これは俺が体験した話。
居酒屋っていうのは夜の住人が集まるところだ。変な奴が見たいなら夜に街へ行けばいい。
きなくさい話もお涙頂戴の話もそれこそ赤ん坊が一日に生まれる数位一晩で起きているんだと思う。
何が起きたって不思議じゃない。
でも、俺はできれば変な奴には会いたくはない。
【彼女の話】
俺は居酒屋の社員になっていろんな場所へ移動させられた。そこで色んな奴にあったけど一、二を争う位強烈だったのが、先輩だ。酒焼けと怒鳴りすぎたせいでガラガラの声をした先輩は滅茶苦茶だった。チンピラみたいな奴がいちゃもんを吹っかけて乱闘騒ぎになるかと思った時に先輩がいきなりその場でエプロンを脱いだ。「俺はもう仕事終わったんで、店とは関係ないから外でやりましょうや」とか言ってそいつらをフルボッコにした光景を見てからは頭が上がらない。調子に乗ったら何をされるか解らない。噂じゃ昔は悪さをしていたというが、居酒屋で働いている奴なんか大抵脛に傷を持っている。で、その先輩がいる店に配属になって一ヶ月位の事だ。
あるお客がやってきた。きっかけは俺がドリンク券を持って呼び込みをしていた時に女に声をかけたからだ。
25歳位の女。一人で居酒屋に入るからちょっと変わってるなーと思ったけどそんなに気にしなかった。顔も悪くないし、天然入ってるのかなって、感じの女。カウンターでカシスオレンジと鳥なんこつがお気に入りだった。で、その子、仮にリカって名前にする。
リカは週一で通う常連になった。店が忙しければ大人しく飲むし、店が暇だと店員と喋る。性格もいいし行儀もいい、実にいいお客だった。そういった事が3ヶ月位続いたある日、リカは俺の事を呼んだ。そして照れくさそうに電話番号とメルアドを書いた紙ナプキンを俺に差し出した。不肖俺、もてた事がない。だから当然有頂天になった。
それを営業後の飲み会で先輩に自慢した訳だ。すると先輩は驚いた顔をして俺に言った。
「お前、ああいう奴が好みなんか」
「いやあ、好みっていうか。でも不思議ちゃんって感じでいいですよねえ」
「不思議、なあ。まあ不思議だけどよ。変わった趣味してるぜ、お前」
俺ならもっと普通の子がいい。
そう言って得意の猥談を話し出したからその話はそこで終わった。
帰宅してから俺はいそいそとリカにメールを送った。するとすぐにメールが返ってくる。
(お仕事お疲れ様vメール待ってたよ^^)
(寝てなかったの?)
(ドキドキして眠れなかった><)
んまあ、おかわいらしいじゃないですか。
愛情に飢えていた俺は即座に結婚まで考えた。
こいつとなら幸せな家庭が築けるかもしれない。
なんて思っていたのでつくづくお馬鹿だ。
先輩ならこんなノリはついていけないだろうなあ、と思ったから先輩の前ではリカの事を話さなかった。
相変わらずリカは週一で店にやってくる。変わったのは洋服の趣味と俺と話す頻度。
前はパステルな色(というのか?)のワンピースが多かったのに、なんだか胸だとか足が見える服を着だしてた。俺は完全にリカに夢中だったが、仕事がお互い昼と夜なのであまりデートは出来ず、リカが店に来て喋ることがデートみたいなもんだった。たまに早上がりしてそのままホテルっていうのも月に一度か、二度。
先輩は変な顔をしながら、何も言わなかった。
で、ある日、フライヤーが壊れた。フライヤーというのは揚げ物を上げる機械みたいなやつで、ベルトコンベアーみたいな物がついてる。そいつがうんともすんとも言わなくて、中華鍋に油を入れて揚げ物を揚げることにした。だけどやっぱり中華なべだから揚げ物に揚げカスがついちゃったりする。まあしょうがねーか、と言う感じでその日の営業は乗り切ろうということになる。その日に丁度リカが来た。
彼女はいつもなんこつの唐揚げを頼む。その日もそうだ。少し黒い揚げカスがついたなんこつ揚げ、大して気にもせず出した。
すると、リカの顔が変わった。
なんというか、辺りを気にするようにキョロキョロと見渡しだしたのだ。
「ねえ、あなたはそうじゃないわよね」
「え、なにがだよ」
「秘密結社」
ナンデスト?俺が唖然としていると、声を潜めて言うのだ。
「私ね、盗聴されてるの。尾行もされてる。それだけじゃないわ、いつも私の家の窓の外から見てるのよ。そしてね、いつも蜥蜴の模様を残しているのよ。遂にここまで来たんだわ。ほら…」
そう言って指差したのは、唐揚げについた、黒い揚げカスだった。
「ね、蜥蜴でしょう」
全然見えなかった。
彼女は優しく笑う。俺はぞっ、とした。
こいつはやばい。
ちょっとおかしい。そう思う俺に構わずリカは俺の手を取る。
「とうとうこの日が来たのね。ねえ、●●(俺の名前)、私の部屋にこのまま行きましょう。逃げなきゃいけないわ、蜥蜴が」
蜥蜴が追っかけてくる。
「いや、まだ行けないよ。だって仕事中だから」
「直にやってくるの、この前なんか部屋に蜥蜴が入ってきてね。だから私踏み潰してやったのよ。それで、それで、壁に針で」
そう言う彼女の目はいつもの目じゃなかった。なんというか、うっとり?違う、なにも見ていないような目だ。
気味が悪い、気味が悪い、俺はこんな女と付き合っていたのか。
凄い力で俺の腕を握って店から出そうとする。やめてくれ、俺が抵抗するのを他の客がびっくりして見ていた。見ているなら助けてくれよと思ったが、誰も手を出さない。マジで、やばい。
「お客様、困ります」
そう思った時に、俺の肩に誰かが手を置いた。振り返ると先輩だった。にこ、といかつい顔で笑って、リカを見ていた。
「申し訳ございませんが他のお客様がいらっしゃいますので少しお外に出ていただけますか」
「この人は私の彼なのよ!」
「うちの店員でもありますんでね。さ、どうぞどうぞ」
そう言って、ゴリラ並の握力で俺の肩をぎゅっ、と握った。
…問答無用という事らしい。
「いい加減にしろよ、お前」
店の裏手に来た途端ドスのきいた声が俺の肩越しに聞こえた(先輩は小さいのだ)。
リカは怯む。それでも手を離さない。
「なんでそんな事言われなきゃならないの、さあ●●、行くの、行くの、行くの」
やめてくれ、俺はもう悲鳴を上げていた。行ったら、何をされるか解らない。先輩の手のぬくもりだけが俺の命綱だった。先輩はしょうがねえ、と呟いて、
俺の体から手を離した。
体が一瞬浮いたような感覚で、よろけるとリカも同じように足をもつれさせて倒れた。
先輩見捨てないでくれ、と俺は願ったが、先輩は無情にも俺を無視して通り過ぎ、リカが倒れている所へしゃがみこんだ。
そして、耳元で何かを囁いた。
リカの目が見開いて先輩を見る。
先輩は頷いて後ろを指差した。
俺も思わず見たが、ゴミ箱や乱雑に捨てたダンボール位しかなくって、何も見えない。しかしリカは確かに見えたのだ。
何かが。
喉から漏れ出したような悲鳴を上げて逃げた。
いやあ、来ないで、来ないで。
そんな事を言っていたと思う。
俺はちょっと腰が抜けていたが先輩は容赦なく俺を軽く蹴った。バカヤロウ、と言った。
だから言ったじゃねえか。俺ならもっと普通の子がいいって。
「あいつが来たぞ」
先輩が囁いたのは、そういう言葉だった。
先輩は変な物が見える。
で、最初から見えていたのだ。
いつもリカの後ろに大きな黒い物がいることを。
蜥蜴というよりは大人の男が這いつくばっているような大きな物だったらしい。影のように床に這いつくばって、ごそ、ごそ、と動く。体は真っ黒、なにも見えない。
「もしかしたら、だけどな。妙な遊びをやっていたのかもしれんぜ。あの女」
「妙な遊び?」
「コドク」
「孤独?一人遊びですか」
「馬鹿、蟲の毒っつうんだ。俺もよくは知らねえが、犬とかな、蟲とかを犠牲にして術をかけるんだ。…あの女の体よ、」
蜥蜴がびっしり体の中から透けていたんだよな。血管みたいに。足から、頭までうじゃうじゃ。
だから彼女は蜥蜴を使って誰かに術をかけた。
黒い奴はその術をかけられて死んだ男かもしれない。
そして、彼女の体には殺された蜥蜴が。
「秘密結社だとかはあの女の妄想だと思うけどな」
かなりヘビーな女だよ。
俺なら絶対に触らねえ。
「きもちわりい」
そう言って先輩はかっかっか、と笑った。
俺は、先輩に感謝したと共に、もっと早く言ってくれればこんな事にはならなかったんじゃないかというもやもやした思いで一杯だった。
それから彼女は何度か来たが、居酒屋必殺「出入り禁止」の術で店には入れなくなったし、俺はその一件があってまたも店舗移動になってしまった(左遷とかいうなよ)。先輩とは俺が辞めた今でも付き合いは続いている。
俺は電話を解約して新しく買い換えた。
あの夜、メールや電話が何回も来ていて、俺もやばいから早く自分のうちに来いということとか、家の様子が写メで送られてきた。
そこには、
壁一面に干物みたいなトカゲが貼り付けられていた。
他の奴らには内緒だが、俺はちょっと吐いた。
何かあるかもしれないと思ったがそれ以降はなにもない。
お陰で俺は、お客とは付き合わないポリシーが出来た。
お手軽に恋愛しようと思うなんて、いかんね。
おわり
怖い話投稿:ホラーテラー 鉄砲さん
作者怖話