ガラス越しに見えるのは、世紀末的な世界だった。
見渡す限り、さっきまで街があった場所には廃墟が広がっている。
至る所に物が散乱しているが、建物が崩壊しなかったのは奇跡的だ。
向こう側に見える北校舎は、跡形もない。
由紀はこの南校舎から身を投げ、自殺するつもりだった。
復讐したかった。
かつての級友に。そして教師に。
しかし、手を下すまでもなかった。
この様子では誰も助からないだろう。
ここから由紀の家があった場所も見えるが、今は瓦礫の山に埋もれている。
由紀は自殺するつもりで、この南校舎へ来た。
そしてその選択が結果的に、彼女を救う形となった。
運命的なものを感じなかった、と言えば嘘になる。
さっきまで死にさらされていた自らの命。
確かに脈打つ鼓動。
生きたい、と思った。
私は生きているのではない。生かされたのだ。
これは最早、私ひとりの命ではない。
少し離れた所に、机の上に置いておいた白い封筒が風で飛ばされていた。
それは遺書だった。
私を死に追い詰めた者たちを、一人残らずリストアップしてやった。
もちろん教師も例外ではない。
何が死に追い詰められた、だ。
死を最終的に選んだのは、他でもない私じゃないか。
馬鹿馬鹿しい。
エネルギーが全身を脈動するようだった。
魂が、身体が、生きろと叫ぶ。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
とりあえずここを出よう。
四階から下の階へつながる階段は無事だった。
廊下に取り付けられていた懐中電灯をひったくるように外すと、周りを照らした。
南校舎には食堂があった。
職員室から持ち出した鍵で扉をあけると、思いのほか以前と変わらない景色がそこにあった。
電気はつかないが、食糧は無事だった。
ビニール袋にそれらを無造作に詰め込むと、由紀は部屋を後にした。
漆黒の闇を進む一人と一匹は、まるでキリストとその従者のようだった。
一筋の光が、そこにある道を照らした。
略奪がどうだとか、この非常事態に言っていられない。
普段ならこれは車上荒らしといわれ、とがめられる行為なのだろうが、今の俺には関係ない。
命をつなぐもの、食糧が必要なんだ。
収穫は芳しくなかった。
これが車上荒らしなら、カーナビや金品を拝借して目的は達成されるが、全てが灰燼と帰った今、それらが役に立つとは思えない。
「腹の足しになるものはねぇのか?」
窓を容赦なく次々と叩き割っていくが、望むものはなかった。
そして傍らにいる犬は、その轟音にひるむ様子もなく、ただその様子を見守っているように見える。
いや、食糧は山ほどあるのかもしれない。
視界いっぱいに転がっている、人間の死体や肉塊を食料というのなら、だが。
さすがにそれは考えられない。
人間を食うなんて正気の沙汰ではない。
それがたとえ、死んだ人間であったとしても、だ。
犬はどうだろう。
「クウン・・・・」
いや駄目だ。情が移りすぎてる。
石田は、店舗を見て回ることにした。
普段は残飯(残飯とはいっても、作ってから三日たった弁当とか、そういう普通の人間なら捨ててしまっても、ホームレスにとっては立派な食事となりうるもの)あさりで顔なじみ(?)になっている店を片っ端からあたった。
建造物のほとんどは中に入れないくらい崩れていたが、一つのコンビニが何とか原形をとどめていた。
自動ドアは電源が遮断され、どんなに近づいても開かない。
「なるほどな・・・・」
石田は先ほどの車上散策の戦利品のリュックサックに、コンクリートの破片や砂利を詰め込んだ。
それを砲丸投げの選手のごとく、スイングで遠心力をかけ、ドアに投げつける。
ガラスは幾つもの小さな破片となり、その一つ一つが月明かりの僅かな光を乱反射した。
石田より先に、先ほどまで後ろで伏せていた犬が走りだす。
薄暗い店内に、はしゃぐような鳴き声が響く。
「こらこら、そんなに飛び回るんじゃない」
なだめるように言うと、石田は店内を物色し始めた。
こうして堂々とどこかの店に入るのは何年振りだろうか。
いわゆる「普通」の人間たちは、ホームレスの姿を認めると、一様に怪訝な顔をし、
一定の距離を保とうとする。
破滅した人間というのは、意味もなく攻撃の対象となる。
攻撃する人間たちは、「俺はこいつらとは違う。こいつらのようにはならない」とでも言いたいのか、執拗に、そしてときに暴力的に、ホームレスたちを攻撃する。
何がそんなに恐ろしいんだか。
俺にはお前たちの方がよっぽど恐ろしいよ。
以前仲間のホームレスが、夜中にゴミをあさりに来たところを、二人組のチンピラに襲われたという。
目立った傷は負わなかったが、そのホームレスは茫然自失となって、何も言えずに震えていた。
ホームレスは社会から見放された存在だ。
憲法は全ての人民に平等な権利を保障するが、その憲法ではどうやらホームレスは人間の範疇の外にある存在らしい。
警察に被害を訴えても、まともに取り合ってくれない。
彼らは立ち退きに応じないホームレスとそのコロニーの撤去に手を焼き、そして内心では人知れず、彼らがその辺のチンピラにリンチで殺されてしまえばいいとさえ思っている。
公園の民たちは、毎晩襲撃者の影におびえた。
出来るだけ集団で行動し、そして彼らの目にとまらぬよう、早くに就寝する。
とはいっても、それで襲われないとは限らない。
あの日も石田は、おびえながら、まるで胎児のように丸まり、闇に抱かれて眠った。
そして日常は襲撃された。
突如起こった天変地異によって。
まさかこんな形とは思わなかった。
「クゥーン・・・・」
いつの間にか足元にいた犬が、屈託のない鳴き声を上げ、石田の顔を見上げている。
良く見るとその首には、なかなか高価そうな首輪が付けてあった。
首輪をつけていない野良犬は、真っ先に処分の対象となる。
首輪をつけることには、もし犬が逃げだしたとき、捜索している間に保健所の手によって殺されないようにする目的もある。
だが今ではそれも意味をなさない。
しばらく手こずり、石田はその首輪をはずしてやった。
すこしふりを付けて投げると、首輪はきれいな弧を描いて闇の中に消えていった。
「リスタートだ。俺とお前の」
絶望的ともいえるこの状況の中で、かつての日常にはなかった己の人生への確信が、何故か胸の中で生まれた。
石田の言葉の意味を理解したのか、犬も少し短く鳴いて、それに答えた。
(第三章へ続く)
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話