雲の上の天空郵便局で、局員である私は右手の指が一本少ない少女から手紙を受け取った。
下界に住む彼女の両親へ配達するのだ。
「ハートのシールを貼ったの」
「結構な選択だ」
「ピンクのびんせんにしたのよ」
「その判断を支持する」
「指が少ないから書くのがたいへん」
「努力に敬意を表する」
私は天空自転車を駆り、下界へ向かった。
彼女が生前暮らした家では今も両親が住んでいる。
まだ死別してから二週間程だ。
朝のポストに手紙を入れると、丁度母親が郵便を確認しに出てきた。
人間には私も天空自転車も、手紙さえも視認は出来ない。
だから手紙の色や形に凝った処で遺族達には見えもしない。
しかし、手紙に込めた想いが強いほど、ポストを開けた時に遺族にそれが伝わる。
辛い記憶を押し退け、優しい思い出が舞う。
それなりに意義の有る職務だと、自分では思っている。
母親がポストを開け、沈みきっていた表情が幾分和らぐのを見届けてから、私は次の配達のため自転車に跨った。
その時下界の警察官が二名、母親に頭を下げながら家に接近してきた。
「奥さん、どうも」
「主人はもう出かけてまして」
「いえ、御報告出来ることは何も無いんですよ。
申し訳ない。
しかし、お嬢さんを手に掛けた犯人は必ず捕まえます」
少女は殺害されて鬼籍に入った。
警察官達は、今日は調査に必要な情報の再獲得と種種の確認を行うべく、この家を訪れた様だ。
その様子を、少し離れた物陰から窺っている男がいた。
私は天空記録簿から、この男が少女を殺害した犯人だということを知っていた。
勿論男を下界の警察に突き出す様なことは出来ない。
私はただの郵便局員で、下界への度を越えた干渉は労働規約違反だ。
私は記録簿に載った、少女の忌際の瞬間の記述を、知らず思い返していた。
◇◇◇
その日少女は高熱を出して、伏せっていた。
父親は出張中で、来週まで帰って来ない。
深夜、少女の部屋に男が侵入した。
男は酷く酔っていた。
少女の怯えおののく様を楽しみにしていたが、熱で朦朧とした彼女からは
期待した様な激しい反応は帰って来ない。
つまらない男は千鳥足で一度部屋を後にし、ニッパーを持って戻ってきた。
「なにをするの…?」
そして少女の右手の人指し指を切断した。
少女は絶叫し、泣きながらのたうちまわる。
それを見て男の酔いが醒めた。
酒の勢いに任せて自分が何をしたかを悟り青ざめる。
「おかあさん!いたい!」
「黙れ!」
少女の口を塞いでも悲鳴は洩れる。
いつしか男は少女の首を絞めていた。
◇◇◇
今、男は物陰でほくそえんでいた。
証拠は残っていない。
幸運なことに逃亡を目撃した者も居ない。
少女の悲哀などもう彼の頭には無い。
ただただ、自分はうまくやったという安堵だけだ。
私は男のポケットからそっと財布を抜き取り、再度天空自転車に跨った。
まだ警官が玄関に立っている少女の生家に戻ると、二階の彼女の部屋に窓から入り、
財布を床に置いてから物音を立てた。
『おや、なにか二階で音がしたな。
奥さん、我々が見てきますからここに居て下さい』
警官の足音が階段を上ってきた。
彼等があの男の財布を発見したのを見届けて、私は窓からおいとました。
夕刻、私は帰りのルートの途上、少女の家のポストを再び訪れた。
中には、少女が出した手紙の封筒が有る。
しかし、中身が変わっているはずだ。
天空郵便局から届いた見えない手紙は、宛先へ届いた後便箋が消え去り、代わりに届先の人間からの、
差出人への無意識の想いが返信メッセージとして封筒の中に現れる。
返信が封筒の中に有るのを確認して、私は手紙を回収した。
これを今度は差出人の少女へ届けて仕事は終わる。
自転車を雲の上へ向けて漕ぎ出す。
丁度帰局する同僚が声をかけてきた。
「見てたぞ。違反行為じゃないのか、あれは」
「少々規則から逸脱する位が、公務員として丁度良い塩配だと認識している」
同僚が唇の端で笑った。
プライバシ保護の観点から、返信の内容を見るわけにはいかない。
だからあの母親が少女の死についてどう感じているかは解らない。
少女を殺害したのが、父親の留守に母親と遊んでいた間男であることも、
殺害の証拠隠滅に母親が尽力していたことも、少女本人は知らない。
勿論教える気も無い。
さて、どうしたものか。
内容だけでも先に見てしまおうか。
いっそ破棄してしまおうか。
いやいや。
悩みながら私はペダルを踏み続ける。
こんなにも悩ましいということは、やはりそれなりに意義の有る職務なのだと、自分では思っている。
終
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話