私は学校へ電車で向かう。
そのとき、必ずある席だけは空席になっている。どんなに混んでいても、誰もその席には座らない。
――…
四年前。電車内で事件が起きたそうだ。刺し逃げ。
刺されたのは二十六歳の妊婦。お腹には赤子がいた。妊婦は男に刺され、亡くなった。そのときに、座っていた席があの席なのだ。
まだあの席には妊婦が座っている。そんな噂が流れている。
実際に座っている妊婦を見た人もいるそうだ。
帰宅途中。いつものように電車に乗った。あの席とはだいぶ遠い場所。
まわりの人たちの様子がおかしい。
なにがあったのか近くの人に聞いてみた。若い妊婦。二十代ぐらいの美人だった。
彼女はお腹に手を当ててるだけで、なにも答えてくれなかった。
「…ませんか?」
妊婦がなにかを訴えた。
振り返ってみると、妊婦はどこか淋しそうな顔をしている。
私に言ったのではない。席に座っている男性に言ったのだ。
「あの…席を譲ってもらえませんか?」
「はぁ?」
男性は相手が妊婦だということを知りながらも、席を譲ろうとしなかった。
苦しそうな顔をしている。
妊婦は、その隣りに座っている女性に言った。女性は素直に席を譲る。
お辞儀をする妊婦は、ゆっくりと席に腰をおろす。それを隣りで睨むように見ていた男性。
安心したように妊婦はお腹をさすっている。
そして駅につき、人がおりていっていたとき、悲鳴が聞こえた。
振り返ってみると、勢いよく男性が私とぶつかった。
席に座っていた妊婦の腹から大量の血液が流れる。辺りには赤い水溜まりができていた。
あまりの光景に唇が震える。
妊婦は腹をおさえながら、こちらを見ていた。助けを求めている。かすかに動いている唇。
私は逃げ出した。
――…
妊婦はどうなっただろう。
死んでしまった。それは大きくニュースになっていた。
あのとき、私が助ければ妊婦は助かっていたかもしれない。とんでもないことをした。
私は見殺しにしたのだ。
苦しみながら、またあの電車に乗った。
今日もあの席には誰も座っていなかった。昨日見たのは幻だろう。妊婦はもういない。私が見殺しにしてしまったから。
そんなことを考えながら、私は駅でおりる。
なんとなく振り返ってみると、あの席には妊婦の姿があった。
「あっ…!」
咄嗟に、私は電車に入ろうとした。だが、ドアは閉まってしまった。
そのまま電車は動きだす。
妊婦に謝りたい。妊婦はこちらを見ている。
今にも泣き出しそうな私を見ながら、妊婦は微笑んでいた。とても優しい目で…。
――…
妊婦のことが頭から離れないまま、私は電車に乗った。疲れがたまっている。早く寝よう。
あの席をなにげなく見てみると、そこには男性が座っていた。見たことある男性。
妊婦を…赤ちゃんを殺した犯人だ。
私は男性のほうに言った。
すぅーとなにかが体に入った。
「席、譲ってもらえませんか?」
「は?」
少し強い口調で言うと、男性は私を睨んだ。怖い。恐怖心が芽生えた。
私は隣りの女性に言った。
「譲ってもらえませんか?」
女性はにっこりとしながら譲ってくれた。隣りの男性が私を見ている。
駅についた。
まわりの人たちが駅におりる。そして男が私の腕をつかんだ瞬間、警察が男の腕をつかんだ。
助かった。
男はなんの抵抗もせず、黙って逮捕されたのだった。警察は前々から通報を受けていて、待ち伏せをしていたようだ。
ほっとした私は、いつの間にか一人になっていた。電車内には誰もいなかった。
「…ありがとう」
優しい声に思わず振り返る。
妊婦だ。にっこりとしながら私を見ていた。
お腹の膨らみがなかった。
「赤ちゃん…」
「死んじゃった」
「え…」
驚いた。この妊婦は死んでいなかった。本当に生きていたのだ。
淋しそうな顔をしなが妊婦は言う。
「赤ちゃんは私の命を守ってくれたの」
私の目に涙が浮かんだ。
妊婦は話を続ける。
「名前…まだ決めてなかったの。あなた名前は?」
「…咲季」
「咲季。すてきな名前ね。赤ちゃんの名前、それが相応しいかもしれないね」
どうゆうことだ。聞く間もなく、妊婦は電車をおりていった。
後を追いかけたが、彼女の姿はなかった。ただ、彼女が歩いていった方向をたどるように血が落ちていた。
――…
咲季。あなたに会いたかったな。
:/ JHARD
怖い話投稿:ホラーテラー JHARDさん
作者怖話