草木は深く生い茂り、夜の闇よりも深い黑を湛えていた。
降り注ぐ雨はぬかるんだ地面を打ち、俺は額を拭う。
すでに子供の背丈ほどの深さまで掘られた穴は、大きく開いた口のようだった。
「おい、そろそろいいんじゃないか」
「もう少しだ、まだ浅い」
小柄な西山と金髪の卓也。二人は休むことなくスコップを動かし、地面を穿つ。
「おい、村上、ぼさっと立ってんじゃねぇよ」
卓也が語調を荒げて俺を呼んだ。
だが俺はと言えば、肉体の疲労と精神困憊で意識は朦朧とし、さっきの出来事を思い出すたび吐き気が込み上げる。
「うっ、おぇええっ・・・・!!」
胃液が逆流し、吐瀉物がぶちまけられた。
卓也は目を細め、舌打ちした。
「ちっ、吐いてんじゃねぇよ・・・・」
「早くしねぇと朝になるぞ・・・・!!」
西山は焦りの表情を浮かべていた。
身体は汗と泥にまみれ、息をするのすら苦痛になる。
「・・・・もう自首しないか・・・・?」
自分でも思ってもみない言葉が飛び出した。
「馬鹿、何言ってんだよ。
このまま犯罪者になっても構わないってか?」
西山は眉根に皴を寄せ、反論する。
「俺達はもう既に犯罪者だ・・・・。
いや、そうじゃない・・・・このままだと、もっと恐ろしいことになる・・・・」
「・・・・?なんだよ・・・・それ」
「たとえば・・・・死・・・・」
墨を垂らしたような深い影の中で、何者かがこちらに視線を向けた。
いや、違う。
気のせいだ、構うな。これは単なる身体の不調だ。
だが本能だけは何度も鐘を鳴らすように、俺の内側で「逃げろ」と叫ぶ。
その日は大学の同期の西山と卓也が、俺の家に遊びに来ていた。
中学時代から親交のあった西山と、大学時代からつるんでる卓也。
二人とも長い付き合いだ。
この日もいつもと同じように、くだらない話をしながら夜を明かしていた。
時計の針が9時を指した頃、西山がふと気付いたように言った。
「そう言えば今日って7月11日だよな・・・・」
何の気なしに言った一言だったが、俺は追憶とともに、あの時と同じように罪悪感にさいなまれた。
「あの時は迷惑かけたな、二人とも・・・・」
「いや、あれは俺が悪いんだ・・・・」
「違う、あの女が・・・・。あの頭のおかしい女のせいで・・・・」
俺達は後ろめたい記憶に、ただ口を閉ざすしかなった。
[プルルルルルルル]
「・・・・おい村上、電話鳴ってんぞ」
「ああ・・・・」
俺は重たい足取りで隣の部屋へ行き、受話器を取る。
「もしもし、村上ですが」
「・・・・・」
受話器の向こうからは、ただ沈黙が流れた。
聞こえるのは息遣いの音だけだ。
「あの、悪戯電話なら・・・・」
「お前達は明日、気がくるって死ぬ」
低く、潰れたような声だったが、確かに聞こえた。
「お前達は気がくるって死ぬ。お前達は気がくるって死ぬ。お前達は・・・・」
「あああぁっ!!」
[ガシャンッ]
耐え切れず俺は受話器を叩きつける。
[プルルルルルルル・・・・]
[プルルルルルルル・・・・]
西山と卓也の携帯にもコールが掛かる。
間をおかず、二人の悲鳴が聞こえる。
「んだこれ、どういう事だ!?」
「・・・・あいつが・・・・あいつが来たんだ・・・・!!」
西山は膝を抱えてうずくまる。
[がさっ、がさっ]
窓のサッシが揺れる。
そして一瞬、窓を横切ったその顔は、口元に引きつったような笑みを浮かべていた。
俺は思わず後ろにのけぞり、したたかに背中を打つ。
「い、今・・・・あいつが・・・・こっちを見ていた・・・・!!」
俺は窓を指さすが、そこには既に虚空が広がるばかりだった。
「どうなってんだこれ・・・・」
卓也は表情を失っていた。
「あいつが・・・・あいつが俺達を殺しに来たんだ・・・・」
西山はただ、うわ言のように呟いていた。
大学で同期になった俺達三人は、知り合ってすぐに打ち解けた。
入学から二カ月が経とうとした頃、俺は頻繁にストーカーの女に付きまとわれるようになった。
警察に訴えを出したこともあったが、男が女に付きまとわれていると話しても、半ば冗談のようにあしらわれるだけだった。
その女を呼び出して、面と向かって「付きまとわないでくれ」と頼んだこともあったが、徒労に終わった。
代わりにストーキングはエスカレートし、家の前に鳥の死骸が放置されていたこともあった。
俺は次第に家に帰ることが少なくなり、親しい友人の家を回って大学と行き来していた。
その日は西山の運転で、卓也の家に行く途中だった。
免許を取ったばかりの西山は、なれない駐車に四苦八苦していた。
何とか車を止め、三人が車から降りようとしたとき、例のストーカーの女が現れた。
女は刃物を持っていた。
女は西山の住所を調べ、待ち伏せするつもりだったのかもしれない。
三人が車に戻るとすぐに、卓也はアクセルを踏んだ。
そしてさっきまで俺達の斜め後ろにいた女は、突如前方に現れ、轢かれた。
電話が鳴りやみ、再び静寂が訪れ、俺はただ呆然とするしかなかった。
【お前は明日、気がくるって死ぬ】
その声は確かに、あの日車に轢かれたストーカー女の声だった。
「殺される・・・・殺される・・・・」
西山は震える声で繰り返す。
「・・・・いいか、あの女は死んだんだ」
卓也はそう断言したが、その額には汗が伝っていた。
「どうする・・・・?」
「どうするって・・・・何をだよ」
俺の疑問に、卓也は苛立ったように投げ返す。
「あの女だよ・・・・」
そこで俺は少し息苦しくなり、深呼吸する。
「あの女の・・・・死体・・・・」
「どうするんだよ・・・・これ・・・・」
俺は女の死体を前に、ただ立ち尽くしていた。
車で轢かれた後も数メートル身体を持っていかれたのか、地面には血が滴っている。
「け、警察に・・・・」
西山は震える手で、携帯を取り出す。
それを制したのは卓也だった。
「馬鹿、止めろ・・・・!!
そんなことしたら俺達三人とも終わりだ・・・・!!」
「でも・・・・」
「いいか、この女は死んだ。
何をどうやってももう助からない、死人だからな。
事態を大きくするより、どうしたら事を穏便に済ませられるか考えろよ・・・・」
普段冷静な卓也が、この時は感情的になっていた。
「埋めよう・・・・」
そう言ったのは俺だった。
「埋める・・・・?罪を重ねるのか・・・・?」
西山は新たな罪を犯す恐怖におののくようだった。
「ああ、そうだ、埋めるんだ・・・・。
幸い目撃者もいないし、血痕もそこまで広がっていない。
首尾よくやれば事故自体なかったことにできる・・・・そうだ・・・・」
卓也の口調は、どこか自分に言い聞かせるようだった。
しばしの沈黙の後、卓也が再び口を開いた。
「よし、まずブルーシートを持ってこい。死体を隠すんだ。
それからタオルで見える範囲の血痕を拭き取る。
早くしろよ、今は誰もいないが、ここを車が通るかもしれない・・・・」
それから卓也が指示を出しながら、俺達は死体を車へ積み込み、隣県の山奥を目指した。
車を麓に止め、そこからは人気のない所へ死体を運んだ。
さっきまでは小雨だったのに急に雨脚が強くなり、作業は困難になった。
視界は悪くなり、隆起の多い足場はさらに不安定になった。
そして俺達は深い森の中へと入り、死体を埋める為の穴を掘り始めた。
死体を穴に入るように動かそうとしたが、死後硬直が始まってるせいで、関節は固くなっていた。
女の体は正面衝突の時に奇妙な方向へねじ曲がり、まるで悪夢のようだった。
そう、悪夢だ。
俺はその忌まわしい死体を覆い隠すように、ブルーシートを被せた。
衝突のすさまじさとは裏腹に、綺麗な程原形をとどめていたその顔が、かえって怪奇じみた不気味さを増大させていた。
7月11日。俺達は人を殺した。
それから6年後の今日、あの女は再び現れた。
「あの女は言ってた。
『明日、俺達は死ぬ』と・・・・」
「まだあの女と決まったわけじゃないだろ。
もしかした真相を知ってる奴らが・・・・」
西山が俺の言葉に異議を唱えた。
「それならなおさら確かめるべきだ・・・・
あの女の・・・・あの女がまだ・・・・」
「埋まっているかどうか」
俺は続きを待てず、卓也の言葉を遮った。
「・・・・そうだ。
イカれてると思うかもしれないが、俺はまだあいつが生きているような気がしてならない・・・・」
卓也は頭を抱えた。
「・・・・行こう・・・・もう一度、あの山へ行くんだ。
あのストーカー女に関わることで俺もこれ以上悩まされたくない・・・・。
それに・・・・」
「?」
「『明日に死ぬ』っていうのも気になる・・・・。
うまく言えないが、やるなら今日中がいい・・・・」
「今日中って言ったって、後もう三時間しかねぇぞ・・・・」
女を轢き殺した張本人である西山は、一番あの女を恐れているのかもしれない。
だが、だからこそ・・・・。
「だからこそだ。
予感がする・・・・。早くしないと、手遅れになる・・・・」
俺の言葉に応える代りに、西山は車のキーを取り出し、玄関へ向かった。
俺達は再び、あの女を埋めた山へ車を走らせた。
市街地から離れるほど、街頭や民家の明かりは消え、辺りはほとんど何も見えなくなった。
車で行ける所まで進むと、そこからは歩きで、死体を埋めた場所を目指した。
足元を照らす懐中電灯は今にも消えそうで、形容しがたい焦燥感が俺を駆り立てる。
不意に水滴が頬を濡らす。
雨が地面を打つ音は次第に大きくなり、目的の場所へ付く頃には本降りになっていた。
目的の場所と言っても、死体を埋めた場所を正確に把握しているわけではない。
死体を見つけ出すために、俺達はそこら中を掘り始めた。
降り注ぐ雨は体温を奪っていく。
疲労が蓄積され、思わずまどろみかける。
地面にはいくつもの穴が穿たれるが、一向に死体は出てこない。
「もしかしたら、あの女はもう・・・・」
「馬鹿なこと言ってねぇでさっさと掘れ!!」
情けない声を出す西山を、卓也が諌める。
時計の針は11時を指している。
【お前達は明日、気がくるって死ぬ】
あの言葉が本当なら、俺達は後一時間の命だ。
意識しないうちに、恐怖の波が押し寄せる。
今迄自分が犯した全ての罪悪の記憶が、正気を保つのを危うくする。
死にたくない。
気づいたら何度もつぶやいていた。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない・・・・」
遮二無二にスコップを動かす。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死・・・・」
【がっ】
硬質の感触が、スコップを持つ手に伝わった。
「!!」
スコップでその辺りを急いで掘り起こし、手で土を掻きわけた。
「・・・・おい、来てくれ!!」
二人が俺の後ろに集まった。
深く開かれた穴の奥に、ブルーシートが見えた。
その上の辺りから覗く頭蓋骨は、まるで俺を見ているようだ。
空ろな眼窩に、俺はしばらく射すくめられた。
「ほら見ろ、やっぱりあの女はここにいたんだ」
卓也が安堵の声を漏らす。
「・・・・そうだ、どうかしてたんだ俺達。
・・・・死体は死体だ・・・・。変わらずずっとここにある・・・・」
スコップを握りしめていた手から、力が抜けた。
「なぁ」
不意に、西山が声を挙げた。
「これって・・・・カセットテープか?」
西山の手には、薄いビニールに包まれたカセットテープがあった。
「なんだ、あの女の遺品か?捨てちまえよそんなもん・・・・」
卓也は払いのけるように、手の甲を前後に振る。
「帰ろうぜ・・・・」
ふぅ、と大きなため息が聞こえた。
日が次第に明ける頃、俺は後部座席に身を横たえていた。
目を覚ました頃にはまだ、二人とも死んだように寝ていた。
時計の針は、午前5時を指している。
一応掘り起こした穴は全て元に戻したから、雨が止む頃には土の色も周囲に馴染んでいるだろう。
身体にはまだ疲労感が残っていたが、危機が過ぎ去ったあとでは、それもまた心地よい物に思えた。
しばらくして俺は二人を起こし、車はゆっくりと発進した。
辺りはすっかり朝になり、差し込む日差しが眩しかった。
もうひと眠りしようとした頃、カセットテープが目にとまった。
「おい、まだこれ持ってたのかよ」
「いや、なんとなく・・・・。捨てると逆に祟られそうだし」
西山は自嘲気味に言った。
「ったく迷信深いな西山は」
「はははは・・・・」
何の気なしに、卓也はカセットをプレーヤーに挿入し、再生ボタンを押した。
「んだよ、そんな気味悪ぃモン入れんなよ・・・・」
「いいだろ、どうせ・・・・」
[お前達は今日、気がくるって死ぬ]
「なっ・・・・」
西山は驚愕の表情を浮かべる。
「なんでだよ、死体はあったじゃねぇか!!」
卓也は声を荒げる。
「首から下は?」
「え?」
「あの時俺達が見たのは首だけだっただろ?
そこから下はどうしたんだ?」
「おい、どうしたんだよ村上・・・・」
「なぁ、どうしたんだよ?首から下は・・・・?」
「おい、村上、さっきからお前どうしたんだよ!!」
「なぁ、どうしたんだよ・・・・」
「っ・・・・!?」
「・・・・・なぁ・・・・」
村上は焦点の合わない目で不明瞭な言葉を呟いている。
そして運転席に目をやると、西山の首から上がなくなっていた。
翌日事故現場に訪れた鑑識や警察は、その奇妙な惨状に首をかしげるばかりだった。
運転席の男は運転中、何者かに首を切断され、助手席の男は車を飛び出し死亡。
後部座席にいた男も即死していたが、それでもなおブルーシートを抱えるように、死後硬直していた。
そのブルーシートからは、二十台代女性のものと思われる骨の幾つかが確認された。
その後の捜索で次々と残りの骨は発見されたが、当の頭蓋骨だけは見つからずじまいだと言う。
怖い話投稿:ホラーテラー 聖仕官さん
作者怖話