初めての投稿で駄文をお許し下さい
それとこれは怖いというかまあ本当にあった不思議な話しです
私の母は幼い頃父の(私からすればじいちゃん)浮気でできた子供です
昔ならよくある話しだそうですが浮気するくらいのイケイケです
家族構成が
父[じいちゃん]
母[ばあちゃん母をいじめた人]長男[母と血が半分繋がった]
次男[上に同じ]
長女[私の母]
次女[母と血が半分繋がった妹]
その為、母はひどいくらい義理母に虐められたそうです
その為早くそんな家を出ていきたく
私を20で妊娠して家を出ていき結局24には離婚、その時に唯一味方だった父からも母は見放されたと言っていました。
そのせいか
決まって正月とお盆はじいちゃんの家に、私だけが泊まりに行ってました。
私が初孫て事もありじいちゃんにはすごく可愛がられました。
欲しいものはじいちゃんの家に行けばなんでも買ってもらえる!みたいな感じで
親戚はじいちゃんの家にたくさん集まり皆で夜中まで酒を飲んで私達は子供部屋で好きなことして遊び、じいちゃんが寝る頃になると私は呼ばれ、従兄弟もたくさんいるのですが
必ずじいちゃんと2人で寝るのは自分と決まってました
小学高学年に入る頃それまで母の話しをしなかったじいちゃんが
たかぼお(俺の名前)お母さんば次のお盆に連れてこんかと言われ初めは頭の中が???
でじいちゃんが母の話しをするのは初めてだったのですごくビックリしたのを覚えてます
わかった
私[お母さんに言うとくね]
じいちゃん[最後に顔ば見とかんばけんな次の正月に帰ってきたら2人で酒どん飲みに行こうて母ちゃんに言うとかんか]
私[最後てなん?またいつでもお母さん呼べばよかやん]
と私が言った頃にはじいちゃんは寝てました
お盆も終わり私は母と2人の生活に戻りました
私の母は女手1つで私を育てた為ほとんど夜ご飯を一緒に食べる暇はなどなく私が寝た頃に母は帰ってくる
そんな生活でした
ある日休みになった母は
母[たかちゃん今日お母さん仕事休みけん焼き肉しようか]
みたいなことを言われて母と久しぶりに一緒にいれることを小学生ながらすごく喜んでいたのを今でも覚えています
母と焼き肉をしていると
今学校でなんの勉強しているか友達とどんな遊びをしているかなどいつも話せない分いろいろ話して
母はニコニコ笑いうんうんと聞いていました
私[そいえばじいちゃんのお母さんば次の正月連れてこいて言いよったよ]
母[今さらね?やっぱ子供の中でもお母さんが一番好いとんさっとやろね]と母は笑いながら言う
私[違うやろなんか会うの最後やけん2人で飲みに行こうとかいいよったよ]
母[最後てなんやろね]と言って笑ってましたその時に母は一瞬暗い顔をしたのを今でも覚えています。
それから3日後に母がまた休みもらったけん今日も焼き肉するねと言われ
うんとはしゃいでたのをよく覚えています
私は焼き肉は大好物ですが
その時は焼き肉だから嬉しいとかじゃなく、幼い私はいつも仕事で夜いない母と一緒にいれる時間が私にとってはすごく嬉しかったんだと思います
でもその日はなんか違いました
母といろいろ話してると電気が消えたり机の上のコップが真っ二つに割れたりすごく怖かったのを覚えてます
母も停電をやたら繰り返したり
コップが割れたりするもんで不思議そうにしてました
まだ小学生五年生の私はすごく恐くなって母と一緒の布団に最初から寝たのか途中で母のいる部屋に行って勝手に布団に入って寝たのか覚えてないのですが
夜中目が覚めた時母が横に寝ていたのを覚えています
その時玄関のドアがガラガラと開いた音を聞いて母もその日酒を飲んでいたので戸締まりを忘れたのか?泥棒が入ったと思い母を起こすことも忘れ布団の中に潜って身を潜めようと思いました
足音が聞こえ1つまた1つ部屋のドアが開いていきついに寝てる部屋にまで入ってきました布団からそおーっと覗くと間違いなくそこには足がありすごく怖くて目を瞑っていたのを覚えています
その足は母の横に歩いていき母を揺さぶりだしました
[おいちょいおきらんね親父の倒れたけん病院いくばい]
ん?
この声はどっかで
[おきんしゃい親父の危篤けんたかも連れて病院行くよ]
そう言われ私も布団から出て声の主を見ると母の義理の兄でした
母は酒も入ったせいかあまり状況が飲み込めていないのかボーッとしたまま私を見ていました
もちろん小学5年の私にも危篤だとかなんだとか言われても全く理解できずとにかく病院に行きました
そこで変わり果てたじいちゃんの姿を見て母と私は声を出し泣きました
母は[正月に2人で飲みに行く約束したやんね
まだお父さんと話したりんこといっぱいあるよ目開けてよ]
それを見て親戚中が泣いてました
医者によると脳の大きな血管がきれとるけんもって後3日と言われとりあえず寝間着で来た私達は1度家に帰り着替えに行き
母は親不孝してきたけん父の死に目にだけはあいたいとそれからずっと病院につきっきりでいました
3日も経っても目はあきませんがじいちゃんはずっと生きていました
もし目を開けることがあればそれは奇跡だと医者は言っていると母はいってました
じいちゃんが倒れて1週間経ってもじいちゃんは目は開かないものの人工呼吸機で生きていました
日曜の夕方他の親戚たちは皆ご飯を食堂に食べに行き病室には母と私だけになり私はテレビをつけて見ていました
母はずっとじいちゃんの手を握り話しかけてました
[お父さん親不孝してゴメンね倒れた日電気消したり机の上のコップ割ったのお父さんやった?などと話してる時じいちゃんの目からは涙がでてました母がもうすぐ兄と交代の時間やけん私帰るよ明日またくるけん頑張ってね]
と言った時先生や看護婦さん達が走って病室に入ってきました
時分御臨終です
母は涙を流しながら
[じいちゃんよく頑張ったね兄ちゃん達には死に目は見せたくないて前から言うてたもんね私みたいな親不孝に死に目に合わせてくれてありがとうと泣き崩れました]
遺体はじいちゃんの家に運ばれお通夜葬式が行われました。
それから初七日四十九日などがある度に決まって
じいちゃんの家にはトイレが洋式和式と男用のトイレがあるのですが
じいちゃんが使う洋式だけ1日中水が流れっぱなしになります
今でもじいちゃんの命日の日親戚中集まって夜中日付けが変わるまでじいちゃんが使っていた洋式のトイレの水が流れつづけます。
幽霊を信じなかった自分ですがこのような不思議な体験にあうとあながち存在を否定できないのかもしれません…
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話