大学の先輩からバイトを持ちかけられた。
その先輩は大学でも問題児として名が知られていて、講義にもろくに出席せず、女漁りの為に在籍しているような学生とは名ばかりの人物だった。
「四時間で三万貰えるちょろい仕事だ。どうだ。手伝う気はねぇか」
普段なら断っていただろうが、バイト先が閉店してしまって食べる金にも困っていた私はすぐに先輩の話に食いついた。
しかし、四時間で三万円というのは明らかにおかしな話だ。まともな仕事だとは思えない。流石に犯罪ではないだろうが、万が一ということもある。私は慎重に仕事をしようと決めた。
当日、日が暮れた頃に先輩が私を迎えにやってきた。
先輩は愛車のスポーツカーではなく、借りて来たらしい軽トラックに乗ってやってきた。荷台にはなにも載っていない。
「先輩。どんな仕事をするんですか」
「別に大したことじゃねぇよ。やることはいつも違うんだが、前回はどこぞの骨董店に着物を売り払いに行っただけだったな。まぁ、金持ちの道楽につき合ってパシリをやっているだけだよ」
「それにしては随分、高額なんですね」
「口封じも含めてるんだろうよ。口外するな、と厳しく言われてるからな。屋敷に行くときも決まって陽が沈んでからだ」
「なんだか気味が悪いですね。ヤクザですか?」
「さぁな。別にどうでもいいことだ。乗れよ。今日は力仕事らしいからな」
助手席に乗り込み、何事もなく帰ってこれるよう誰にでもなく祈った。
雇用主は新屋敷の片隅にある大きな屋敷に住んでいた。
どこか薄暗い印象のある大きな屋敷で、なんだか酷く気味が悪い。門の前に提灯を持った着物の男性が立っていて、私たちを値踏みするかのように鋭く見た。先輩は車を道の脇に停め、ぺこぺこと頭を下げて挨拶をするので、私もならって頭を下げた。黒く変色した木製の表札には『木山』とある。
「挨拶はいい。先にこれを荷台に積んでくれたまえ」
骸骨のような男は厳しくそう言って、足下にある大きな行李を指さした。抱えようとすると、ギョッとするほど重たい。担ぎ上げるようにすると、中で何かが蠢いたような気がして背筋が震えた。
「あの、これって……」
「無駄口はいい。とにかく積め」
すいません、そう謝ったものの、行李は重たく荷台にあげるのは一苦労だった。行李には封をするように荒縄でぐるぐる巻きにされていて、およそ解くことを考えていないようだった。先ほどの感触を思い出して、思わず指先が震えた。
行李を積み終えると、男が懐から取り出した巻き煙草を差し出してきた。
「ご苦労。吸いたまえ」
私は煙草を吸わなかったが、受け取らないのもばつが悪いので煙草を受け取った。咥えるとマッチを擦って火を灯してくれた。
「煙草は嗜まないようだが、こいつはそのへんの安物とは物が違う。肺に入れずに、ふかして味を楽しむものだ」
私は頷いて煙を吸うと、口の中をなんだか甘いものが満たした。鼻腔から甘い芳香が抜け、舌先が酔ったように痺れた。頭の中がふわりと浮かぶような酩酊観に驚く。
そんな私を見て、同じように煙草を咥える先輩が笑った。先輩は慣れた様子で煙を吐いて、どこか夢見心地といった風である。
「あの、これって麻薬か何かですか?」
煙を燻らせながら男が骸骨のような笑みを浮かべた。
「野暮なこというな。君は若い癖に真面目なことをいう。不真面目な彼とは大違いだな」
馬鹿にされたようで私は苛ついたが、男はそんな私の態度を嘲笑うように大きく煙を噴いた。提灯の明かりに照らされた紫煙がもうもうと男を包む。
「行李の中身が気になるかね」
「いいえ」
男はくっくっ、と顔を歪めて笑った。骸骨が笑っているみたいだった。
「正直だな。だが、好奇心は猫も殺すという。まぁ、どうしても気になるというのなら行った先で開けてみるといい。こちらとしては、捨てて来て貰えればそれでよい」
痺れるような甘い味に頭がすこしふらふらする。もう吸ってはいけない、そう思いながらも口から離せないのだ。
「この行李を指定する場所に捨てて来て欲しい。それだけだ」
「不法投棄をしてこいというんですか」
「そこは私の私有地だ。心配はいらない。君たちは指定する場所へ向かい、その行李を捨ててくればいい。報酬は前払いで払おう。文句はあるまい」
男は封筒を出すと、まだ煙草を吸うのに夢中になっている先輩に手渡した。
「それと、友人や知人に今夜のことは話さない方がいい」
「それは警告ですか?」
「いや。忠告だ。私は口の軽い人間を信用しないことにしている。逆をいえば、口の固い人間は信用できるということだ」
「話しませんよ。これも仕事ですから」
「ならばいい。地図を書いておいた。少々入り組んではいるが、山に入ってしまえば一本道だ。迷うことはなかろう」
車に乗り込み、エンジンをかける。
「縁があればまた仕事を頼むだろう。くれぐれも行李の中身を確かめようなどとは思わぬことだ」
それと、と木山氏がつけ加える。
「煙草は止めた方がいい。健康に悪い」
先輩はにへら、と笑って頭を下げた。
車が発進する。バックミラーを覗き込むと、提灯を持った骸骨のような男が歪な笑みを浮かべながら私を視ていた。
◯
指定された場所は車で一時間程の県境にある山奥で、私有地につき立ち入り禁止という立て札を幾つも見かけた。途中、一台の車ともすれ違わなかったから、ここら一帯が依頼主の私有する土地なのだろう。
ハンドルを握る先輩は上機嫌に煙草をすぱすぱ吸うので、私は仕方なく自分のほうの窓を開けて山道の闇を眺めた。
舗装されていない山道を軽トラックで跳ねるようにしながら走る。ヘッドライトの光が森の闇を裂くように前方を照らした。
「なぁ、チョロいバイトだろう。時給いくらって話だよ。金持ち相手の仕事が一番だよなあ。貧乏人相手の仕事なんざ馬鹿らしいぜ」
「あの行李の中身、なんなんでしょうか」
私がそういうと、先輩に頭を小突かれた。
「おまえ、まだそんなこと言ってんのかよ。詮索すんなよ。大人しく従ってれば楽に金が手に入るんだからよ。機嫌損ねるようなこというなよな」
「でも、あの中身なんか動いてましたよ」
「知らねーよ。犬か猫でも入ってんじゃねーの?」
「それなら助けないと」
「だからさ、そういうのマジでやめろって。金貰ってるんだから文句いうんじゃねぇよ。犬猫でも俺たちには関係ねぇじゃん。馬鹿が。おまえ誘ったのは失敗だったわ。マジで」
舌打ちする先輩に殴り掛かってやろうか、とも思ったが、車の運転中なので自重した。
「でも、もしもあの行李の中に入っているのが人間だったらどうするんですか」
「あ?」
「死体遺棄の手伝いをさせられてるのなら警察沙汰になりますよ」
「は? 俺たち関係ねぇじゃん」
「共犯扱いされますよ。金銭も受け取っているんですから。逮捕されます」
逮捕、という言葉を聞いて先輩の顔色が青ざめる。
「おい、マジかよ。くそっ、ふざけんな」
「確認しましょう。先輩のいうように犬猫なら放してやれば良し、万が一にも人間だったなら通報しましょう」
「それなら捕まらないんだな?」
「共犯にされるよりはマシでしょう。ともかく現地に着いたなら、封を切って中身を確認してみましょう」
「そ、そうだな。中身を確認するだけだしな」
先輩は自分を励ますようにいって、咥えていた煙草を灰皿でもみ消した。
それからしばらくして、ようやく目的の場所に到着した。目印だという小さな鳥居の前に車を停め、すぐに行李を荷台から下ろす。
「な、なんだかすげぇ不気味な所だな」
先輩の言うとおり、気味が悪い場所だった。こんな山奥にある小さな鳥居。その先には深い竹薮が続き、奥に小さな祠のようなものが見えた。こんな場所でいったい何を祀っているのか。
「こんな所になにを捨てるつもりなんでしょうか」
「知らねーよ。いいから早く開けようぜ」
「そうですね」
作業用にと持って来ておいたナイフで行李を縛りつけている紐を断ち切る。何本もの紐で縛られており、すべて断ち切るのには相当な労力を要した。
最後の一本を断ち切った、その瞬間、行李の内側から幾つもの指が生えるようにして現れた。
「うわっ!」
思わず飛び退き、立ち上がろうとするが、目が行李から離れない。
青白く、ぶよぶよした指が蠢くように行李の蓋を内側からこじ開けようとしている。少しずつ、開いてゆく蓋を前に、見てはいけないと直感した。
しかし、瞼は硬直したように微動だにしない。悲鳴をあげようにも、胸が苦しくてうめき声のような悲鳴がこぼれるだけだ。
「うう、ううううう、ううううう!」
歯の根が噛み合ない。
閉じることも、逸らすこともできない視界のなかで、それはゆっくりと行李の中から這い出て、肩をふるわせて立ち上がる。
それは、人の形をしたなにかだった。
人間じゃない。それには性器もなければ、頭髪もなく、体毛という体毛が一切存在しなかった。指先が地面に触れるほど腕が長い。そして、それの目は瞼を十重二十重に縫い合わせてあるようで、まるで瞳が見えなかった。
口を開くと、凄まじい血の臭いと、磯のような香りが鼻を突いた。
それは視えない目の代わりに、鼻をくんくんとひくつかせた。そして、同じように腰を抜かして立てないでいる先輩のほうへ顔を向け、楽しくて仕方がないとばかりに口を歪めて笑った。
どうして、と先輩は顔を引きつらせた。私はすぐにわかった。煙草の臭いだ。
先輩の悲鳴が弾けた。言葉にならない悲鳴が、夜の山に寒々とこだました。
腰の抜けた先輩は立ち上がることが出来ず、めちゃくちゃに手足を動かして逃げようとしたが、それはその場でのたうつだけで、ほんの少しも逃げることには繋がらなかった。
先輩が私を見た。言葉にならない悲鳴で、懸命に私に助けを求めていたが、私は物音ひとつ出さないよう、懸命に息を殺すしかなかった。そうでなければ見つかってしまう。
それは長く、大きな手を伸ばし、先輩の口に手を入れた。上顎を掴み、乱暴に肩にかつぐと先輩の体が一度大きく跳ねて、首が奇妙な方向へ曲がり、それからまったく動かなくなった。先輩の首はおそろしいほど長く伸びていた。目と鼻からおびただしい量の血がこぼれ出るのを、私は見た。
それは、すっかり力の抜けた先輩を肩に担いだままゆっくりと歩みを進め、鳥居を潜り、森の奥深くへと姿を消した。
やがて、森の深い深い闇の中から、骨を砕き、皮を剥ぎ、肉を租借する音が聞こえて来た。
以降、私の記憶はない。
気を失い、目が覚めたら朝になっていた。
私はすぐに車に乗り込み、山を下りた。
◯
それからしばらくして、警察が私のアパートへやってきた。
先輩の家族が捜索願を出したらしかった。私は警察から事情聴取を受けたが、なにも知らないと嘘を突き通した。真実を話したところで信じてもらえないだろうし、先輩が見つかることもないからだ。
普段から素行不良ということもあり、捜索はすぐに打ち切られた。私はしばらく大学を休んでいたが、復学して普通の生活に戻った。
それから半年ほど経った頃、携帯電話に見知らぬ番号から電話がかかってきた。
『私のことを覚えているかね?』
開口一番、その言葉に私は思わず目眩を覚えた。あの男だ、そういう確信があった。
「木山さん、ですか」
『覚えていてくれたのなら話は早い。仕事を頼みたい。日が沈んだ頃に屋敷に来たまえ』
「ど、どうして私なんですか」
『君の先輩が使えなくなったからだよ』
私は心底おそろしくなり、膝が震えた。ようやく忘れかけていたのだ。あの夜の出来事は悪い夢だったんだ、とそう自分に言い聞かせて。
『私は時間にはうるさい。くれぐれも遅刻しないよう』
気をつけなさい、そういって電話は一方的に切れた。
私は呆然と立ち尽くし、逃げられないことを痛感した。
陽が沈むのを待ってから新屋敷の外れにある木山氏の屋敷へと向かった。
屋敷へ続く竹林を歩きながら、あちこちの闇からなにかがこちらを見ているような気がして背筋が冷たくて仕方がなかった。それらの視線を無視して、私は砂利を踏みしめて歩き続けた。
屋敷につくと、門が開いていて中庭がぼんやりと明るい。恐る恐る覗き込んでみると、石灯籠に火が入っていて中庭を淡く照らしあげていた。
「時間通りだ。君は先輩よりも優秀な男だな」
小さな池のふちに立つ木山氏はこちらに背を向けたまま、池になにかを撒いている。時折、池の水面が沸き立つのでなにか魚に餌をやっているらしかった。
「なんの御用でしょうか」
「そんなに遠くては話もできん。もっとこっちへ来なさい。なに、私は取って喰ったりはしない」
くっくっ、と咽喉を鳴らして笑う。
木山氏の隣に立って池を眺める。黒々とした水面が波打ち、なにかが激しく泳いでいるのが分かった。
私は木山氏の方を見なかった。着流しの袖から覗く骸骨のように細く、白々とした腕が禍々しい。
「行李を開けたろう」
「……はい」
「君が罪悪感を覚える必要はない。どちらにせよ、あの鳥居の傍にくれば封は解けるようになっていた」
「どういうことですか」
「あれは私が拾い、飼っていたものなんだが、成長して少々手に余るようになってしまった。縊り殺してしまってもよかったが、あんな生き物でも飼っていると情が湧く」
「だから山に棄てたのですか」
「棄てたのではない。返したのだよ。元々、あれは山にいたものだ。私が欲しかったのはあれの眼球でね。摘出してしまえば、もう用はない」
「あれは、なんなのですか」
「さて、なんなのだろうな。私はただの蒐集家だ」
わからんよ、そう冷たく言い放った。
「確かにあれは人を喰うが、好んで喰いはしない。人里に自ら降りてくることはないから安心していい」
私はもうこれ以上、なにも知りたくはなかった。
「もういいです。仕事の話だけ聞かせてください。今度は何を棄てればいいんですか。今度こそ、私も喰わせてしまうつもりなのでしょう?」
すると、木山氏は手を叩いて笑った。
「まさか。君を喰わせてしまう筈がないだろう。君にはやってもらわなければならないことがある。なに、今回のことは私にも責任がある。君の先輩があのような形で人生に幕を閉じたのは、私のせいだ」
「なにをしろというんですか」
「私が死んだら、そこの蔵を燃やして欲しい」
指さした先を見ると、そこには立派な土蔵があった。
「前金で全額支払おう。その代わり、必ず仕事を成し遂げてくれ。そうでなくては困る」
意味がわからず、私は困惑した。
「意味がわかりません。どういうことですか」
「簡単なことだ。私が死んだとき、あの蔵に火を放ってくれればいい。これは土蔵の鍵だ。君に預けておこう」
受け取った鍵は、赤錆の浮いた古い鍵だった。
「病気なのですか」
「いいや」
そうして、木山氏は懐から分厚い封筒を取り出し、私に押し付けるようにして渡した。そのあまりの大金に私は気が動転した。
「いつ死ぬか。それは私にもわからん。死ぬ予定もない。が、私は少しばかり深い闇を覗き込みすぎた。そう思わないかね?」
私はそれには答えず、わかりました、とだけ伝えた。
「では、頼んだよ」
そういって再び池に餌を撒き始めた木山氏に背を向けた。
ぱしゃり、と背後で音がする。
振り返って池を見ると、そこには人の口をした白い魚が群れになって、黄ばんだ歯を剥き出しにして餌を取り合っていた。
◯
それから五年の月日が経ったある日、仕事から帰った私はテレビのニュース番組で木山氏が何者かに殺害されたのを知った。
翌日、私は仕事を有給で休み、約束を果たしに出かけた。
昼間にこの屋敷へやってくるのは初めてだった。屋敷の様子は五年前とそれほど変わっていなかったが、まるで墓所のような冷たい昏さがあった。
私はまっすぐに土蔵へ向かい、預かった鍵で南京錠を外し、重い戸を苦労して開け、埃が落ち着くのを待ってから中へ入った。
そして、言葉を失った。
冷たい土の香りのする土蔵の中には、見覚えのある行李が、床を敷き詰めるようにびっしりと並び、それらは苦しげに蠢いていた。呻き声、爪の引っ掻く音、啜り鳴く声。それらが蠢いている。
私は淡々と車へと戻り、持参したポリバケツの中身、ガソリンを土蔵の中に撒いた。苦しげに音を立てる行李が幾つかあったが、すべて見ないことにした。
ライターに火を点け、床へ放ると、炎が舐めるようにして床と壁に燃え広がり、轟々と音をたてて燃え始めた。炎はあっという間に大火となり、行李を呑みこんでいった。
鈍く、くぐもった断末魔の悲鳴があちこちから聞こえたが、やがて静かになっていった。
私は土蔵を離れ、中庭を歩き、池の縁に立った。
空を見上げると、黒煙が曇天の空に立ち昇っていくのが見えた。
藻で覆い尽くされた池の水面がにわかに波打ち、白々しい魚の鱗が光ったような気がした。
作者退会会員
夜行堂奇譚の新作になります。
時間がかかってしまい、申し訳ありませんでした。
ご覧下さい。