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長編16
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ソンチョ

田舎の中でも超田舎。俺の生まれ育った村は、もうずいぶん前に市町村統合でただの一地区になり下がってしまった。

これは、まだその故郷が○○村だったときの話。俺が小学6年生の夏のことだった。

その日はソンチョというあだ名の友達2人で村の上に広がる山の探険に行った。ソンチョがなぜソンチョかというと、何を隠そう当時の村長の孫で、そのままソンチョと呼ばれていた。村長の孫だからといって別段真面目というわけでもなく、どちらかというと不良で、「立ち入り禁止」と立て札を見ると真っ先に「後で入ってみようぜ」と言うような野郎だった。俺はそんなソンチョが大好きで、いつもソンチョの後ろを追いかけていた。

「コンクリの道路は何もない。けもの道って知ってるか?クマとかタヌキとか、危険な動物が通る道のことだ。今日はその道を登ろうぜ」

使い古してかかとに穴が開いた靴が歩きづらいらしく、ソンチョは山に着くなり裸足になった。もちろん、靴下なんか履いてない。

「ソンチョ、裸足で登るんか?あぶないぞ、怪我するぞ」

「お前はいつもそうだ。お前は車も通ってないのに赤信号を守るんか。ジジイがそんなんだと危機管理能力が育たんっていってたぞ」

「ききかんり…なんて?」

「俺もよう知らん。大人の言葉じゃ」

ソンチョは大人が使う言葉をよく知っていた。村長の爺さんのそばでいろんな言葉を覚えるが、一回しか聞いたことが無い言葉を使いたがるもんだから、その意味まではわかっていなかったが。

「じゃあ、俺も裸足になる」

「それがいい。けものが作った道を通るんだからな。靴を履いてたら逆に怪我するかもしれんぞ」

ソンチョがそういうなら、そうかもしれん。俺は靴下を履いていたが、親指には穴があいていたのでそれをさらに破り腕を通して、今でいうアームウォーマーみたいな感じにした。

「どうだソンチョ、完全装備だ」

「いいな~それかっこいいな。今度俺もやってみようかな」

「おこられるけどな」

ソンチョと俺は笑いながら、コンクリ道路から脇に抜ける山道へと入った。ジジババも登る道だから、これはけもの道ではない。どんどん登ってあたり一面背の高い木しか見えなくなった頃に、ソンチョが右を指さした。

「こっちだ。こっちがけもの道だ」

「木ぃしかないぞ。それに、うるしの葉っぱが生えとるぞ。うるしは触ったらかぶれるから俺はいやじゃ」

「お前はまたか。自分で完全装備ってさっき言ってたじゃろが。俺の第六感じゃ。こっちにけもの道がある」

「第六巻?なんかの本か?」

「俺もようわからん」

「なんだそりゃ」

今思えばあの時のソンチョの「第六感」のつかい方は合っていた。鼻で笑ってごめんな、ソンチョ。

「ほれ見ろ、けものが通った跡があるだろ?けもの道じゃ」

「ホントじゃ。道があるなぁ。ジジババは通らんし、けものが作った道なんじゃろな」

「行くぞ。俺とはぐれたらお前、死ぬからな。腕の装備は役に立たん。もうお前、うるしでかぶれとるし」

「ホンマじゃ!手の甲がかぶれてやがる!」

俺は爪で手の甲にバッテン印をつけて、これであと一時間はかゆくない、とソンチョの隣を歩いた。

実はちょっと怖かった。太陽の光は森のカーテンで遮られ、まだ昼前だというのに薄暗かった。けものが通る道なら、クマと出会ったらどうしようか。そういえば母ちゃんが鈴はクマ避けになるっていってたな、ソンチョは持ってきてるか?

と、ソンチョに聞きたかったが、「またお前は。」と言われるのが目にみえてたのでやめた。それにそのけもの道は、進むにつれて不思議と人間が作った道のように歩きやすくなっていった。

「足の裏が痛くなくなったなぁ。けもの道はもうおしまいか?」

「うーん、おかしなぁ。けもの道が途中から普通の道になってんなぁ。クマさんはここらで飽きてしまったんじゃろか」

どういうわけかはわからないが、どうやら本当にけもの道は終わったらしい。その証拠に、目の前に石段が見えた。けもの道は終わったが、逆に心が躍った。こんな場所は知らない。聞いたこともない。この石段の上には何があるんだ?

「よし、競争じゃ!先に上に着いたほうが山のボスじゃ!」

「待って、ソンチョ!ずるいぞ!」

よーいどんも言わず駆けだしたソンチョに勝てるはずもなく、今日のボスはソンチョに決まった。しかし、石段を登りきった俺達はそんな些細なことはすぐに忘れることになる。

そこには小さな神社があった。正確には「神社だった建物」になるんだろうか。入口の鳥居にはツルが巻きつき、鳥居の形の植物が出来上がっていた。鳥居をくぐると左右に木造の小屋があり、正面には本殿がこじんまりとたたずんでいる。塗装が完全にはげた灰色の本殿にもツルが伸びていたが、本格的な浸食はまぬがれていた。

「神社だ!ソンチョ、こんなんこの村にあったんか?」

「俺も知らんて!たぶん、俺のジジイも知らんぞ。村長が知らんのだから、誰も知らんということになる!こういうのなんて言うか知ってるか?」

「知っとるぞ。秘密基地じゃ!」

ぱん、とハイタッチをすると、俺達は本殿の階段を上った。本殿の神様を祀ってある部屋は格子状の木で囲まれていたが、南京錠は錆びて今にも取れそうになっていた。

「おい、中に入るぞ」

「中に入るって、錠がしてあるぞ。それにここは神様の部屋じゃろ。入ったらいかんて」

「ここは俺達の秘密基地じゃ。神様なんかおらん。それにこんなもんはこうじゃ!」

ソンチョは思いっきり南京錠をひっぱった。南京錠はバキ、と簡単に取れてしまい、格子木の扉がぎぎぎと音を立てて開いた。太陽の光は部屋の中までは届いていない。目を凝らしても真っ暗で、奥に何があるのか見えなかった。

「んじゃ、入るぞ」

「むりだよソンチョ、これは怖いよ。おこられるよ」

「おこられるって誰にじゃい。この場所を知ってるのは俺達二人だけじゃ。中に入るぞ。お前は俺の後ろについてこい」

部屋の大きさは12畳ぐらいだろうか。そんなに広いとも感じなかったが、怖がっているせいでなかなか奥に進めずにいた。ソンチョも実は怖かったみたいだが、俺の手前強がって見せていたんだと思う。暗闇での裸足は危険だ。釘が落ちてたら痛いじゃ済まない。一歩進んでは立ち止り、「へぇ、こうなってるのか」「まだ目が慣れん」とか軽口をたたいていたが、一気に奥に行く勇気が無かっただけ。

「ようやく目が慣れてきたな。奥に何か見える」

「ソンチョ、あれは神様と違うんか。あの木の箱の中に神様が住んでるんだろ」

「オバケがでないなら神様だって出ないんじゃ!ほんと怖がりじゃ、お前は」

ソンチョは今度は強気に歩を進め、奥に祀ってあった木の箱の前までやってきた。今だからわかることだが、本当なら神社には鏡や矛なんかが祀られているらしい。蛇足になるがこれはヨリシロ、と言って神様が現世にいる間の仮住まいにするとか何とかで。

でも、その部屋には木の箱しかなかった。しかも床にべた置きで、とても祀ってあるようには見えなかった。

「ソンチョ、その木の箱なに?」

「わからん。でも上に穴が空いちょる。お前、手ぇ入れてみるか」

「いやじゃ。そんなんするぐらいなら帰る。…ソンチョ、それはアカンて。持ったらアカンて」

ソンチョは木の箱を持ち上げると、全力ダッシュで部屋を飛び出した。

「置いてかないで、ソンチョ!」

「お日様の下で見ないと何かわからん。お前も早く来い」

部屋を出て、あらためて木の箱を見ると、木の箱は真っ黒に染められており、上辺だけちょうど片手が入るぐらいの穴が開いていた。穴の中を覗いてみたが、箱の中も真っ黒で何も見えない。たとえお日様の下でも、この箱の中に手を入れるのははばかられた。ソンチョは箱を持ちあげ上下にぶんぶんと振ると、中でカシャカシャと音がした。

「何か入っとるな」

「もう戻そうよソンチョ。だれか来たらどうするんじゃ」

「誰も来ない!ここは秘密基地だと言ったろが!で、どうする。どっちが手ぇ入れるんか」

「俺は嫌じゃ。ソンチョが持って来たんだからソンチョが手ぇ入れろ」

「俺かて嫌じゃい。便所虫が入ってたらどうするんじゃ、ばっちぃ。どっちも嫌ならジャンケンしかなかろ」

最初はジャンケンも嫌だ、と俺が食い下がったが、こういうときのソンチョは恐ろしく頑固だから結局俺が根負けしてジャンケンすることになった。

案の定、俺が負けた。不思議なもので、絶対に負けたくないと思っている時ほどジャンケンは弱くなるものだ。

「便所虫入ってたら、俺、本気でソンチョのこと嫌いになりそう」

「もし入ってたら俺は逃げるからな。便所虫だけは苦手じゃ」

「手ぇ入れるぞ…なぁ、ホントに入れないとアカン?アカンよな、ジャンケン負けたしな。

あ、なんか入ってる。なんじゃこれ、木の板じゃ。」

箱から手を抜き出すと、かまぼこの板ぐらいの大きさの木の板だった。その板には墨で「小鳥遊」と書いてあった。「ことり遊びってなに?」とソンチョに尋ねたが、ソンチョもわからなかった。後でわかることだが、これは「ことりあそび」ではなく「たかなし」と読む。だれかの名字だ。

「ソンチョ、まだたくさん入ってるぞ。みんな同じかなぁ」

「今度は俺が取ってみる…お、次は「山口」じゃ。」

そうやって交互に一枚ずつ木の板を取り出した。前田とか三瓶とか、人の名字が書かれた木の板ばかりだった。それを地面に並べて「なんぞこれ?」と二人で頭をひねっていた。

「わかったぞ、これ檀家とかいうやつだ。この神社にお金くれる人たちをおぼえ書きしとるんじゃ。」

「へぇ、そんなんがあるんか。ソンチョはホントに物知りじゃ」

俺のジジイもお寺の檀家しとる言ってたから、とソンチョは胸を張って言った。これも後になってわかることだが、この場所が神社なら、氏子というのが妥当だったろう。

「ソンチョ、これで箱の中身はぜんぶ?」

「ちょお待って…ん、底に一枚張りついとる。なかなか取れないぞ…うぉっ!」

底に張り付いた板を思いっきり引っ張ったせいで、板がはがれた勢いでソンチョはその手を高々に振り上げた。その最後の一枚は、他の板とは様子が違っていた。その板は全体が箱と同じ真っ黒に染められており、ひらがなで文字が彫られていた。

「えーっと…お、ま、つ、り?」

真っ黒な木の板には「おまつり」と彫られていた。

「ソンチョ、これも檀家とかいうやつか?」

「ようわからん」

その時は別段怖いとも思わなかった。たいして面白いものも見つからなかった残念が大きく、秘密基地を見つけた時の高揚が少し萎えてしまった。

「便所虫は入っとらんかったな」

「つまらんなぁ。でもダイジョーブじゃ!まだ小屋は二つある!」

そう言って、ソンチョはまた俺を連れて残る二つの小屋の探索に向かった。しかし、残る小屋は本殿よりもつまらなかった。錠もかけられてないし、小屋の中にも何も無く。

気付けば、夕刻が近づき、あと一時間もすれば空が赤く染まるぐらいの時刻。もちろん時計なんてないから野生児の感覚だったが。俺達は本殿に上る石段に座って、神社の敷地全体を眺めていた。

「けっきょく檀家の板だけだったなぁ」

「でも秘密基地を見つけたんじゃ。ここは何かに使えるぞ。そうだ、デンツキなんかどうじゃ?隠れる場所はいっぱいあるぞ」

「でも二人だけじゃデンツキはできん。誰かにこの場所教えんと」

「それはなんか嫌だなぁ。ここは俺とお前の秘密基地じゃ」

ソンチョにそう言ってもらえた時は本当に嬉しかったな。この頃は俺はソンチョの手下みたいな感じだと自分で思っていたのだが、ソンチョ自身は対等なダチンコとして見てくれていたのだ。

「そういえば、昼飯食ってなかったなぁ…ソンチョ、木イチゴ見つけんかったか?」

「木イチゴは見つけとらん。ヘビイチゴはあったけどな。あれは酸っぱくて食えん」

「腹減ったなぁ…そろそろ帰る?もうちょっと見てまわる?」

「そだなぁ。…なぁ。お前に頼みがあるんじゃ。お前にしか頼めん」

「なに?」

「あのな、俺も腹減っとるんよ。お前のな、手ぇ、食わせてくれん?」

「手ぇ?じゃあ、かぶれてない方の手ぇ食わしちゃるよ。ソンチョだから、食わせちゃるんだからな。他のヤツだったら食わせんぞ」

「ごめんな、ごめんな…俺、食うたことないから。痛かったら、ごめんな。」

「いいって。ダチンコじゃろ、俺達。ソンチョ、おまつりなんじゃから、もっと偉そうにしていいんよ」

最初に正気に戻ったのは俺だった。右手に激痛を感じてハッと我にかえると、ソンチョが俺の右手に噛みついて、噛み切ろうと頭を激しく揺らしていた。

「アカン!アカンって!ソンチョ、やめてくれ!血ぃ、血ぃ出とるよ!」

記憶が途切れているとか、そんなことはない。はっきりと「手を食わせてくれ」と言われ、俺はさっきまで確かに「ソンチョになら食わせてやるよ」と、本気でそう思っていた。

ソンチョをばーんと突き飛ばすと、ソンチョは石段から転げ落ちて地面に額をぶつけた。ソンチョはおでこをさすりながら石段の上の俺を見上げた。

「なんでじゃ。手ぇぐらいええじゃろ!俺はおまつりだぞ!手ぇぐらいええじゃろ!」

気付けば、ソンチョは涙を流していた。その涙が額を打った痛みからなのか、俺の手を食えないことからなのかはその時はわからなかった。

本当は、そのどっちでもなかったのだが。

「うぅ、痛い。ソンチョ、アカンって。もとに戻ってくれ、ソンチョ、もとに戻ってくれ」

臆病者の俺だったが、その時は怖いという感情を抱かなかった。それよりもソンチョをもとに戻さないと、という使命感でいっぱいだった。自分自身もさっきまで狂っていたからだろうか、額からは自らの血を流し、口の周りを俺の血で染めたソンチョを見ても、怖くはなかった。

「ソンチョ!!!」

いつの間にか俺も涙を流していたが、最後の一声でソンチョも正気を取り戻してくれた。

「おれ、お前の手ぇ食おうとしたんか」

「もとに戻ったんか。あれはソンチョじゃないよ、ソンチョもわかっちょるじゃろ」

「うん、あれは俺じゃない。けど、けどごめんな。おれ、お前を食おうとした」

「ええて、ソンチョ。それより、手ぇ、痛い」

「お前手ぇからむちゃくちゃ血でとるぞ!腕に巻いてる靴下で血止めれよ!」

「そんなん言ったらソンチョだって、おでこから血ぃ出てるよ」

「ホントじゃ!出とる!」

二人とも正気に戻ると、今度は怪我の痛みを激しく感じるようになった。俺は出発する時に腕に通した靴下で右手をぐるぐる巻いて、ソンチョは自分のシャツで額の血をぬぐった。

ここは、危ない。漠然と、でも確信的にここは危ないと。二人ともそう感じて、逃げるように鳥居をくぐって、もと来たけもの道に戻った。けもの道まで戻ると、あらためて「怖い」という感情がその場を支配した。

「なぁ、何なん?あの神社。俺、こわいよ。ソンチョがソンチョじゃなかった」

「それ言うたらお前だってお前じゃなかったじゃろ。はよう帰ろうや。怖くてたまらんぞ」

「なぁ、ソンチョ、おまつりって何なん?」

「知らんて。縁日か何かと違うんか。」

「自分で「俺はおまつりだ」言ってたじゃろ」

「だからあれは俺と違うって」

どちらともなく、走っていた。怖かった。

あの神社で自分たちに起こったことがなんだったのかがわからない。得体の知れない恐怖。

ついに山の入り口、コンクリ道路に帰って来た。途中、脱ぎ捨てたソンチョと俺の靴があったから、間違いなく帰って来たのだ。

「あぁ、よかった。俺、もう帰ってこれんと思った」

「アホ言うな。俺がついとるんじゃ、迷うわけないじゃろ。それより、お前その手ぇちゃんと消毒しろよ」

「ソンチョも、おでこ消毒せんとアカンぞ。」

「わかっとるよ。あと、ジジイにあの神社のこと聞いてみる。今日あったこと、全部は話さんよ。きっと信じてもらえんから。」

「うん、秘密基地にはできないな」

「そんなもん、怖くてできるか。俺は二度と行かんぞ」

ちょうど、俺の家とソンチョの家との道が分かれる電柱の下で。

「そんじゃな、また明日お前んちに行くからな」

「うん、待ってるから、来てよ。なぁ、ばいばいする前に聞いとくけど、お前、ソンチョだよな」

「アホ言うな。まだ怖がってるんか。俺はソンチョじゃ。お前の手ぇなんか食いたくないわい」

その言葉に安心して、俺達はバイバイした。家につくと、母親は手の怪我にかなり驚いていたが「子供は加減を知らんのや」と言って赤チンをつけてくれた。それよか、かぶれた左手の方を怒っていた。「うるしはかぶれるってゆうたじゃろが」と。

母親と、仕事から帰って来た親父に神社のことを聞いたけど、「山の中の神社?知らんなぁ。聞いたことないぞ。だれかおったんか。今度俺も連れていき」という感じで、何も情報は得られなかった。

きっと明日になったらソンチョが何か調べてくるに違いないじゃろ、と。風呂に入りながら、そんな風に考えていた。

しかし。今回に限っては、家に着いたら遠足は終わり、ではなかった。

翌朝10時ごろ。俺の家に来たのはソンチョではなく、ソンチョの母親だった。

「○○君、△△(←ソンチョの本名)はな、いま病院におるんよ。昨日の夜にあの子、てんかん起こしてな。ちょっと怪我して、入院しとるんよ。あの子、頭打って帰ってきたからそれでかなぁて思ったんだけど、違うみたいなんよ。意識はっきりしとるし、変なことは何も言うてないし。今朝になって、○○君を呼んでくれってずっと言うもんだから」

それで、俺を呼びに来たんだと。脳裏によぎったのは、やっぱりまだソンチョに戻ってなかったのではないか、ということだった。俺はソンチョの母親の車に乗せられて、ソンチョのいる病院まで向かった。

もし、ソンチョじゃなかったらどうしよう。また俺の手を食わせてくれと言われたらどうしよう。

病室に入ると、頭に包帯を巻いたソンチョがベッドに横になっていた。胸元にも白く映える包帯が見えた。

最初に声をかけてきたのは、ソンチョのほうだった。

「よぉ」

「ソンチョ…」

俺はどう答えていいのかわからなかった。もしかしたらソンチョじゃないかもしれない。ソンチョの痛々しい姿を直視できなかった。

「かあちゃん、俺こいつと二人で話したいから、どっか行ってくれ」

「親に向かってどっか行けとはなんじゃろお前は。じゃあジュース買ってきちゃるから。○○君、△△のこと見といてね」

そうして病室にはソンチョと俺の二人になった。正直に言おう。俺はこの時怖かった。

「おまえ…ソンチョか?それとも、昨日の神社のやつか?」

「なぁ…手ぇ、食わせてくれんか…」

「お前、やっぱり!!」

「ウソじゃウソ!お前はすぐ…面白いなぁ。俺じゃ。ソンチョじゃい。それより、お前は昨日は何もなかったんか」

「何かあったらここに来とらんぞ。ホントにホントのソンチョか?俺の手ぇ、食いたくないか?」

「食いたくないわいお前の手ぇなんぞ、ばっちぃ。まだ便所虫の方がきれいじゃ」

「ソンチョ…ソンチョだな?間違いないな?昨日何があったんじゃ?」

「あのな。お前に話していいのか、ちょっとわからん。お前は臆病者だから、もしかしたら俺のこと嫌いになるかもしれんぞ」

じゃあなんで俺を呼んだんだと尋ねると、話していいかわからんから呼んだんだ、と。でもそのやり取りで、目の前にいるコイツは間違いなくソンチョだとわかった。

「いい。ソンチョのこと嫌いになんてならん。俺達、ダチンコじゃろ」

「なら、話す」

そしてソンチョは昨日の夜、俺と別れてから起こったことを話し始めた。

「あのな。あの後、まっすぐ家に帰った。家に帰って、かあちゃんにしこたま怒られた。ほら、おでこから血ぃ流してただろ?それでじゃ。まぁそんなことはどうでもいい。

みんなでごはんを食ってる時じゃ。俺なぁ、急に神社にいたときの感じになってきたんよ。だから、そんときは俺じゃないんよ。だけど、動いたり感じたり考えたりしてるのは俺なんよなぁ。あの感じ、不思議なんだけどなぁ。

俺な、自分の心臓がどうしても食べたくなってな。食ったこともないのに、美味しい美味しい心臓がどうしても食べたい、って気持ちになってなぁ。台所に包丁取り行って、自分で自分の胸を切ったんじゃ。でも切った痛みで正気に戻ったんじゃ。

たぶん、かあちゃんは俺がてんかん起こしたとか言ってたじゃろ?たぶん周りから見ればそう見えたんだろなぁ」

俺はぽかんと口を開けて聞いていた。ソンチョが自分で自分の心臓を食おうとしただなんて。胸の白い包帯はそのためか。

「それホントか?また俺を怖がらせるためのウソじゃないだろな」

「ホントじゃ。だから、お前も気ぃつけろ。たぶん、神社のときのアレ、まだ全部抜けとらんぞ。あと、ジジイに神社のこと聞いたけど、やっぱり何も知らんかった。ウソついてるふうでもなかったから、ホントに知らんみたいだ」

「村長が知らんのだったら、誰も知らんのと違うんか」

「そうなるかもな」

そこでソンチョの母親が帰って来た。その手にはオレンジジュースが2本。俺とソンチョと、仲良く飲んだ。ソンチョの母親の前では神社の話はできなかったから、ジュースを飲み終えると俺は「帰るよ」と、席を立った。その別れ際のことだ。病室を出ようと背を向けた俺に、ソンチョが話しかけてきた。

「なぁ」

「なんじゃ?」

「俺な…俺達な…ダチンコだよな」

「あたりまえじゃ。俺の手ぇ食わせたろか」

ソンチョらしからぬ弱気な言葉に、俺は軽口で答えた。ソンチョは「そんなマズそうなもん食えるか」、と。最後はソンチョらしかった。

家まで送ってもらう車の中で、そういえば神社の檀家の板をもとに戻してなかったな、と思いだしたが、もう二度とあの神社には行く気がしなくて。忘れることにした。

実はこの後ほどなくして、あの神社がなんなのか、「おまつり」ってなんだったのかわかるんだけど。それはまた別の話で。

ちなみに今、俺とソンチョは、同じ学校で先生をやってる。勤めるなら故郷の村がよかったけど、もう村には学校がないから。過疎ってやつだ。

学校じゃ本名で呼ぶけど、二人で飲むときは今でもソンチョって呼んでる。もちろんこれからも、ソンチョと俺はダチンコだ。

怖い話投稿:ホラーテラー とくめいさん  

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