で見た祠だった。

その判断は、言葉に尽くせぬ既視感と、滾々と湧き出る漠とした孤独感、虚無感、そして霖雨のようにとめどない寂寥とからであった。

初め、この溢れ出る感情は、何者かに訴えかけられ生じているものだと思っていた。

しかし、目前に樹立する祠を観ていると、この色彩豊かな感情は、山そのものを象徴しているのではないか、と思えてくるのである。

祠の放つ神氣、そしてこの場全体の寂然とした気配が、この山を明朗に語っている。

山が、泣いている

直感的にそう思った。

 室「ここで…おそらく三木が首を括った。あの夢は、三木が俺たちに訴えかけたものなのかもしれない。…そして…」

一陣の風が、

この地に堆積した思念の残滓を、舞いあげ、弄び、連れ去る。

樹々がざわめき、

身を寄せ合い、そのときをまつ。

濃密な静寂。

森が、息を潜める。

遠く、風伯の口笛。

眼に映るもの全てが静止した。

時が、止まった。

 室「三木は……この祠に。………封じられたんだ」

分かっていたのだ。

それが室の口から言葉となって出てくることで、現実となっただけのことだ。

学科仲間も気付いていただろう。

しかしそれを敢えて口にしなかったのは何故か。

受け入れ難いからだ。

封印される、ということが何を意味するか、それが分かっているからだ。

祓われるのではなく、封じられた三木の思念は、その手段しか許さないほどの揺るぎない力を有していたのだ。

祠の背後の樹陰が、幽かに蠢いた気がした。

そう思ったときには、黒い頭がぬっと現われていた。

黒童。

昨日俺が夢と現実の狭間で垣間見た漆黒の子供だった。

黒童は祠の隣にのそりと依り憑き、直立する。こちらをじっと見つめている感じがする。

直線上に、俺、室、そして祠と黒童。

室を曳き戻そうと意志を奮い立たせ鞭を撃つも、足が、躰が前に出ない。

それは恐怖からか。畏怖からか。

俺と同じように室も微動だにしない。

あまりにも視界に動きがないので、室と祠と黒童が、森を背景とした絵画の如く平面に貼りついているように錯覚したほどだ。

一瞬、黒童の頭部が膨張したかと思うと、辺り一面が黯い帳に覆い尽くされる。

まるで、滴下した絵具が水面に滲んで拡がってゆくように、じわじわと黒童を中心に闇が跋扈する。

前も後ろも、上も下も。

視界を覆い尽くしたときには、黒童の姿は闇に同化して認識できなくなっていた。

室の背中が、亡霊のように白く際立つ。

未だ逃げようとする素振りすらみせない室。

一方の俺も、動けなかった。いや、動いてはいけない気がした。

一歩踏み出せば闇に吸い込まれる、そんな予感。

足元に何かが。

水だ。

沢の音がしている。ただし、実際に見えるわけではない。

依然視界には突っ立っている室の後ろ姿と、祠だけだ。あとは隈なく漆黒である。

一筋の光も差し込まない空間。それなのに、室と祠はしっかり見える。

夜更、

例えば脇に小川が流れているとき、そこに水が湛えられていることをどうやって判断するだろう。

沢の匂いか、流音か、月華に煌めく水面か。

実際に水を掬うのでなければ、それくらいだろう。

音しか、しないのだ。

そこに水の流れる音がする。しかし、鼻も利かなければ白光りするものもない。

眼は開いている…のか、いや、開いている。

水に触れてみるか、いや、できない。

もし水でなかったら。

沢の音は四方を囲んでいる。しかし足元に触れるものはない。

足元を覗きこむ。なにも見えない。

そもそも、今俺はどこを見ているのだろう。

自分の姿すら見えない。

違う、見えなくなっていた。いつのまにか。

室の背中が消えていた。

祠の中心に、ぽっかりと黯い口が開いている。

直後、推し騰がる絶大な力が、丹田から肺へ向かって雷のように駆け巡る。

総身粟立つ。

自然に、まるで掌から木葉が落ちるように、両膝を地についていた。

水の撥ねる音がした。

なんの感触もないけれど。

謁見の時。

祠の口から、赤白の紐に繋がれた二つの鈴が、現れる。

その鈴は、まるで誰かが紐の中央をつまんで揺らしているように。

宙に浮いて、振り子のように、右へ、左へ。

その度に、

淋淋、鈴鈴、淋淋、鈴鈴

鈴鈴、錚錚、鈴鈴、錚錚

泪が零れるような音を響かせて。

双子の鈴は、胡桃にそっくりで、蝸牛の這ったような紋様があって。

 

萌えるような常磐色だった。

誰かが、鈴と一緒に近づいてくる。

薄く張った水の上を歩くような音がする。

姿はみえないけれど、貴方が鈴をつまんでいるのですか。

眼前で、鈴が停まる。音も、止む。

もろもろもろ……もろうもろう、………

山の泣く声が、聴こえた。

眼を覚ますと、そこは見慣れた社殿だった。

室の父の寺だ。

案の定、室の父が傍らに胡坐をかいて座っていた。

その横に、見知らぬ男も立っていた。

 室父「…那波君。気分はどうだい」

 那波「多分大丈夫だと…ここは…」

横を覗くと、室が上体を起き上がらせているところだった。

室も俺と同じように気を失っていたらしい。そして同時に眼覚めた。

視界の隅に白いモノが映ったと思った瞬間、室は吹き飛んでいた。鈍い音がした。

 室父「この愚か者が。身の程を知れ小僧」

室の頬に張り手が飛んだのだと、そこで気付いた。

 紫乃「室さん。…寛二は―」

 室父「黙れ。…この傲慢な畜生が」

もう一度室の頬に張り手を飛ばす。骨に響くような音がする。

 室父「おい寛二。なぜ今自分が殴られているか解るか」

 室「…那波を危険に晒したからです」

再度、強力な張り手が飛ぶ。室が言葉にならない呻き声をあげる。

 室父「そうだ。危険どころか、命まで危ぶめたのだ、おまえは」

 紫乃「寛二はまだ修行中の身です。それに今までに例のない強力な悪霊です」

 室父「さりとて直接憑かれたわけではあるまい。五氣をしっかり保てば己を見失うことはなかったはずだ。もし那波君が悪霊にもっていかれていたら、おまえにそれを償うことができるか、寛二」

 室「……できません」

 室父「俺にもできん。命とはそれだけ重いのだ。……那波君」

 那波「…俺は大丈夫です。室には感謝しきれないくらいの恩があります」

 室父「いや、それでは俺の気が済まん。倅の不出来は親の責任。俺と寛二、一週間の断食。それでみえてくることもあるだろう」

 紫乃「那波君、私は紫乃というものだ。寛二から話は聞いていると思う。よろしく」

俺と室は、丸二日も気を失っていたらしい。

山中に横たわっていた俺たちを、ここまで連れてきてくれたようだ。

室の父と紫乃さんは教授に話を聴き、あの山の祠に三木が封じられていることを突き止めた。

三木を封じた呪禁は、自らを玉那覇と名乗り、祠を設えてそこに悪霊を封じたという。呪禁は女だったが、後日山中で首を括っているのが発見されたらしい。

三木の遺体が発見されたのとほぼ同じ場所だったそうだ。

三木と玉那覇が並んで首を括っている光景と、あの双子の鈴が重なった。

 紫乃「状況は複雑を窮める。学科生には『問題』が出されているようだね。それも一日に一人」

 那波「では、宇佐美と江藤も」

 紫乃「ああ。出題された、と言っていた。

干渉の仕方は様々で、必ずしもメールを使って、というわけではないらしい。宇佐美君の場合、英語の講義中に、ヘッドホンから流れてきたらしい。もちろん他の者は気付いていない。

江藤君は、こちらに来てから夢の中で出された、と言っていた」

 室「こちらに来てからってどういうことですか」

 室父「那波君の学科仲間30名全員、この寺に集めたのだよ」

室の父は、やや広袖の甚平のような着物を羽織っていた。麻を素材としているようで、上下真っ白だ。

黒の下地に、金文字で経文の添えられた扇子を舞わせ、優雅に扇ぎ、微風を送る。馬乗りから黒い肌着が見え隠れしている。

室の力強い雰囲気とは真逆で、落ち着いたそれを醸し出している。

それは春の木漏れ日のように暖かく、舞う蝶のように柔軟だった。

恬淡虚無とした物腰と、室よりさらに一段澄んだ瞳。彼の前にいると、心中全てを忖度されそうでときに恐ろしくなる。

 那波「全員ですか」

 室父「そうだよ。いろいろ面倒だったが」

 室「保護者には何と説明したんですか」

 室父「俺だけでは怪しまれるから、大学側の職員に協力してもらった」

 紫乃「那波君の大学の学長も、この事件のことは知っていた。10年前にも同じようなことがあったそうだ。加納教授に正式な依頼書を提出してもらった。内容は、期末テストの遅延と、三日間に及ぶ除霊の儀の実行だ。意外とあっさり了承してもらったが」

 那波「除霊の儀……三日間ですか」

 室父「そうだ。君たちをひとところにまとめて儀を行う必要があると判断した。

三日間、正気ではいられないと思う。堪えてくれとしか、言えない」

室の父は、涼しい顔でそう言った。

庭に植えられた槙の木の緑が、陽光に照り輝いていた。

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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