続きです。
神主さんに先刻見たものを詳しく話したところ、やはりたちまち険しい顔になって、
「左手を貸してごらん。」
と、怒るような口調で言われた。
例の女に撫でられた左手を神主さんに渡すと、五指を1本ずつつまんだり、引っ張ったりして丹念に調べられた。
「…小指の先を持ってかれとる。」
神主さんは険しい表情を崩さず、そう言って手を離した。
(えっ?)と思って、自分でも触ってみると、確かに小指の第一関節から上がぐにゃりと柔らかい。
言われるまで気づかなかった。
「坊やが見たのは、間違いなく朽縄様ですね。
ここ十数年、その姿を見たという人間はいなかったもんで、油断しておりました。
どうやらこの子は…朽縄様に気に入られたみたいです。」
(気に入られる)という言い回しに、幼いながらも違和感を感じたが、その思いを父が代弁してくれた。
「気に入られたって、どういうことですか?!
朽縄様の怒りに触れたら、カカシ(←先述のくねくね?)にされるんじゃないんですか?!」
神主は静かに、しかしよく通る声で答える。
「いや、今回は体の一部を持ってかれとりますから…。
カカシにはされんでしょうが…いや、しかしやはり厄介ですな。
朽縄様は、小指の骨を抜いて、この子に目印を残したんでしょう。
恐らく今夜にでも、迎えに来るつもりで…。」
神主さんの声を、父のしゃがれた声が遮る。
「迎えに来るって…息子はどうなるんです?」
神主さんが、ためらいながら続ける。
「要はつまり…朽縄様の一部になるということです。 簡単に言うと…食われてしまうんですよ。
自分の姿を見られる者には、相応の力があるし、また波長も合う。
その力を取り込んで、より一層強力になるおつもりでしょう。」
わしは、あの蛇の目をした女に、自分が頭からバリバリ食われることを想像した。
それだけで恐ろしくなって声をあげて泣いた。
「いや、しかし気を落とすのはまだ早いですよ。
私が朽縄様と直接お話してみますから。
…ですから、ご主人たちは今から言うことをよく聞いて下さい。」
それからわしは、ずっと母親の膝につっぷして泣いていた。
神主さんは、わしの左手小指に、何か麻紐と小さなお札のようなものをグルグル巻いて帰っていった。
夕方になり、続々とわしの家に大勢の人が集まった。
大勢の人と言っても、専ら、わしと同年代の子供たちと、その親がほとんどだ。
もちろん寛治も来た。
そして父と母の手で、その子供たちの左手小指に、わしと同じような麻紐とお札が巻き付けられた。
神主さん曰く、「朽縄様の目をごまかすため」だそうだ。
麻紐を巻き付けると、両親はその子らの親に何か話しながら頭を下げて、家に帰していた。
後になって、「何の話をしていたの?」と聞くと、
「あんたがすぐ見つからないように、協力をお願いしたのよ。
今晩、みんなの家を朽縄様が訪ねるそうだけど…ほとんどの人には、それが見えないみたい。」
と母が答えてくれた。
「みんな食べられちゃうの?!」
と、わしがまたベソかいて聞くと、
「ううん。小指の骨がある子供は大丈夫だって。
でも麻紐をしておくと、骨があるのか無いのか、分からなくなるそうよ。
だから、あれを明日の朝まで絶対に外さないようお願いしたの。
もしも正夫をわざと隠していることがバレたら…朽縄様が怒ってしまうんだって。」
母は安心させるために包み隠さず言ってくれたのだろうが、わしは余計に不安になった。
(誰かが紐を外したら、そいつ、カカシになるんかな?
わしの紐、間違って外れんやろか…?)とな。
そして夜が訪れた。
朽縄様は、いつどこに、どんな姿で現れるのか見当もつかないと言う。
わしは、少しの物音で緊張の糸が張ったり弛んだりしていた。
夕飯もあまり食べられんかった。
飯の後、父親と一緒に風呂に入った。
―――風呂の戸を開けた瞬間…心臓が一瞬で凍りついた。
…風呂釜の中に、女がいた。
こちらに後ろを向けて湯に浸かり、長い髪が湯船にユラユラと、海草のように漂っている。
昼間見た白い浴衣を着たまま入っている。
間違いない。
朽縄様が目の前にいる。
わしは、とっさに風呂の戸を閉めガタガタ震えだした。
父はすぐに察してくれた。
「逃げたらバレてしまうぞ。
…絶対に目を合わすなよ。
見えてることを悟られるな。
父ちゃんが守ってやるから、普通にしとけ。」
小声で耳打ちし、父親に抱き抱えられて風呂に入った。
再び風呂の戸を開けたとき、わしの顔の真正面、文字通り目と鼻の先に女の顔が来ていた。
湯船から上がっていたのだ。
ずぶ濡れの女の、爬虫類のような小さな目がわしの顔をジッと見据える。
間近で女の声が、耳に響く。
「お前、見えてるだろ?」
昼間と違い、女の顔は笑っていない。
既に何軒か巡ってイライラしていたのだろう。
わしは、聞こえないふりをして父に目を向ける。
普段あまり笑わない父が、ニッコリ笑顔を作り
「おいおい、小便したくなったからって裸で出ていく奴があるか。
出すならここで出したらええぞ。」
と、必要以上に大きな声で喋りかけてくれた。
わしも、泣きそうな顔のまま笑顔を無理矢理作り、コクコクと父ちゃんに頷いた。
汚い話だが…本当に父の腕の中で失禁していた。
それから、わしは極力普段通りに体を洗ったり、湯船に浸かったりしたが、その間も女は
「おい、見えてるだろ?
本当は見えてるんだろ?」
と執拗に、わしの顔に、その不気味な顔を近づけてきた。
最後に、女はわしの左手をゆっくり撫でて(ここでまた漏らした。)不満そうに
「チッ…。」
と舌打ちして消えた。
わしは、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったが、幸いにも風呂場だったため、全て流れてごまかせたようだ。
女が消えてからも、わしはガタガタ震えており、その日は始終、父と母に交代で抱いてもらった。
翌朝、協力してくれた村人たちと全員で山を上り、神社を訪れた。
朽縄様の姿を見たという者は、結局わし以外にはおらんかった。
神主さんは疲れはてた様子だったが、笑顔で
「もう大丈夫です。
朽縄様の、坊やへの執着は失せました。
小指の紐とお札を外しても構いません。」
と言ってくれた。
これまでも何十年かおきに同様の事件が起こっており、この方法で切り抜けてきたという。
しかし、中には目眩ましの子供が紐を外してしまったり、当人が見えていることを見抜かれて、神隠しに遭う者もいたらしい。
ちなみに朽縄様に食われるときは、大蛇の姿で丸のみにされるらしい。
(神社には、その様子が描かれた絵巻物も残っている。)
村人たちから歓声が上がり、寛治は泣きながら
「よかったー!よかったなー!」
と喜んでくれた。
(しかし、子供だけで神社に近づいたことで、わしらは後日げんこつを食らった。)
あれから五十年…わしの左手小指は、成長してからもずっとぐにゃぐにゃのままだ。
朽縄様の姿もそれから見ることはなかった。
大人になってから病院で検査したが、医者は首を捻るばかりで…まぁ生活に支障はほとんどないから良いけどな。
そう言って、祖父は幼い私に
「だから絶対に、あの神社に子供だけで近づいたらいかんぞ。」
と、怖い顔を作って言い聞かせてくれました。
あのとき小指に巻かれた麻紐とお札は、御守り袋に入れて今も大切に保管しているそうです。
祖父は今も元気に村(今は郡)の老人会などに出かけては、新しく入った女性会員さんに
「ありゃー。わし、あんたに骨抜きにされてしもたわー!」
と、小指を披露しているそうです。
祖父曰く、鉄板ネタだそうです。
怖い話投稿:ホラーテラー 海星さん
作者怖話