「邪魔ダ…来ルナ…」
耳元で聞こえた、虚ろに響く声。
近くには誰もいない。
そして、私の目の前に墜落した血塗れの鳩の死骸。
いきなり、店舗に入ろうと駐車場を歩いていた、私の目の前に「グシャッ」と音を立てて落ちてきた。
すぐに上を見上げたが、鳩を襲ったらしき鳥もいない。
気分が悪い。
帰りたくなった。
でも、私にはKさんに会いに行かなくてはならない理由があった。
始まりは、他社の業担をしていて今は退職し、営業の仕事に就いていたKさんからの電話だった。
「養子先の家から追い出された。なんとかアパートを借りて、車も買ったけど生活費が無い。いくらでもいいから、貸してくれないか」
車も取り上げられ、口座のお金までもが全額引き落とされていたという。
私が通訳のHさんに事情を話したところ、Kさんと仲の良かったHさんもいくらか貸すと言ってくれて、私はお金を預かり、友人のTと日曜日に会いに行った。
Kさんのいるのは、車で三時間ほどかかる隣の県のある市。
何度か行ったことがあり、解りやすい目印となる場所も知っていた。
しかし、その日は何故か道に迷ってしまい、書店で地図を見て確認しようと駐車場に車をとめて、店舗に入ろうとしていた。
その時に、先に述べたことが起きた。
何かが、私が来るのを拒んでいる…。
しかも、ソレはこの世のモノではない。
しかも、非常に悪意に満ちている。
しかし、Kさんを見捨てるわけにはいかない。
携帯で連絡を取り合い、ようやく着いた時には辺りは暗くなっていた。
アパートの前で待っていたKさんに、部屋に招かれた。
玄関を入るとキッチン、そして奥には6畳の部屋。
全体がひんやりとした空気に包まれていて、居心地が悪かったのを覚えている。
落ち込んでいたと思うが、Kさんは私達の訪問を喜んだ。
パソコンをいじりながら、笑顔で話している。
来て良かった…そう思った時、ソイツは姿を現した。
6畳の部屋。
その天井から、ボトッと降りて来たソイツの姿。
顔面の右半分は砕け、右目は垂れ下がり、ニタリと笑った口から長い舌を出した四つん這いの姿。
ソイツが、素早い動きでKさんの足下まで来た。
そして、私を見てニタリと笑い、
「来タノカ…邪魔ダ邪魔ダ…無駄ダヨ…無駄無駄無駄…」
そう言うと、ゲラゲラと笑いだした。
全身が鳥肌だった。
KさんもTも、この化け物に気づかない…。
KさんとTには、ソイツの姿は見えなかったのだ。
ヤバい、ヤバい、コイツはヤバ過ぎる。
私の手に負えるモノじゃない!
私は、パソコンに夢中なKさんに、「飯食いに行きましょう!」と言った。
「お金が無いから…」
と言うKさんに、
「奢りますから!」
と言って、外に出ることにした。
ソイツは、ゲラゲラ笑いながら、またもや素早い動きで玄関で靴を履いているKさんに近寄ると、
「無駄ダ無駄無駄無駄…コイツハ、救ワセナイ…」
と言った。
無視して、外に出た。
ドアの向こうから、ソイツの笑い声は続いていた…。
ファミレスで3人で食事をした。
その時に、Kさんが冗談めかして言った。
「あの部屋、すごく安いんだ。どうやら出るらしいよ」
「出る」とは、勿論幽霊のことだ。
しかし、あれは幽霊と言うよりは化け物だ。
あんな禍々しいモノは、見たことが無かった。
食事を終え、あちこち寄った後で、Kさんを送って私達は帰った。
部屋には入らなかった。
多分、私には何も出来なかったと思う。
しかし、それを後悔する日が来る。
数ヶ月後、Kさんの携帯が通じなくなった。
それが何ヶ月も続いた。
私は、思い切って教えて貰っていたKさんの実家に電話した。
電話に出たKさんのお母さんから聞いた話は、ショックなものだった。
「脳溢血で倒れて入院している。命は助かったが、半身不随だろう…」
数年後、私はリハビリを重ねて足を引きずりながら歩くKさんと再会した。
そこで聞いた闘病生活は、私の想像を絶するものだった。
私は医学には詳しくはないから、脳溢血が関係するのか分からないが、歩行が可能になった頃、目の角膜が剥がれだしたそうだ。
当然、手術。
歩けるからと障害者認定もされず、保護も受けられない。
だから、働くしかない。
不自由な体で。
私がそうなったら…きっと絶望してしまうだろう。
しかし、Kさんは必死に生きていた。
しかし…
私とKさんは、後に断絶してしまう。
原因は、Kさんのした酷い裏切りだった。
Kさんが裏切り行為をする前。
二人で車で走っている時に、あの虚ろに響く声が聞こえた。
「マダ助ケヨウトスルノカ…無駄ダ…コイツハ、何人カラ怨ミヲカッテイルト思ウ…オマエモ、裏切ラレルゾ…」
そして、響いた笑い声。
私には、どうしようもなかった…。
8月も終わりに近づいたある夜。
私は、アパートの部屋で荷造りをしていた。
明日には、この部屋をKさんに明け渡さなければならない。
地元に帰って営業をしていた私に、本社に行って社長と部長と密談したKさんが、私を追放し営業所を乗っ取った。
笑いながら、アッサリと言われた。
「明日か明後日には俺がそこに行って、部屋に入るから片づけといて」
あまり関係は無いから、詳細は省く。
要は、明るくトークも上手く慕われるKさんが持つ、もうひとつの顔…野心家で、嫌う人間には辛辣な言葉を吐き、笑いながら酷い仕打ちをする。
それが現れた、ということだ。
裏切りに傷ついた後は、怒りしかなかった。
上陸した台風の強風が吹き荒れる夜、私は2時間半かけてアパートに帰り、部屋を引き払う為の荷造りをしていた。
そこに、あの化け物が現れた。
「ダカラ言ッタダロウ…」
勝ち誇ったように笑う。
「これは…お前が仕向けたのか?それともKさんの望んだことなのか?」
私は言った。
それだけは、知っておきたかった。
「両方サ…」
と化け物は言う。
「もうひとつ…お前は一体、何者なんだ?」
化け物が笑うのをやめた。
同時に、私の頭の中にある光景が浮かび上がってきた。
吹雪の中、苦しそうに歩く男性。
そこにKさんが車で横に来て、ウィンドウを開けて指差しながらゲラゲラ笑う。
駅に辿り着くまで、何度も何度もやって来ては、嘲笑う。
これは…以前、Kさんが笑い話として話したことか…?
駅に辿り着き、実家に戻った男性は、怒り呪った。
激しい怒りに精神は崩壊し、憤怒のうちに息絶えた。
もはや化け物と化して、怨みの一念の塊となった男性は、Kさんのもとに現れると、復讐を始めた。
幸せを奪い、家庭を奪い、健康な体を奪った。
Kさんが住んでいたアパートにいた霊も、喰らい取り込んだ。
自殺者の霊ぐらい、容易に打ち負かす強い怨念だった。
「…まだ、足りないのか?」
問い掛ける私に、化け物は答えた。
「奴ヲ殺シナドシナイ…死ヌマデ生キナガラ苦シマセテヤル…死ヌマデ…死ヌマデ死ヌマデ…」
そして、狂ったように笑った。
風の噂で聞いた後日談。
Kさんはクライアント先の怒りを買い、業績不振で営業所は閉鎖。
それに伴って、Kさんは解雇された。
その後は知らない。
あの化け物は、今もKさんの側にいるのだろう。
「無駄ダヨ…」
怖い話投稿:ホラーテラー まささん
作者怖話