ネタに困らない私の社畜時代(と書いて葬儀屋時代と読む)の体験談です。
みんな葬儀屋ってどんなイメージなんか分からんけど、うちはメインの事務所が一箇所、管理する会館が十数箇所あって、依頼があれば病院にお迎え▶たいていお客さんの自宅近くの会館選んでもらって連れてく▶そこでお通夜と葬儀をする、て流れが定番だったのよ。
それなり古い会社だったから、当然、管理する会館にも古い新しいがある訳だ。
古い会館は作りの老朽化もさることながら、場所が場所だけにいわく付きの話も多くて、社員の中でも多少なりともそっち系に敏感な人はまず行きたがらない(仕事だからちゃんとやるけどね)。
Y会館もそのうちの一つだった。
結構大きい会館だったから親族用の控室も広くて、お客さんにはそこそこ評判良かったんだけど、なにせパートも含め社員はあの会館じゃろくな目に遭ってない、って噂が絶えなかった。
まあこのザマじゃそりゃそうでしょうよ、と思いつつその日の私は真っ暗な会館に一人で鍵開けて入った。クソほど不気味で勘弁してくれよと思いつつ。
数十分前、私が帰る直前に葬儀依頼の電話が入って、既に三件の依頼でみんな出払ってた事務所にいたのは私と副店長のみ。
「頼む私ちゃん、控室の準備だけしてくれ!明日休みにするから!」
「呼び出しなしでお願いします!」
「えっ」
「お 願 い し ま す ね !その代わりドライアイスと寝台布団は持ってってセッティングするし枕飾りもやっとくし宿直のおっちゃん来るまでは居ますから!ね!!はい出勤表に書いてください今!なう!」
「……はい」
連勤続いてると休みなんて当然の権利にも釣られる訳で、社畜ってほんとだめねえ。みんなも気をつけようね。
とは言え久々のどフリーな休みに浮かれる私は、通用口から入って正面入口を開けた後に、会館の電気を最低限つけて、親族控室の準備に入りましたよ。
この親族控室って言うのは、簡単に言うとご遺族が泊まるための客間みたいなもん。
風呂や寝室もあるから、電気つけてポットにお湯沸かしといたり、必要なアメニティやタオルが揃ってるか確認しとかないといけない訳です。
で、このY会館は二階建てで、式場は一階にも二階にもあったけど、控室は二階にしかなかった。
真っ暗な中を上がってってここでも最低限の電気つけて、さーて準備しましょうかいと部屋の入口にドライアイスと寝台布団(仏さんが寝るためのシーツセットみたいなもん)置いて、まずは台所行ったんですよ。
電気ポットに水入れとこうって。で、蛇口ひねって水入れてた時かな。
―――ザッ
畳が擦れる音だ。
と直感的に思ったけど無視しましたよ。だって誰も居ないもん。そんな音してたまるか私は明日のどフリー休みを死守するんじゃ!と無視してポットをセット。
次はアメニティの確認に浴室へ。
――ザッ、ザッザッ
引っ掻いてる。
頭の中に浮かんだ動詞をこれもフル無視した。
だから私は私のために明日のどフリーな休みをだなひと月ぶりだぞ下手したらひと月半だなんて考えながら、今度はシーツとタオルの確認のために寝室へ。
――ザッザッザッ
「てめえゴルァいい加減にしろ畳が毛羽立つだろうが取り替えいくらかかるか分かってんのかぁあ!!」
人間怖いが過ぎるとキレるよ。少なくとも私はキレました。
でもキレてよかったのかもしれない、この時はこれで音止んだし。思わず部屋の外に飛び出しながら怒鳴ったけど。塩持ってなかったし。うん。
しかし忘れてはいけない、まだ準備する場所が残っているのだ。
そう、仏さんを安置する畳の間が、遺族の控え室の真横にある。
さっきのクソ迷惑な引っ掻き音は、確実にそこから聞こえてきていた。
「終われば休み……終われば休み……帰ったら好きなことして夜更かし……」
一人でブツブツ言ってる私の方がよっぽど怖かったと思うけどな、はたから見たら。
まあそんなことを呟きながら、畳の間に入る。
畳の間の広さは10畳程度、一番奥にお棺を置くスペースがあって、その手前にお鈴や香炉やロウソクを置く小さな台があって、仏さんを寝かすための布団はさらにその手前に敷いておかないといけない。
持ってきた寝台布団をセットし、ドライアイスを置いていく。
正直、めちゃくちゃ嫌だった。何故か顔の右側――体の右側だけから毛が逆立つようなゾワゾワが消えないまま、社畜は次の日の休みを死守するためだけに黙々と作業を進めていた。
のだが。
――がり、
今度は壁かよクソが。
心の中で毒吐きましたよね。
居る。確実に居る。
これを一般の人に言って分かってもらえる気はしないけど、なんつうの、状態のよろしくない仏さんをお世話する時に必ず嗅ぐ、塩辛いようなすえたような匂いが体の右側、つまり仏さんの枕を置く方からずっとしてくる。
北側だろアピールしなくてもわかるよクソッタレ。
――がりぃ、がりぃ……
あーもうこれ絶対一番あれなやつ、パートさんふたりと社員ひとり辞めさしたやつー、と内心天を仰ぎながら私は頑張った。
ようよう最後の支度を終えて、思い切って顔をあげる。
目の前のどこにも、何もいなかった。
ぃよし勝った!社畜はクソ迷惑な何かに勝ったぞ!と心の中で万歳三唱し、ドライアイスの入っていた袋を肩から下げて部屋を出る。
そのまま廊下に出て、ストレッチャー用のエレベーター前の電気を点け、階段を下りてミッションコンプリート。
そのまま守衛室に戻ってお客さんと担当社員の到着を待てば、
――が たっ
振り返った私が馬鹿でしたよ。
降りかけた階段の途中、見上げた先には、明らかに生きてられない体の捻れ方したざんばら髪の男だか女だか分からない、要は顔半分ぐちゃぐちゃのなにか、が
――ヤット、ミタア
「うおあああ!!!」
「うえええええ?!」
歯がほとんど残らないひび割れた唇で、ぐちゃあ、と笑われた直後の記憶が実はちょっと飛んでる。
気がついたら守衛室の前で大声出してて、お客さんより先に着いたらしい守衛兼宿直のおじさんが私の声に驚いて叫んでたところだった。
「え、え、なに私ちゃん、どした?」
「……出くわしました」
「えっ」
「例の……多分一番あかんやつ……」
「あらぁ~……」
気の毒に、とおじさんが出してくれたお茶はいつもより美味しくてちょっと泣けた。
おじさんありがとう。
ちなみにこのおじさんは古株で、他にも色んなもの見てるから冷静に対処してくれたんだと思う。
ともあれそれ以来、私がY会館に行く時は必ず清めの塩を持つようにした。
(今度出くわしたら絶対あの顔に塩ぶつけてやる……)
そんな私の怨念を嗅ぎとってか、それ以降、私がやつに出くわすことは無かった。
但し、私が出くわさなくなってからも、多分やつのせいで四人ほど辞めたことは報告しておく。
おしまい。
作者橘
社畜時代の話。お暇つぶしにどうぞ。