幼少期、父親が地方の廻り医者をしていた時の話
まったく怖くないし、長いので、興味のない人はスルーして下さい
時代は昭和が後半に入る頃、大型の地方公共事業では近くに診療所を作り医師が代わる代わる勤務していたようだ
俺はダム工事の現場近くの診療所件住宅に住んでいた
引っ越したばかりで友達もいなく人見知りな性格から、いつも病院(家)の前で一人で土いじりなどして遊んでいたな
お医者さんの息子さんってこともあり通りがかる人達はよく話かけてくれたよ
そのなかでも、特に話しかけてくれた老夫婦がいた
あの辺りには龍神様がいたから工場現場に災いが…
あそこは昔から入ってはいけない場所だから祟りが…
ほら今日も事故がおこったよ…
爺ちゃん婆ちゃんは好きだったんだけど、毎日のように話さす祟りのような話は苦手だったな…
祟りなのか?たしかによく事故がおきて人が運ばれてきてたのは見てた
俺は(死なないで)と重軽傷か区別もつかないのに患者さんが来るたびに手を合わせてお祈りをしてた…
ある夜のこと診療所の待合室に村長や爺ちゃん婆ちゃん、他にも大人達がたくさん集まっていた
子供ながらに何か大変なことが起こっているのかと心配はするし、一人で部屋で寝ているのも怖いし
夜中にトイレすら一人で行けないビビリな俺は恐怖のどん底に…
俺は決意した母さん達のいる待合室に行こう
建物内で部屋から待合室に行くためには診察室を通らないと行けない
診察室の壁には人体の気持ち悪い絵が並んで吊してある
薄暗い診察室を、壁の絵に目を合わさないように、なぜか忍び足で診察室を進んでた
壁側から診察台に目線をうつした時だ
診察台の回りに大人達が立ってこちらを見てる!
婆ちゃんとこのおじさんもいる、みんな知ってる人だ
走った、待合室の母親に抱き着き泣いた…
「どうしたの?」
「一人ので怖かったの?」
「うん…」
「一人にしてごめんね」
母は優しく頭を撫でてくれた
「あっちにおじさん達いたよ」
「診察室には誰もいないよ」
「いたもん」
父が診察室まで確認に行ってくれました
「誰かいたのか?」
「婆ちゃんとこのおじさんとか、〇〇おじちゃんとか…」
「いたのか!?」
「うん…」
大人達がざわめきだした
「駄目じゃないか」
「死んだか…」
「祟りか…」
婆ちゃん達は泣いている
「あきらめるな!うち(病院)に来たってことは生きてることだ!」
「俺達も行くぞ!
父親が皆に向かって叫んだ
俺はというと母親に連れられ部屋に戻りすぐに寝てしまったようだ
朝方、消防団やら救急車のサイレンの音で目が覚めた
急いで外に出てみると大人達が忙しいそうに病院を出入りしている
あっ?婆ちゃんと、おじさんだ!
いつも土いじりしている定位置に座って様子を見ていた俺に婆ちゃんが話かけてきた
「あんたのおかげだよ…」「いつも手を合わせてくれとったからね」
「龍神さんは見ていてくれたんだね」
「さすが先生の息子さんだ」
意味は何となくしかわからなかったけど、誉められ嬉しかったよ
朝ご飯を食べ終わった頃、父親が帰ってきました(隣だけど)
「全員無事だ!」
母は感極まり泣いてしまった
父親が俺の方によってきた
怒られる?
(だいたい父親がよってくるとコツかれ怒られるのが日常だった)
目を閉じて力をいれた…瞬間…
「ありがとうな」
頭を撫でなれた!
暖かく気持ちよい
母の手と同じだ
昨夜、工事現場で小さな崩落事故があった
翌朝には全員救出された
最近、公共事業の話題をよく耳にする
「無駄遣いはやめろ」
「意味のないことはやめろ」
ついつい私も同じ様に話してしまうことがあるが…
お金だけではなく、命をかけて働いてきた人達がいたことは忘れてはならないと思う
「無駄、意味のない」なんて言葉はおかしくないですか?
悪気はないが誤った言葉を使ってしまうことは多くある…(私も)
生き埋めになっても諦めなかった作業員の人達に感動した
生霊になっても現れるぐらい尊敬され頼りにされた父親に誇りをもった
優しかった母親、爺ちゃん婆ちゃんに感謝している
大人は大切なものを子供達に伝える義務がある
私達はちゃんと伝えているのか…
最後まで読んでくれてありがとうございます
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話