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長編8
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邪兒 #人馬

五蘊(ゴウン)

それは、倭の国に存在する最古、最高級の憑き神。

一年をかけて日本全国津々浦々を旅し、各地の寺社に参詣する。

滅多にヒトを喰うことはないが、まったく、というわけでもない。

ヒトの魂が五蘊に喰われたとき、それを認識できるのは神兌だけである。

例えば、Aという人物が五蘊に喰われたとしよう。

このとき、Aを知っているB、C、Dのうち、Dは神兌だとする。

Aが喰い殺された瞬間、B、Cの頭からAに関する一切の記憶が消え去る。

死体を見ても、それを認識することすらできず、また生前Aが所持していたものに関する記憶も、全て消え去る。

どれだけDが他の仲間にAを思い出させようとしても、思い出させることはできない。Aに関する言葉すら認識できない。

世界から、完璧にAが消え去る。それを認識できる神兌でさえ、あまりに周囲が無反応だから、記憶を無くしてしまうこともままあるそうだ。

この世の五蘊、すなわち『色』、『受』、『想』、『行』、『識』の全てを支配する人智を超えた超自然。

 室父「君たちに取り憑いている化け物の正体が判った。過去に一度だけ、同じような事件が起きている。

俺の先祖はそれを邪兒(ジャコ)と名付けた。黒い子供の姿をしている、という情報が一致している。

さて、この邪兒は、二つの全く異なる神霊が交わりあって生まれる。それは、ヒトの悪霊と、憑き神だ。

このままでは祓うことはおろか、封印することもできない。それだけの力を有している。

そこで、神の力を借りようと考えた。紫乃」

 

 紫乃「はい。…日本には、五蘊と呼ばれる高級な神が存在する。その五蘊に、邪兒を形成している要素のうち、クニツカミに起因する部分だけを、喰らってもらう。

しかし、問題がある。それは、クニツカミと一緒に君たちの魂まで喰われてしまう恐れもある、ということだ」

 

 室父「それだけは絶対に避けなければならない。そのための方策として、睛径と呼ばれる『道』を活用する」

 

 紫乃「具体的には、君たち全員の魂を、私のそれと繋ぐ」

 

 室父「三日間の除霊の儀を鑑みても、邪兒には悪霊に起因する部分も少なくない。外側から睛径に圧力をかけることによって、まずは一旦紫乃を器にして邪兒を封じる」

 

 紫乃「普通の祠などと違い、ヒトの魂は強靭な器となる。よって少しの時間でも封印できると考えた。それを利用し、五蘊にクニツカミの部分を喰ってもらう」

 

 室父「紫乃が皆に危険が及ぶと判断した場合、速やかに睛径の繋がりを断ち切る。

しかしこれだけの大人数だ。紫乃の近くに全員居てもらわなくてはならない」

 紫乃「クニツカミが喰われるまで睛径は断ち切らないと思う。君たちに危害は加えさせないから、安心して欲しい。

ただ、睛径が繋がっていると、私の見ているものが君たちにも見えることになる。

つまり、五蘊の姿を目撃することになるだろう。

それは限りない畏怖を君たちに刻みつけることになる。しかし、これだけは憶えておいてくれ。

五蘊の謁見中に、声を出さないこと。動かないこと。

もしこれを破った場合、その者はほぼ確実に喰われる。

そして、喰われた瞬間、その者は仲間の記憶もろとも世界から消滅することになる。完璧な孤独死だ。

そうはなりたくないだろう。絶対に、声を出すな。動くな」

 室父「三木の悪霊のみとなったら、力づくで祓う。

縁のある寺社に協力を募り、できるかぎりの準備はした。ここを少し移動し、五蘊が参詣する寺に赴く。明後日、五蘊がその寺に現れるということまで判っている」

 紫乃「おそらく、謁見のときは、明日午前零時。それまでに準備を整え、あとは待つだけにする必要がある」

 室父「気付いている者も多いだろうが、奥島君、丹羽君、吉川君、和田君の4人は、ここには居ない。

誤答して、呪われた。

不可解だが、呪われた者はもう憑かれていない。

丹羽君、吉川君の2人は、仏門に帰依することを望んでいるから、我々のところで世話をすることになった。

あとの2人は、本人の意志を尊重して、自宅に帰そうと思う。しかしまだ心配な事も多いから、周りの者もよくしてあげて欲しい」

 笠井「…呪われたって、どうなったのですか」

 室父「自分の外見が、当人にとっては、全くの別人になっているようだ。4人とも、髪の長い女、と言っていた。そこになにも無いにも関わらず、髪の毛を持ち上げるような仕草を見せていたから本当なのだろう。

彼らは、この先、自分の姿の映るものにはなにひとつ近づくことはできない。

鏡はもちろん、大きな硝子やケータイ、パソコンの画面、水面、写真、もう自分を自分と認める機会に出くわすこともできない。

直接自分の眼で観た自分も変わってしまっているのだから」

 

 紫乃「憑かれていないのにそのような症状が出るのは、本来あり得ない。

おそらく、一生癒えることはないだろう。たとえ邪兒を祓えたとしても」

 室父「彼らを支えるのは、自分が自分であると信じられる精神力だ。観たものに惑わされず、自己を保つこと。

その能力を修得するためには、果てない努力が伴う。そもそも、自分とはなんなのか、根本から認識を改める必要がある。

普通に生きることが既に試練となるから、それに堪えられない、となっても当然のことだ。

だから俺はとても心配だ。奥島君と和田君のことがね。

無理やりにでもここに留めることはできた。しかしいくら説得しても2人の意志は揺るがなかった。考えてみれば、ムリに引き留めても、彼らにとっては地獄でしかない。ここで修行をするのは、並大抵のことではないから。

何故その2人が断固としてここに残るのを拒否したか、解る者はいるか。

さらなる地獄が口を開けて待っていると知りながら、あえて頑なに元居た世界に帰ろうとする、彼らの気持ちを忖度できるか。………那波君」

 那波「……俺らが…居るからです」

 室父「そうだ。仲間の元に居たいからなのだよ。それだけ大切な存在なのだ、2人にとって、君たちは。それを真摯に受け止め、彼らと共に苦しみを分け合うことができるか。

君たちが、2人の助けを求める声を無視し、顔を背け、手を差しのべなかったら、彼らは簡単に生きる気力を失うだろう。

2人の未来は、君たちが担っているのだ。

その重責を背負うことができるか、ここで確認したかった。どうだ」

 那波「共に生きていきます。当然です」

 笠井「ああ。もしかしたら、そうなっていたのは俺たちだったかもしれない。そのとき、やっぱり最初に考えるのは仲間のことだよな」

 篠崎「ここまで一緒に闘ってきたからこそ共有できるものもあるだろ」

 

 望月「一蓮托生だな。俺の好きな言葉だ」

 石田「ここで奥島と和田を見捨てたら、俺たちは邪兒なんかよりよっぽど悪いもんになる」

 吉村「でもまずは、その邪兒に勝たなきゃな」

 

 渡井「石川と寺島の分まで、闘おう」

仲間の言葉ひとつひとつが、胸に沁み、淡く融けてゆく。

 佐々木「勝った暁には、精一杯生きよう」

 

 渡邉「うん。人生を謳歌しよう」

 

 山本「こちらからも、吉川と丹羽を宜しく頼みますよ」

 

 室父「それは、もちろん」

 

 坂本「奥島と和田の2人は、僕らに任せて下さい。仲間の大切さをとことん思い知らせてやりますよ」

 

 江藤「絶対に、勝つぞ」

 

 長田「負ける気がしないな。なんたって、室親子と紫乃さんがついてる」

 

 宇佐美「それだけじゃないだろ。多分ここにいる坊さん全員が、かなりの手練だ」

 

 梶原「まてまて。五蘊もついてる」

 

 大島「神が味方だな」

室が、俺を真剣に見つめ、頷いた。頷き返した。

 加藤「とにかく、声は出さない、動かない、だ」

 

 鈴木「神に喰われるのは御免だ」

 

 近藤「紫乃さん、神に喰われたらどうなるんですか」

 

 紫乃「永劫、神の一部になって離れられない」

 

 田中「最悪だな。全国の寺を拝まなきゃならなくなる」

 

 斎藤「それは勘弁だな。一年に一回だろ。さすがに飽きる」

紫乃さんと室の父が顔を見合わせて、呆れた、という顔をしている。

 常田「話が逸れてる。室さん、俺たちなら大丈夫です。生き抜いて見せます。奥島、和田と一緒に」

 

 塚原「必ず。約束します」

 

 山口「すべてが終わったら、どんなに辛くても思い出話になるさ」

 

 室父「……いい仲間だ。君たちの想いはよく解った。これで安心して2人を帰すことができる。ありがとう。

…六刻後、出発する。それまで各々自分のやり方で精神を統一しておいて欲しい。庭を眺めるのもよし。裏山を練り歩くもよし。とにかくなるべく自然に触れ、身を清めてくれ。

では、解散」

それから二時間ほど、室と一緒に縁側で並んで庭を眺めていた。

 室「………すまん」

 

 那波「は?」

 

 室「俺が重封の紋に気付いていたら…こんなことにはならなかったかもしれない」

 

 那波「なんだ、そんなことか。

いいか、俺も、他のみんなも、感謝しきれないくらい感謝してるんだ。

邪兒なんて、…俺たちだけで対処できると思うか。

それこそ命懸けで、俺たちを助けようと必死になってくれている。それがどれほど救いになるか。

まだ諦めるのは早いって、希望を持つことができる。希望がなくちゃ、生きてたってしょうがないだろ。

寺島と、石川、それから邪兒に喰われた門下の方に報いるには、邪兒を祓って、前向きに生きてゆくしかない。

そうするために、室たちの力が頼りなんだ」

 

 室「……そうだな。下らないことを言った」

室が静かに立ち上がり、手招きする。

ついていくと、そこは本殿の前だった。

 室「ここから庭を観てみろ」

 

 那波「…………すごい……」

思わず感嘆の声をあげていた。

庭に点在していた九つの岩が、一直線に並んでいるのだ。

ばらばらの大きさだった巌も、ここから観ると背丈がぴったりそろっている。

 室「あの岩は、瞑想に耽る僧侶を表しているんだ」

 

 那波「……」

 

 室「なにかに思い詰めたり、どうしようもなく感情に流されそうになったとき、この景色を眺めると、心が鎮まる。ずっと眺めているうちに、眼を瞑ってもみえるようになった」

 

 那波「この景色が…か」

 

 室「そのときは、岩じゃなくて、先祖が見える。静かに佇む先祖の姿が」

 

 那波「……」

 

 室「おかげで大分落ち着いた。ありがとう那波」

室のような者は、とことんまで自分というものを追求する。

それは一見簡単そうなことだが、至難だ。自己を見つめ、煩悩を見出し、不断の修行に励む。そしてその果てに新たに見えてくる自分がいて、その自分もまた、煩悩を抱えている。

それを極限まで繰り返し、悟りの境地を夢見る。

その過程で、一切意味性を見出そうとしない。ただひたすらに、無心で、目の前のことに奔走する。

何事かを成し遂げる者は決まって、本能に従い走りきって、その結果到達したところから初めて自己をつめ見直す。

その繰り返しが修験である。

そういう人生に憧れる自分もいながら、同時に余りにも畏れ多くて近づけない自分もいる。煩悩まみれの自分には無理だろう、と速断してしまう。

損だな、と思う。自分の可能性を信じてあげたい。

この件が解決したら、新しいことに挑戦してみようか。

例えば、この一件を通して学科仲間が体験したことを、文章にして綴るとか。

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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