去年お盆帰省したときの話。
私と弟は、このほど小学校の校長に昇進した従兄弟の自宅に招かれ、そのお祝いを兼ね、まだ明るいうちから酒盛りをしていた。
私より七学年上の従兄弟・ゆきおは、幼少期に父親を亡くし、母の手一つで育てられたせいか、努力家で誠実、私が物心ついたときから、文武両道で優秀だった。
ゆきおは私らに対しても実の兄のように優しく、包容力があった。ゆきおからは勉強も遊びも、多くのことを教わってきたから、私ら兄弟にとって昔から心の支え的存在だった。
私らはそんなゆきおを取り囲んで酒を酌み交わし、大いに盛り上がっていた。
そんな中、弟がゆきおに冷酒を一献すすめながら、
「俺さあ…子供の頃夜行列車で迷子になって、ゆきお兄ちゃんや兄貴に迷惑かけたって、おふくろからきいたことあるんやけど…よう、憶えてないんや…」
と、神妙な顔つきで言いだした。
ゆきおは記憶を引き出すような表情をしていたが、やがて、
「あぁ…俺がまだ高校生くらいの時やな。お前らとおばちゃんと一緒に鹿児島へ里帰りした時のことや。ちょうど今くらい、お盆の時期やった。」
と言って苦笑いした。
その時のことは私もよく憶えていた。
ゆきおの言うおばちゃんというのは、私の母である。ゆきおは母の姉の息子だから、お互い母親の郷里は鹿児島である。
当時私は、ゆきおと一緒に旅行できることが夢のように嬉しかったし、初めて乗る寝台特急に胸が張り裂けそうなほどわくわくしていた。
母と私ら兄弟、そして従兄弟のゆきおは、神戸・三宮駅から西鹿児島行きの特急寝台「あかつき」に乗り込んだ。初めて経験するゆきおとの夜行列車の旅は私ら兄弟にとって最高の喜びだったし、私らの興奮は尋常ではなかった。
母は自分たちの寝台を探すと荷物の整理を始め、
「ゆきおちゃん、この子ら頼むね。じっとしてないから…」
と言って、ゆきおに私らを託した。
当時私は小学校低学年で、弟はまだ幼稚園児だった。
案の定、弟は車内を走り回り、飛び跳ねて騒ぎ、乗客に迷惑をかけていた。しまいには、母とゆきおは車掌から静かにするよう注意されてしまった。母は弟を叱りつけ、弟は大きな声で泣き出した。
ある乗客が、
「やかましいのぉ!どっかにつれていけや!」
と、母に罵声を浴びせた。
ゆきおは咄嗟に私ら兄弟の手をとり、落ち着かない弟と私を強引に連れ出した。
ゆきおはビュッフェで私らにジュースを買ってくれて、弟はすぐに泣き止んだ。ゆきおは安堵したのか、「ちょっとトイレに行ってくるから、お前らはここを絶対に離れるなよ。」と私らに告げ、ビュッフェの隣車両に歩いて行った。
列車はピィーっと、汽笛を鳴らして夜の闇を突き抜けるように走っていた。私は初めて乗る夜行列車の雰囲気にのまれていたのだろう、流れていく暗い風景と、カーブを流れるように走る列車、そして車両の薄明かりによって車窓に写る自分を、弟そっちのけで眺めていた。ただただ、興奮していた。
気がつけば、隣にいたはずの弟がいなくなっていた。列車の進行方向に向かって通路を見渡したが弟の姿はどこにもない。私は慌てた。
『どないしよう…』
私は泣きそうになったが、自分までここを離れたらゆきおがパニックになるだろう。列車は停車していないから弟は必ず見つかる…
私は子供心にそう思い、ゆきおが戻ってくるのを待った。
私は戻ってきたゆきおに正直に事情を話した。ゆきおは「あほやなぁ…」と、私に笑いながら言ったが、表情はひきつっていた。
ゆきおと私は列車の進行方向に向かって弟を捜した。
弟は若い男女と一緒に二両先車両の窓側にいた。私はほっとして、駆け寄った。弟は若い女性の膝の上にのって、ニコニコ笑いながらお遊戯をしていた。短時間のうちに慣れ親しんでいる弟の姿が異様だった。
女性は私に、
「あんたら、兄弟よね?どこ行くの?」
と、微笑みながらたずねた。
「か、かごしま…」
私は子供心に女性がきれいだと思い、緊張しながらそう答えた。
女性は、
「あら…おねえちゃんらと同じやわ。お盆やから、帰らなねえ…
おねえちゃんね、幼稚園の先生やったんよ。ちびちゃんかわいいわぁ…」
と言いながら弟の両手をとり、お遊戯を続けた。
弟はキャッキャッ…笑って喜んだ。
女性の前に座っていた男性は煙草を吸いながら、それをみて微笑んでいた。私も楽しくなって、はにかみながら笑った。
近づいてきたゆきおの表情は真逆だった。
見たこともない恐い表情で私らを睨みつけると、
「おまえら行くぞ…もう知らん!」
と吐き捨てるように言って踵を返した。
私はただならぬゆきおの態度に恐れ、女性の手から弟を奪うと、早歩きで去って行くゆきおを一目散に追いかけた。
女性は、
「ちびちゃん…また明日朝会おうね…」
と、微笑みながら弟に手を振った。
翌朝、西鹿児島に到着したが、ゆきおの機嫌はさえなかった。私は生まれて初めてゆきおが恐いと思った。
赤い顔して弟は私の話にじっと聞き入っていたが、
「で…結局、その男女と朝会えたん?」
と、私に尋ねた。私は「憶えてへん…」と下を向いて答えた。
一瞬沈黙が流れたが、ゆきおは腕を組んで横の窓を見ながら、ふぅっと一息ついた。いつの間にか日はどっぷりと暮れていた。
ゆきおの視線の先には窓に映る私らがいた。
ゆきおは、
「フフフ…おるわけない…あのな、映ってなかったんや。あの人ら…車窓に。お盆やったしなぁ…」
と独り言のように呟くと、苦笑いしながら私らを見た。
私は予期せぬゆきおの言葉にまばたきすることを忘れた。弟は冷酒を一気飲みした。
少し開いた窓の隙間から夏の虫の声が聞こえていた。
(おわり)
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話