今から20年以上前、私が小学生の頃、私の地元の同年代では誰でも知っている人物に、「野村のおっちゃん」という人物がいた。
その野村のおっちゃんは文字通り、苗字が野村というおじさんで、小学生に付きまとう変質者だった。
野村のおっちゃんは白髪の短髪で、度の強い眼鏡を掛けた50代後半くらいの小男であり、いつも薄汚れた紺色のジャンパーを羽織っていた。
典型的なアル中で、肝臓が悪いのか顔色は浅黒かった。
その浅黒い顔に、汚らしい白髪混じりの無精ひげ、フケ混じりの頭髪などから、ホームレスとの噂もあった。
おっちゃんが実際に我々小学生に何をしたか、というのは、おっちゃんの噂話が我々小学生の間で独り歩きしていた為、どこまでが真実か分からない。
それを踏まえて書けば、おっちゃんが起こした有名な事件の一つに、女児に対する誘拐事件があった。
おっちゃんは自分の車なのか知らないが車を運転し、学校帰りの低学年の女児を無理やり拉致した。
おっちゃんが女児を後部座席に押しこんで車を走らせると、女児は車内で泣きながら窓ガラスを叩いて、外を歩いている人に助けを求めた。
そして、たまたま道を通りがかった小学校の教頭がその車を目撃し、大声で叫びながら追尾し、ついに車を停止させて、女児を救出したと言う。
この話は保護者の間でも有名で、私も母親から直接聞いたことがあり、小学生同士の噂レベルではない、信ぴょう性の高い話だ。
しかし野村のおっちゃんは何故か、そのような大きな事件を起こしたにも関わらず、大した罪には問われなかった。
それどころか、警察の事情聴取を受けた際、「なんだ、野村さんか」とのことで、すぐに釈放されたという噂があった。
当時は子供への性犯罪の重大性に対する社会の認識がまだ浅く、また、おっちゃんのような少し知的に問題のありそうな人に対する処遇が曖昧で、警察もいいかげんな対応をしていたのかも知れない。
いずれにしても、事件後もおっちゃんは変わらず小学校の近くを徘徊していたため、教頭始め、先生方が見回りをして、事件を未然に防ぐ努力を続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
誘拐事件で女児を救出した人物であり、先生方の見回りの陣頭指揮をとっていたのは、先に述べたように教頭だ。
この教頭は、おっちゃんと同じ50代くらいで、短髪の白髪、そして同じく眼鏡を掛けていたが、スラリと背が高く、インテリで、おっちゃんとは正反対の男であった。
普段は寡黙でありながらも、何か必要とされる場面では頼りになる教頭。
我々少年たちからも、立派な大人の男として、一目置かれている存在だった。
そんな教頭の頼りになる一面を直接目の当たりにしたのは、ある夏のプールの授業の時だ。
我々が水着に着替え、屋外でプールの授業をしていた際、プールサイドを囲った柵の外から、教頭の怒鳴り声が聞こえてきた。
「だからやめてくださいと言ってるではありませんか」
「いいかげんにしてくださいよ、野村さん」
教頭はそのように大声で怒鳴っていた。
普段、寡黙で品のある様子の教頭がそのように怒鳴っているのは、その時の私にとって大変に意外な光景だった。
後で分かった話では、プールの授業中、着替えが終わり無人になった女子更衣室に野村のおっちゃんが侵入。
それを警戒していた教頭が見つけ、野村のおっちゃんを叱りつけていたのだった。
野村のおっちゃんはその時、何かボソボソと文句を言い、そのまま立ち去っていったようだった。
この教頭のお陰で、小学校の平穏はぎりぎり守られていたと言っても過言ではない状況だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
野村のおっちゃんの事件では、もう一つ印象に残っている事件がある。
私が友人と連れ立って、小学校近くの公園で遊んでいたところ、野村のおっちゃんも公園のベンチに座っているのに気づいた。
すると、私の友人の一人でお調子者の男が、「野村のオヤジを馬鹿にしてやろうぜ」と提案した。
野村のおっちゃんは情けない風体の小男であるが、大の大人であることには変りなく、もし本気で怒らせたら我々小学生では太刀打ち出来ない。
私はその提案に反対し、やめるように言ったが、お調子者の友人は、よせばいいのに、おっちゃんに近づいていった。
そしておっちゃんに向かって一言。
「おい、野村。働け」
野村のおっちゃんは、突然の、見ず知らずの子供からの一言にキョトンとしていた。
するとお調子者は、「働けって言ってんだろ、乞食」と言って、野村のおっちゃんの尻に蹴りを入れた。
しばらくの間があって、野村のおっちゃんは、「ふのこぉ、ばかやろぉ」と、酒の飲み過ぎで呂律が回らないのか、何と言ってるのか分からないが怒鳴って怒りだした。
しかしお調子者は更に調子にのって、「税金払えよ!」と言って、おっちゃんに追い打ちをかけた。
おっちゃんはついにブチ切れ、右手を上げて殴りかかるような仕草で、お調子者を追いかけ回した。
その時、お調子者が我々の方に逃げてきたものだから、我々全員がおっちゃんから逃げるはめになった。
おっちゃんは酒に酔っていて足が遅かったものの、いつまでもしつこく追いかけてきた。
その日は休日で学校は閉まっていたことから、我々は一番近所の安全な逃げ場である、お調子者の家に逃げこむまで、おっちゃんに10分ほど追い回されることとなった。
10分も死に物狂いで逃げたことの疲労と緊張感で、我々は半狂乱のパニックに陥った。
家のドアの鍵を閉めても全く安心できず、もしかするとおっちゃんに殺されるのではと皆が泣きわめいた。
たまたま家にいたお調子者の母に、「もしドアを破られそうなら警察を呼ぶから大丈夫!」と強く諭され、ようやく落ち着きを取り戻した。
おっちゃんは我々を追いかけてお調子者の家の前まで着くと、玄関ドアに手をかけて家の中に入ろうとした。
そして鍵がかかっていてドアが開かないことが分かると、お調子者の家の前に停めてあった子供用自転車を蹴りつけ、滅茶苦茶に破壊しだした。
一台壊すと隣の一台という感じで、おっちゃんは計4台を、気が済むまで、執拗に、修復不能なほどに破壊した。
そして玄関ドアに蹴りを入れると、何か捨てゼリフを吐いて帰っていった。
この事件ではお調子者を中心に我々にも非があったので、大人たちに大変に叱られた。
また、この事件を切っ掛けとして子どもたちの間で、おっちゃんが変態という、ある種、笑いの対象から、暴力事件の、恐怖の対象へと、その存在のとらえ方が変化していった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
先の事件もあって、我々は野村のおっちゃんを怖がるようになったので、外を歩くときも、できるだけおっちゃんに会わないように、皆が終始気を配るようになった。
また先生方も、以前とおっちゃんの扱いを変え、以前は女児のみに、近づくな、誘いに乗るなと警告していたのが、先の事件以来、もし見たら、先生に報告するように、けして近づかないように、と全員に指示するようになった。
しかし不思議なことに、その事件以来、おっちゃんの姿はパッタリと見なくなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
野村のおっちゃんが姿を見せなくなってから、半年ほどが過ぎようとしていた。
ちょうどその頃、子どもたちの間で、「赤い男」の噂を耳にするようになった。
何でも全身、真っ赤な男が、近所の公園で、ぼう、と立ち尽くしているという。
私と友人たちは野村のおっちゃんに追い回された件の恐怖を既にすっかり忘れかけていたので、その素性の知れぬ赤い男を、ただ単純に好奇心で見てみたいと思い、放課後にその目撃談のある公園に集まることにした。
赤い男を見に行った私も含む数名の仲間たちの中には、あのお調子者の男もいた。
我々は公園に着くと、公園内を手分けして、皆で赤い男を探した。
結局、お調子者が、公園裏口の、トイレの近くで赤い男を発見した。
お調子者の呼びかけで皆が物陰に集まり、赤い男に気づかれないように、皆でその様子を観察した。
赤い男は、赤いフリースを着て、赤いスウェットのズボンを履き、靴も赤い運動靴で、赤いニットの帽子を被り、赤色のレンズの大きめのサングラスを掛けていた。
何故そこまで赤にこだわっているのかは分からない。
その男はプルプルと小刻みに震え、そわそわしていて、見るからに挙動不審であった。
そして時折、公園全体を見回して、誰かを探しているような仕草をした。
「あれ、野村じゃねえの?」
お調子者が口を開いた。
確かにその赤い男は、野村のおっちゃんに似ている。
帽子を被って、サングラスをしているが、背格好は野村のおっちゃんと同じくらいだ。
我々が赤い男と野村のおっちゃんの共通点を探していると、赤い男はこちらに視線を向け、ゆっくりと近づいてきた。
そして赤い男は、お調子者の顔を見ると、一気に走ってこちらに向かってきた。
「やっぱり野村だ!」
お調子者は叫び、逃げた。
我々もそれぞれが散り散りになって、一目散に逃げた。
しかし赤い男、すなわち野村の目的は、お調子者一人のみにあったようで、野村は最初からお調子者に向けて走り、すぐにお調子者を捕まえた。
そして野村は公園内の遊具の一つである、石造りのトンネル内にお調子者を引きずりこんだ。
「捕まったぞ!」
私はそう叫んで、皆に助けを呼びかけた。
そして逃げ足を一旦止め、トンネルに近づいて、中の様子をうかがった。
トンネル内では、野村が左手でお調子者の首根っこを掴み、その右手で何度も、お調子者の顔をこぶしで殴りつけていた。
本当はすぐに助けに行けばいいのだが、私は一人で行っても同じようにやられると思うと足がすくんでしまい、他に逃げた仲間の助けを待つことにした。
その間にも野村は、お調子者の顔を、何度も何度も、執拗に殴り続けた。
最初のうちはグエ、ウエ、などと声を上げていたお調子者も、しだいに完全に気を失ってぐったりしてしまった。
そのぐったりした子供の顔を、野村は手加減なく、何度も、何度も、繰り返し殴り続ける。
野村のこぶしは、お調子者の鼻血などで血まみれになっていた。
真っ赤な服装の男の周りに、お調子者の真っ赤な鮮血が飛び散っていた。
すると突如として、痙攣のような感じでお調子者の体が奇妙に動き出した。
お調子者は痙攣でピョンピョンと跳ねながらトンネル内で暴れ、その末に仰向けに倒れた。
野村は今度はお調子者の体に馬乗りになり、また顔面に、執拗にこぶしを振り下ろした。
死ぬぞ!死んでしまう!
私は焦ってパニックになっていた。
仰向けになっても痙攣を続けていたお調子者の体は、ついに一切、動かなくなった。
野村はそれでも、まるで機械のように同じリズムで、お調子者の顔を殴り続けた。
私が周りを見渡すと、待っていたはずの友人は皆逃げ、誰も来ていないことに気づいた。
どうしよう、どうしよう。
私はもう訳が分からず、ただ「うわあああ!」と叫んで、野村に向かって特攻して行った。
すると突然、「やめなさい!」という怒声が響き、私は自分が言われたと思ってビクッとなって、静止した。
声の主は、教頭だった。
先に逃げて行った友人たちが呼んできたのだった。
すぐに教頭以外にも幾人かの男性教師が集まり、野村は特に抵抗もせずに取り押さえられた。
警察と救急車が呼ばれ、我々は男性教師と共に学校に戻った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
後から聞いた話では、野村は何らかの薬物に手を出していたそうだ。
お調子者は顔の骨や鼻の骨を骨折し、何本も歯を失い、右の眼球は破裂して失明してしまったそうだ。
手術を受けるという話で、学校を休んでいたが、結局、手術後も学校には戻らず、そのまま転校してしまった。
野村は、薬物には厳しいこの国で、さすがに服役したようだが、しばらくして出所した。
そして事件から4、5年ほど経ったある日、事件と同じ公園を早朝にジョギングをしていた人が、公園中央の桜の木で首を吊っている野村を見つけた。
そのジョギングをしていた人はうちの母親の知り合いだが、小男であった野村の小さな遺体は、蓑虫のようにぷらぷらと揺れていたそうだ。
子供たちに恐怖を与えた男ではあったが、小さな体が早朝の寒空の中、ぷらぷらと揺れている様はどこか淋しげで、同情を誘うものがあったとのこと。
野村の葬儀、というか、無縁仏みたいな奴の合同葬なのかよく分からないが、これには何と教頭も参列したという。
何故そんな奴の葬儀に参加したんだと、当時は批判があったそうだが、教頭のその考えも、それはそれでありなんじゃないかと、俺も今になって思っている。
怖い話投稿:ホラーテラー 山下の息子さん
作者怖話