私が大学生だった頃の話です。とある雨の日、大学から帰ると住んでいるアパートの前に黒い小さなゴミみたいなものが落ちていました。
「なに、これ?」
よく見てみると、ゴミがモゾモゾと動いているではありませんか。
指で抓まもうと蹲ってみると、ゴミだと思っていたそれは小さな小さな黒猫でした。
みぃ、みぃ、と微かな声で懸命に鳴く姿に負けてしまい、拾うことにしました。
アパートはペット禁止でしたが、そのまま見捨てることは出来ませんでした。軽い気持ちで飼うつもりはなかったので、大家さんにばれたなら一緒に引っ越そうと密かに決意していました。
子猫は本当に小さくて、掌の中におさまってしまう程でした。とても弱っていましたが、獣医さんに診てもらい、点滴と看病を続けると体力もついていきました。
子猫の名前はキアラにしました。私ではなく、後輩が勝手につけたのですが、いつの間にか馴染んでしまって。
キアラはとても賢い猫でした。トイレの場所もすぐに覚え、散歩に出かけても隣を離れないというように。あまり鳴き声を出すこともなく、ノドをよくゴロゴロと鳴らしていました。
一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見て、一緒に寝て。
二人暮らしといった具合で、とても楽しかったです。
そして、キアラを飼い始めて一年になる頃に、その異変は起こり始めました。
きっかけは上の階で起きた殺人事件でした。
若い女の人が住んでいたのですが、恋人と口論になって刺されてしまい、亡くなったそうです。
私はその時、キアラを連れて研究室の調査旅行に行っていたので事件のことは帰ってきてから聞きました。
正直、かなり嫌な気持ちでした。天井の向こう側で誰かが死んでいただなんて、被害者の女性も不憫ですが、住んでいる人間からしてみれば気味が悪いというのが本音です。
その日の夜、いつものようにキアラと一緒にベットで眠りにつきました。
夜中の三時くらいに唐突に目が覚めました。
どうして起きたのだろう、そう思いながら顔をほんの少し上げた瞬間でした。
思わず、息を呑みました。叫ぶことも出来ませんでした。
天井から、血まみれの女の人が生えていました。長い黒髪が鼻先にあり、ゆっくりと女の人が降りてくるのがわかりましたが、全身が痺れて動けませんでした。
女の顔には眼球がなく、落ち窪んだ眼窩からどろっとした血が溢れていました。
あああああ、とひび割れた声が近づいてくる。私は恐怖に押し潰されそうになりながら、キアラだけは生き延びて欲しいと本気で願いました。せめてキアラだけは助けて下さいと願いました。
その時でした。
足の指に激痛が走り、金縛りが解けました。痛みに思わず叫んだ程です。
反射的に身体を起こした私の横をすり抜けるようにして、キアラが女に襲いかかりました。
私にはもう女の姿は視てなくなっていたのですが、キアラはフーッと凄まじい唸り声をあげながら何かと戦っていました。
やがて、ぶちぶちっという音と一緒に女の気配が消え去りました。
助かった、そう思うと腰が抜けそうでした。
そんな私の所に戻ってきたキアラはどこか誇らしげで、褒めてもいいよ、と言わんばかりに頭を擦りつけてきました。
それ以来、金縛りに遭うこともなくなりました。
猫の恩返しというのは本当にあるのだな、と実感した一件でした。
怖い話投稿:ホラーテラー なんなしさん
作者怖話