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そろそろ二十世紀が終わろうかという年の九月のことだった。当時まだ十歳にもなっていなかった僕はその夏、一人の宇宙人に出会った。
僕が住んでいた街の外れには四階建てのそこそこ大きいデパートがあって、そこの屋上は小さな子供たちが遊べるスペースになっていた。百円玉を入れると動き出すクマやパンダの乗り物や、西洋のお城の形をした巨大なジャングルジム、クモの巣状に張られたネットの真ん中にトランポリンが付いている遊具とか。とにかく、子供心をくすぐるような場所だった。
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それらいくつかの遊具の中に、銀色のUFOの形をした遊具があった。当時はそれがアダムスキー型だということは知らなかった。UFOの下部には、やじろべえの様に支柱あって、子供が中に入って動き回ると、その重心が移動した方にぐらりと傾くのだ。
地面からUFO本体までは大人の背丈ほどの高さがあった。中に入るには等間隔で結び目のついている縄ばしごを上らないといけないので、本当に小さい子は上ってこれない。それでいて、単調で単純な仕掛けだったから、他の遊具に比べると人気も無く、中に人がいることは滅多に無かった。けれど、僕はそんなUFOが大のお気に入りだった。
当時、たまに母の買い物に付いて行くことがあって、その時は100円と消費税分だけ貰って、デパート内の痩せた店員さんが居る駄菓子屋で菓子を買い、母が下で買い物をしている間、僕はUFOの中でその菓子を食べながら、一人宇宙人気分を味わったりしていた。
その日は、小学校が昼に終わって、家に帰った僕は夕飯の買い物に行くという母の後ろをついて行った。いつもの様に100円分のラムネ菓子や飴やガムやらを買って屋上に行き、UFO下部に空いている三つ穴の一つから縄ばしごを伝って中に入ろうとした。
すると中に一人先客がいた。女の子だった。赤い服に長めのスカートをはいている。こちらに背を向けて、外側に出っ張っている半球状の窓から屋上の様子をぼんやりと眺めていた。
平日だったので誰もいないだろうとタカを括っていた僕は、女の子の存在に少しばかりドギマギした。すると女の子がこっちを振り向いて、僕は更にドキリとする。けれども、ここで頭をひっこめると何だか逃げ出したみたいで恰好悪いと思い、僕は黙って中に入った。
僕が入って来たせいでUFOの重心がずれ、ぐらり、と傾いた。女の子から一番離れた壁にもたれかかりながら腰を下ろして、下の階で買って来た駄菓子の中から、まずラムネ菓子の包を開いた。
ちらりと見やると、女の子はまた窓の外の方を見やりこちらに背中を向けていた。歳は僕より一つか二つ上だろうか。窓から入って来る夏の強い光のせいで、肩まで伸びる黒髪の輪郭がちりちりと光っている。
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あの子は、どうして外ばかり見ているのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、ラムネが一粒、手の中から転げ落ちた。ころころとUFOの中を転がり、あっ、と思った僕はその後を追いかける。すると、手が届きそうなところでUFOの重心が移動して、ラムネはまるで、僕から逃げる様にあらぬ方向へと転がってしまった。
ようやく捕まえて、汚れを払うために息を吹きかける。
笑い声が聞こえた。
いつの間にか、女の子が僕の方を見ていて、両の手を口にあてて、くすくすと笑っている。
「……それ、食べるの?」
そう言って女の子は、僕の手にしたラムネを指差した。その口調がまるで、『一度落ちた物を食べるなんて、キタナイ人』 と言っている様な気がして、むっとした僕は返事の代わりに無言で、ぽい、とラムネを口の中に放り込み、大げさにがりがり噛んで呑みこんだ。
「おもしろいね」
女の子がまた笑った。
面白いのはけっこうだけれど、面白がられるのは愉快なことではない。憤然としていると、女の子はすっと片手を僕の方に差し出して、
「わたしも甘いもの欲しい。一つください」
と言った。口調は丁寧だけども、図々しいにも程がある。僕は幼い頭で、何とか嫌味を言ってやろうと考えた。
「知らない人から物を貰っちゃいけないって、習ったことはない?」
どうだ。
けれども、女の子はまるで怯まなかった。
「うん。でも……、でも、わたしはあなたのこと、知ってるよ」
僕は驚く。僕と彼女は、どう考えても初対面だった。それとも、実は同じ学校に通ってるとかだろうか。
「あなたはキミでしょ。アンタでもあるし、お前にもなるね。それと、人間で、男の子。たぶん私より年下ね。今お菓子を持っていて、わたしのぜんっぜん、『知らない人』 ……ほら、あなたのことだって、もうこんなに『知ってる』んだから」
ぽかんとする僕に、女の子はもう一度、「だから、ください」 と掌をこっちに押し付けて来る。
正直意味が分からなかったけれど、勢いに負けたというか、返す言葉も思いつかなかった僕は、黙ってラムネを分けてあげた。
「ありがとう」
そう言って女の子はにこりと笑った。笑うと、可愛い女の子だった。
それから僕たち二人は、むしむしと暑いUFOの中でおしゃべりをした。といってもほとんど女の子が何か尋ねて、僕が答えるという形だったけれど。
女の子が訊き出し上手だったのか僕が隠し下手だったのか、その日のうちに僕は名前から住所から洗いざらい吐かされて、しばらく経った頃には、女の子にとっての僕は本当に、『知らない人』 から、『知っている人』 へと変わっていた。買った駄菓子も結局半分くらい食べられた。
どれくらい話しただろうか。そのうち、窓の方を見やった女の子が、「お父さんだ」 と声を上げた。見ると、外に黒い野球帽を被った男の人が立っていた。
「迎えが来たから、もう行くね」
「……あ、待って」
UFOの中から出て行こうとした女の子を、僕は呼びとめる。
色々と訊かれるままに答えてしまったし、お菓子は半分食べられたし、このまま帰してしまっては僕だけが損した形になる。それに、僕はまだ彼女の名前も訊いてなかった。
「名前を教えてよ」
女の子がこっちを振り返った。その顔は何か思案している様だったけれど、やがてにこりと笑って、こう言った。
「うちゅうじん」
「え?」
「ワタシハ、宇宙人デス」
自分の喉を小刻みに叩きながら、女の子は震える声でそう言って、にこりと笑った。
ひとり分の重量がなくなったUFOがぐらりと傾き、僕だけが船内に残される。ぽかんと口を開けたまま、天井に取り付けられた窓から青い空を見上げた。自分を宇宙人だといった女の子のまぶしいくらいの笑顔が頭に残っていた。
確かに宇宙人だ。とその時は思った。
それからというもの。僕は、よくデパート屋上のUFOの中で宇宙人と遭遇するようになった。学校が終わってからの時間や、休みの日。僕が行けばほぼ必ず彼女は居た。
大抵彼女が先にUFOの中に居て、僕が後からというのが多かったけれど。僕が先に着いて待つこともあった。
彼女と会うと、僕は必ず質問攻めに遭った。生い立ちのこと、両親のこと、学校のこと、友達のこと。彼女の問いに、僕はいちいち馬鹿正直に答えた。
当時の僕は、学校はつまらなかったし友達はいなかったし、それでいて親に対しては『いい子』 を演じていた。けれども、彼女には何も隠さなくても良かった。デパートの屋上の小さなUFOの中が僕らの唯一の接点だったから。
どこかふわふわとしていて、掴みどころの無い子だったけれど、彼女と話している時間は楽しかった。僕らは色々話して、沢山笑った。
いつしか、僕はデパートに行って彼女と話すのが楽しみになっていた。僕は何の用事のない日でも、気が向けばデパートに行くようになっていた。
「それじゃあ、君も、宇宙人なの?」
と彼女に訊かれたことがある。僕にあまり友達が居ないことを白状させられた時のことだ。「違うよ。僕は地球人」 と返すと、「ちきゅうじん」 と僕の真似をするように言って、くすくすと笑っていた。
ぐらぐら揺れるUFOの船内で隣り合わせに座り、二人でラムネなんかを食べながら。
僕から彼女に質問することはなかった。それが無くても、僕たちの間に話題はたくさんあった。それに、自分のことについてはほとんど話さなかった彼女に、子供なりに遠慮していたのかもしれない。
たまに自分から口を開いたと思ったら、「私のお母さんが宇宙人で。だから、私も宇宙人なの」 などと彼女は妙なことを言って、一人で笑うのだった。けれども、僕はそれが嘘だとは思わなかった。
彼女は自分のことを、「宇宙人だ」 としか言わなかった。
僕は、女の子が実は本当に宇宙人で、それ以上の秘密を知られたら、自らの星に帰ってしまうんじゃないかと、割と本気で思っていたのかもしれない。
でも、何度も何度も会って話すうちに、僕はどうしても、あの子のことをもっと知りたい、と思う様になった。出会ってからもう一ヶ月程が立っていたけれど、僕はまだ彼女の名前も教えてもらっていなかった。
だからその日、いつものように迎えが来てUFOから出て行こうとする女の子に向かって、僕は、思い切って訊いてみた。
「ねえ、名前を教えてよ。『宇宙人』 じゃなくて、君の本当の名前」
それを訪ねるのは二度目だったのに、一度目よりも緊張した。
彼女も、少し驚いたような顔をした。すぐに、いつものあの笑顔に戻ったけれど、その顔はどこかしら、困った様にも、はにかんでいる様にも見えた。
「……分かった」
一呼吸置いて、
「 。」
少し俯き、呟く様に、彼女はその名前を口にした。
そうして、いそいそとUFOから出て行ってしまった。しばらくして、僕は自分耳やら頬やらが火照っていることに気付いた。
初めて彼女の名前を聞き出せたのだし、彼女が答えてくれたこともう嬉しかった。次会ったら、どんなことを訊こうかと、その時からもう色々と質問を考えはじめていた。
けれども、その日以降、僕が彼女に何か尋ねることはなかった。
次の日、学校から帰った僕は、何の唐突も無く原因不明の高い熱を出してしまい。しばらく、デパートへは行けなかった。寝込んでいる間、何の根拠もなく、彼女があのUFOの中で僕のことを待っている様な気がして、何だか申し訳ない気持ちになったりした。
そうして幾日か経ってから、回復した僕は、学校が終わってからいそいそとデパートへと向かった。彼女に会ったら、数日間来れなかったことを謝らないと、と思いながら。
けれども、屋上へ続く階段をあがった僕は、自分の目を疑った。
そこに有るべきものが、無かった。
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UFOが、無い。たった数日間の間に、消えていたのだ。
それがあった場所はただのがらんとしたスペースになっていて、支柱を支えていたボルトの跡しか残っていなかった。辺りを見回してみたけれど、女の子の姿も見当たらない。
僕はデパート内に降りて近くにいた店員に、屋上のUFOはどうしたのか、と訊いてみた。するとその店員は作業していた手を止めて僕を見下ろし、「ごめんなさいねボク。UFOと言われても、私は聞いたこともないし、知らないの」 と言った。そんなはずはない、といくら言っても、店員は首を横に振るだけだった。
話しにならない。そう思った僕は、別の店員を捕まえて同じ質問をした。けれども帰って来たのは同じような答えだった。三人目、四人目もそうだった。
僕は、茫然としながら屋上に戻った。沢山ある遊具の中、UFOだけが存在していない。辺りには他の遊具で遊ぶ子供たちの声がしている。まるで、誰もそこにあったUFOのことなんて覚えていないかのように。
当時、『喪失感』 なんて難しい言葉は知らなかったけれど。あの時感じたのは、きっとそれなんだろう。
僕はベンチに座って女の子を待った。
でも、結局、いくら待っても、その日、女の子が屋上に現れることはなかった。
もしかして、あの子もUFOと一緒に消えてしまったのかも知れない。僕が、あの子の名前を知ってしまったから。
そんなくだらない思いつきを、その時の僕は懸命に振り払わなくてはならなかった。
それから僕は、ほぼ毎日の様にデパートに足を運んだ。百円分のお菓子を買い、いつも半分だけ残して、ベンチに座ってぼんやりと女の子が来るのを待った。
皆UFOのことを知らんぷりする。あの子なら、きっと僕の気持が分かってくれると思っていた。会って話がしたかった。
けれども、幾日が過ぎても、何週間と経っても、彼女が僕の前に現れることはなかった。
そんなある日。ベンチに座って女の子を待つ僕の体に、肌寒い風が当たった。
その瞬間、僕は、自分が女の子の名前をすっかり忘れていることに気がついた。
あり得ないことだった。
あれだけ知りたいと思った彼女の名前を、やっと教えてくれた名前を。あの時の映像はしっかりと思いだせるのに、彼女が何と言ったのか、どうやっても思い出せないのだった。
ああ、やっぱり。
知ってしまったからだ。
そう、僕は思った。
僕が、彼女のことを知ってしまったから。だから、彼女は僕の前から姿を消してしまったんだ。自分の名前と、存在した痕跡だけを消して。
UFOと一緒に、行ってしまったんだ。
気がつけば僕は泣きだしていた。
ずっと何かを溜めこんでいたダムが壊れて、溢れた水は両の目から涙になってこぼれた。周りから、あの子はどうしたのだろうと視線が集まる。
風が、夏の終わりと秋の訪れを告げる中、僕は、声をあげて泣いていた。
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作者怖話
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